第45話:虚ろな休日

 十月三十一日、火曜日。目覚めたのはいつもの午前十時で、一時間くらいはベッドの上でゴロゴロした。

 それからお昼ごはんに冷凍食品の明太子パスタ。洗濯機がピーピーと終わりを知らせたのは午後一時過ぎ。


 ベランダに出て洗濯物を干す。シャツとかタオルとか問題ない物を。大した量も無く、十分とかからない。

 手すりから眺めれば、すぐ裏と言っていい距離に川土手がある。今日のシフトは休みで、ぼんやりする時間なら幾らでもあった。


 明日、水曜日はシフトが入っている。その次の土曜、そのまた次の水曜も。十一月はずっと、水曜と土曜が仕事になっていた。

 出島さんと会えるのはその二つの曜日と、何かのタイミングで明さんに言った覚えはある。おそらくそのせい、そのおかげに違いない。


 土手の道路を、大きなコンテナを積んだトラックが走り抜けた。小さくなる背中を追っていると、また同じようなトラックが。

 さらにダンプカーも。表の通りとさほど違わない道路幅で、むしろガードレールの無いところさえある。

 離れて見るあたしには綱渡りにも感じるのだけど、どうしてこんなに大型車が通るのだろう。


 その疑問を胸に、玄関を出た。傍まで行ったところで判明する当てはなく、順路的に近いとか街中を走りたくないとか、大まかな予想もついている。

 しかしあのままだらけて昼寝をするより、散歩でも外に出たほうがいいはずだ。


 先日、カモの車で走った道。申しわけ程度の歩道を行くと、川向こうの何百メートルかにホテル カモシタが見えた。

 目を伏せる。もう、あたしには関係が無い。


 足元から河川敷まで、かなり急な法面で視界がいっぱいになった。ここをスキーやスノボで滑り降りろと言われたら、全力で拒否する。

 まあ、どっちもやったことが無いけれど。

 斜面を駆け上がる冷たい風が気持ちいい。少し先まで歩いてみよう。


 ベランダから見た感じでは低い土手だなと思っていた。でも真上に立ってみれば七、八メートルかそれ以上の高低差がある。

 草が伸び放題のところと、刈ってあるところがあるのは何だろう。

 ああ、河川敷にゴルフの練習場所や野球のベースなんかが用意されているからか。


 どれも古びてボロボロだ。今そこに使う人が居ないから、そう見えるのかもしれないが。

 それなら平日の昼間、あたしと同じく散歩をする人さえ見えないのだから仕方がない。


 しばらく、寝ぼけた身体が温まる程度には歩いた。もう少し先に、何車線も走っていそうな大きな橋がある。

 あの道の先に流通施設でもあるのだったか、トラックがたくさん行き交った。そのうちの何台かが方向を変え、この土手道を向かってくる。

 歩道から河川敷の側にはみ出し、伸びた芝へ腰を下ろす。目の前の長いススキを取り、この景色を見ていることにした。


 ――ふむ。

 トラックの運転には二通りがあるらしい。少しの車間も許さず追い回すように走るのと、ゆっくり行きますからどうぞお先にというのと。

 出島さんはきっと後者だ。それは日々の在り方でも。

 だから自分から、どうしてもこうしたいと思うことは少ないのだろう。思ったとして、これくらいならと諦める気がする。


 そんな出島さんにとって、あたしは何だろう。

 あれほど嫌がっていたカフェに来てくれたけど、心配をかけすぎたから否応なく、と理由を付けられる。

 うん、分かっている。あたしの気持ちを伝えても断られる、と。伝えない為の言いわけをしているだけだ。


 怖い。二度と会えなくなったらどうしよう。そうなるよりは、今のまま居たほうが幸せに決まっている。

 世の中のみんな、どうして伝えたのか不思議で堪らない。

 家族で住んでいるだろうマンション、一戸建て。ぐるっと見回すだけでも数えきれないくらいあって、その人達が何かしらの行動を起こしたから、そこに住んでいるはず。


 誰かに話したら、答えを教えてくれるかな。

 思い浮かぶのは明さんだけで、この上ない先生ではある。でもまだ、当てつけのように思えて気が引ける。

 他に誰か――真地さん?

 ズバッと気持ちよく言ってはくれそうだ。しかし別の意味で気後れする。


 しゅぽっ。着信の音が聞こえて、スマホを取り出す。この件では最も相談相手にならない人からのメッセージだ。


〈三十分前に起きて昼食をとりました。おにぎりと惣菜のきんぴらです。今日は十七時出発なので、そろそろ支度をします〉


「もう?」


 思わず声が出て、二度読み返した。スマホの時刻表示は、もう少しで午後二時。

 けれど、石橋を叩いて渡る出島さんなら当然かもと思い直す。用意したからと、すぐに出かけなければいけないわけでもない。


 さておき、文章が硬い。あたしは彼の上司で、業務報告でも受けているかと錯覚する。

 土曜日にニャインの交換をして別れた後すぐ、おやすみなさいと送ったのはあたしだ。時間を置けば、いつどんな言葉を送ればいいか分からなくなると思って。


 そうしたら彼も、おやすみなさいと返してくれた。翌朝におはようございますと、また夜におやすみなさいと定期的に。

 それはそれで嬉しいが、もう少し何とかならないか。定時連絡以外、業務報告でない文章。


 まあ急にそんなことが起きたら、違う意味で心配になりそうだ。

 かく言うあたしも自分から送るのはお昼だけで、どのメッセージも時候の事務連絡めいたものばかり。

 履歴を見ると


〈おはようございます。すみません、恥ずかしいのですが朝は寝ていることが多いのでお返事が遅れます〉

〈気を遣わせてすみません。お昼なら大丈夫なので、こちらから送ってみました〉

〈今日もお昼は暖かかったけど、日が暮れると寒いですね。風邪に気をつけてください〉


 というようなのばかり。全く彼のことを言えないし、次は時候の挨拶でも入れそうだ。


「やれやれ」


 先を考えると、気が遠くなりそう。と同時に、変な二人だなあと人ごとのように笑いが込み上げる。

 さて、返事をどうしよう。少し考えて、思いついた。

 目に見える橋、川、土手の道。シャッターを切って送信し、続けてメッセージを。


〈今日はお休みなので暢気に散歩中です〉


 じっと画面を見ていると、一分も経たずに既読のマークが付く。さらに二分ほどで返信があった。


〈気持ち良さそうです〉


 にへっ、と口元が緩む。自分の手で押し上げ、どうしようかと悩んだ。これでまた返信すれば、彼は何度でも答えてくれるはず。

 どう考えてもそれは、仕事を控えた人に迷惑だ。あと一回か二回のやりとりで、最後に返信の要らない形にしなければ。


 バタン。

 背後で物音。たぶん誰か、車のドアを開け閉めした。見ている橋とは反対の方向から来たのだろう。

 降りた人物の足が、アスファルトの砂を踏んで近づく。

 あたしの知っている人かな。

 振り返ると、たしかに見知った顔があった。


「トビ……」


 のしのし。明らかに不機嫌な足運び、血走った眼。カモシタとロゴ入りの軽ワゴン車を背負って。

 手が震えた。何の言葉も無いうちから、頭の中のあたしが叫ぶ。

 逃げなきゃ。

 慌てて立ち上がるが、足も震えてフラフラした。


「こんなとこで何してんの」

「な、何って」


 ハグするのかというくらい目の前に、トビは足を止めた。ほんの少し高い背丈から、汚い物を見る視線が落ちてくる。


「私のことバカにして。あれからずっと、夜も眠れないし」

「いや、あの」

「どうしてくれんの!」


 ドンと肩を突かれた。ふわり、体重の感覚と足の裏の感触が消える。それはほんの一瞬で、空と地面がぐるんと回った。

 落ちる。理解しても、つかむ物も支えも無い。

 途中、トビの顔がいやにはっきりと見えた。驚きに口を開き、何か叫んでいたと思う。聞き取れなかったが。


 地面に着いた瞬間、痛みは感じなかった。代わりにススキと葦の悲鳴がベキベキバキバキとうるさかった。

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