第43話:正しい関係

 * * *


「もう何て言うか、何を言っても人ごとみたいで申しわけないけど。お疲れさまだったね」


 昨日のできごとを話すと、出島さんは息苦しそうに首を縮めた。土曜日の閉店後、いつものように自動販売機の脇で。


「そうやって自分のことみたいに心配してくれるって思ったから、どう伝えるか迷ったんですけど。何も隠すなって、明さんが」

「いやまあ俺なんかが聞いていいのかって思うよ、店長さんと奥さんの部分はね。だけどおかげで、すっかり納まったんだなって分かるよ」


 プラケースを重ねた椅子に並んで座ると、肩が触れるか触れないか。自動販売機に照らされた彼のスクーターを、二人して鑑賞するみたいに。

 作業着の上に布のジャンパー。丸坊主が寒そうだけど、何だかしっくりハマって見える。


「ほんと、俺は何もできなくて」


 正面を向くフリで、横目でチラチラ盗み見た。じっと目を合わせるなんて、心臓が持たない。

 だから痛みを堪えるような、細めた眼を見逃さなかった。


「そんなことないです、今まで話を聞いてくれてたから逃げ出さずにいられたんです――って言っちゃうと、ずっと嘘の内容で相談してたのが恥ずかしいですけど」

「あはは、それはみんなやると思うよ。自分の奥さんとケンカしてるのを、友達夫婦の仲が悪いとか」


 不倫の噂で困っていると、何もかも話したのは一昨日おとといのこと。明さんが全部話せと言ってくれなければ、またあの息苦しさを抱えるところだった。


「そうかもしれないですけど。やっぱり出島さんには、きちんと話さなきゃって。あれ? 何だかあたし、矛盾したこと言ってますね」

「してないよ。俺を気遣ってくれて、それでも教えてくれたんだよね。ありがとう」


 良かった、彼の眼がふんわり丸く笑った。

 それだけでも嬉しいのに。さっきから何回も、あたしは間違っていないと褒めてくれる。ひと言あるたび、ふわあっと心が浮き上がった。


「と言うか、今日は休みなのにわざわざ出てきてくれたんでしょ?」

「えっ……あたし、言ってましたっけ?」


 さあっと血の気の引く音が聞こえたように思う。


「聞いた聞いた」


 彼がニコニコ笑って、ドッと顔が熱くなる。きっと茹でたてに真っ赤だ、慌てて両手で顔を覆った。


「すみません。なるべく早く話そうと思って」

「謝る必要ないでしょ。おかげで俺も安心できたし」

「連絡先、知ってれば良かったんですけど」


 恥ずかしいついでだ。指の間から彼を覗き、図々しくも要求を告げる。


「昨日、なぜかこの時間に起きちゃって。出島さんに話さなきゃって思ったんですけど、大阪に居るんだなって」


 正確には明さん達と別れて帰宅した後、すぐに眠った。ベッドに倒れ込んで、秒のことと思う。つまり深夜に目覚めたのは七、八時間後で、なぜか・・・では全く無かった。


「えっ。お、俺なんかの連絡先? そんなの教えていいのかな。チーフさんに叱られない?」

「叱られる?」

「ええと、いや。大丈夫なら、もちろん俺はいいけど」


 首を傾げるあたしに、彼は乾いた笑いでごまかした。でも言葉通り、スマホを取り出してくれたから満足だ。


「連絡先って番号を言えばいいのかな」

「逆にそんなの聞いていいんですか? ニャインとかワンスタとかやってますか?」

「ああ、ニャインってこういう時に使うんだ。会社の人との連絡用に入れてあるよ」


 交換のやり方が分からないと言うので、一緒に彼の画面を見ながら操作した。結局ニャインと、電話番号も交換する。


 うん。たしかに仕事の連絡先しか無かった。


「あの、変なこと聞いていいですか」

「どう変なのかにもよるけど」


 ニャインの画面を凝視して、操作を自主練習する出島さん。

 メッセージを送ったら、タイミングによって仕事の邪魔になるかもしれない。日曜日だけにしたほうがいいのだろうか。

 でもそれは、せっかく連絡先を知れたのに――寂しい。


「さっき、夫婦の仲がどうとかって」

「うん。同僚とか先輩のね」

「うちのチーフの。明さんみたいな夫婦が理想ってことになるんですか? その、一般的に」


 平然を装ったつもりなのに、声がモゴモゴと篭もる。


「ええと。ごめん、どういうこと?」

「明さんと店長は、お互いが必要なんだなって思ったんです。どっちか一人だけじゃ、カフェどころか人生も全然違ったものになるんだろうって」


 明さんがトビに言った、仲がいいことの意味。

 店を回す人と、いちばん大事な料理を作る人。という以前に店長がやろうと言わなければ、明さんはカフェなんてせずにだらけていたと。

 あたしの憧れるお姉さんは、店長が居なければ存在しなかったと言う。


「それは凄く、もの凄く凄いことだと思うんです。だけどあたしは、鳶河さんの気持ちもちょっと分かって。ただ好きってだけで一緒に居るんじゃダメなのかなと。もちろん変な誘惑はダメですけど」

「ああ……」


 なぜそんなことを聞くのか、と問われたらどうしよう。唸って天を仰いだ彼の姿に、早くも悔やんだ。


「だからたぶん明さんは、あたしが鳶河さんに同情したと思ってて。もちろん同情しましたけど、それは明さんに対してもで」


 だけど出島さんと、明さんと。それぞれにどんな想いで居ればいいのか、言葉にし始めると止まらなかった。


「だからいつか鳶河さんと鴨下さんと、店長と四人でご飯くらい食べられたら。明さんは、その可能性もゼロにしようとした気がして」

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