13:カナヤの本心(2)

「……あー、うむ。なにやらずいぶんお疲れのようですな?」


 テオの帰宅しての開口一番がそれだった。

 もちろんのこと、カナヤと侍女の様子を見てのことに違いない。


(す、少し甘くみていましたね……)


 カナヤは内心でため息をつく。

 多少自信はあったが、しょせんは素人。

 山での産物探しは相応の苦労がともなうものだったのだ。


 ともあれ、彼には別に関係の無い話だ。

 カナヤは「そのようなことは」と応じるつもりだった。

 しかし案の定と言うべきか、やはり隣の侍女殿である。彼女は額の汗を拭きつつに、楽しそうに声を上げた。


「それはもう疲れましたが、旦那さま。奥さまは何をしていらっしゃったのか? お分かりになられますか?」


 テオは軽く首をかしげ、同時に眉根にシワを寄せた。


「まさか……清掃に次いで、カナヤ殿がまた当家のために何かを?」

「はい。今回は山です。滋養のある産物をお探しに」


 いまいち意味が伝わらなかったらしい。

 テオはただでさえかしげていた首をさらにひねった。


「……それはアレか? カナヤ殿が採取のために山に入られたと?」

「そうお伝えさせていただいたと思いますが」

「なるほど? ……いや、なるほどではないぞ! そんな危険なことを何故止めなかった! カナヤ殿? お怪我などは?」


 血相を変えての心配の声に、思わず胸が暖かくなったといった事実は特に無い。

 カナヤは平然と応じる。


「いえ。怪我などはまったく」


 侍女もまた、すかさずの頷きを見せた。


「怪我の心配などはまったく無用でございました。奥さまはやはり素晴らしいお方です」


 テオはひとまずといった様子で安堵の息をついた。


「そ、そうか。それは良かった。しかし、採取? カナヤ殿が? その技術と知識がおありと?」


 今度も侍女であった。

 どこか誇らしげに笑みを浮かべる。


「その道の玄人くろうとのようでございました。私などは感服しきりで」

「ふーむ、玄人のようか。さすがとしか言いようがないが……しかし、何故? 何故山に滋養のあるものを? 体調を崩されているようには見えませんが」


 テオは心底不思議そうにカナヤを見つめてきた。

 どこかの仕事人間さんのためなどではもちろん無いのだ。

 カナヤはなんとなくだと伝えようとした。

 だが、ここでも侍女が横槍を入れてきた。


「旦那さま。それはあまりにも察しが悪いのではありませんか?」


 からかうように告げた。

 これで十分であったらしい。

 彼は一瞬の間を置き、申し訳無さそうに頭をかいた。


「そうですか。屋敷に続いて、私についてもお気遣いいただきましたか」


 そうして彼は、カナヤが初めて見る表情を見せてきた。

 テオの端正な相貌そうぼうに浮かんだのは、ただただ優しげな笑みであった。


「貴女は本当に何と申せば良いのか……人間として豊かな方ですな。ありがとうごさいます。お気遣い痛み入ります」


 心からの感謝と尊敬。

 それらのにじみ出たテオの発言だった。

 しかし、である。

 カナヤにはもちろん何も思うところは無かった。

 思わず何かこう頬が緩みそうになったとか、そんな事実は無い。

 当然であった。

 彼の発言など、耳をかたむけるには値しないのだ。

 テオは『誰か』に過ぎなかった。

 どうでもよい『誰か』の1人に過ぎない。

 よって、取り立ての反応などは無い。

 カナヤはあくまで平然として、彼に軽く頭を……


「しかし、うむ。これは私も一層全力を尽くさないといけませんな」


 頭を下げようとしたところで、カナヤは胸中で「はい?」だった。


(えーと、全力を尽くす?)


 確かに彼はそう言ったが、その意味は何なのか?

 テオは真剣そのものの表情で頷きを見せてきた。


「カナヤ殿の再嫁先についてです。貴女の善意に必ずや応えてみせましょう」


 思わず、カナヤは無表情に首をかたむけることになった。


(……なんの話ですかね?)


 心当たりがさっぱり無いのだった。

 そしてそれは侍女も同じらしい。


「少しお待ちを。一体何の話をされておられるので?」


 眉をひそめての問いかけだった。

 テオはわずかに首をかしげた。


「言ってはなかったか? 当家はどう考えてもカナヤ殿には不相応だからな。ふさわしき再嫁先を探しているところなのだ」


 カナヤは眉根にシワを寄せて天を仰ぐ。


(そう言えば……)


 思い出されるのは、あの夜であった。

 離縁を突きつけられると想像して、それは実際のこととなったが、しかし見当違いに称賛されることになったあの夜だ。


 ものの見事に浮足立つことになった夜でもある。

 正直、詳細なやり取りは覚えていない。

 だが、よくよく思い出してみるとだ。

 テオが侍女に語ったような内容を、確かに耳にしたような覚えがあった。


(……ん?)


 カナヤは首をかしげる。考える。

 つまりである。

 これは一体どんな状況なのか?


「だ、旦那さま!! 貴方はつまり、奥様に出ていけとおっしゃっているのですか!?」


 侍女が叫んだが、やはりそういうことなのかどうか。

 テオは慌てた様子で彼女に応じる。


「ひ、人聞きの悪いことを言うな! ふさわしき再嫁先をと言っただろうが!」

 

 カナヤは「でしょうね」と内心で呟きつつに頷く。

 実際のところ、彼はそのつもりなのだろう。

 不出来な妻を過大評価して、ふさわしき先をとまじりけの無い善意で求めているに違いない。


 ただ、カナヤからすればあまり変わらない。

 テオの元を離れるという結末が、ただそこにあるだけだ。


(……い、いえ! 別にまぁ、えぇ!)


 動揺が走ったような気がしたが、それはもちろん気のせいであった。

 なにせ、どうでもよいのだ。

 テオはどうでもいい『誰か』に過ぎない。

 彼に追い出されたからといって何だというのか。


 何かを思うことなどあり得ないのだ。

 そう、あり得ない。

 ただ……カナヤは注視してしまっていた。

 テオと侍女とのやり取りである。

 侍女は再嫁に否定的らしい。

 テオに対して食ってかかっているのだが、そのテオの決意は固いようだった。

 意見を曲げるような気配はまったく無い。


 このままであれば、彼の言う通りになる。

 それが理解出来、何故か妙に焦って、それでも平静をよそおおうとし、ただそれも失敗し、そして、


「だ、大丈夫ですからっ!!」


 気がつけば叫んでいた。

 2人の言い争いがピタリと止む。

 次いで、テオと侍女が目を丸くして見つめてくる。

 まごうことなき驚きのものだろうが、その視線がカナヤにさらなる動揺を生んだ。


 頭が真っ白になるという感覚。

 不思議と口を閉じてはいられなかった。

 

「え、えーと、大丈夫ですっ! 旦那さまはその、忙しそうですからあの……ほ、本当に大丈夫ですっ! 私は全然かまいませんからっ!」


 沈黙が降りるが、それは長くはなかった。

 テオが眉をひそめて口を開く。


「それは……再嫁先については急ぐことはないと?」


 果たして、自分が何を考えているのか?

 分からずとも、彼の言うことが正解に近いような気がした。

 カナヤは慌てて何度も頷く。


「は、はい! はい! その通りです!」


 そう言い切って、思わず注視してしまうのだった。 

 彼は一体どんな反応を見せるのか?

 数秒を置き……テオは戸惑いをにじませながらに頷きを見せた。


「でしたら、あー……私も確かに忙しくはありますので」


 それが彼の答えだった。


「まったく!! 人騒がせな!!」


 とりあえず問題が解決したと見たのだろう。

 侍女はそう憤怒の一言を残し、厨房へと去っていった。

 テオの夕食のために違いないが、一方でカナヤである。


(……ふ、ふぅ)


 心中で一息をつき、現実でも胸をなでおろすことになっていた。


 何故かである。

 何故か妙にホッとしていた。

 胸中には安堵感が広がっていた。


(い、いえ、別に大した意味はありませんけど!)


 そのはずだった。

 どうでもよいのだ。

 これで当面、この屋敷から離れずにすむようになったこと。テオの妻でいられるようになったことなどは至極どうでも良い。


 なにせ、そうなのだ。

 彼は、カナヤにとってどうでもよい『誰か』に過ぎないのであり──


「カナヤ殿」

「は、はいっ!」


 慌てるはずは無いのだが、どうしようもなく慌ててしまったのだった。

 呼びかけの主は当然彼だ。

 どうでもよいはずの彼──テオ・グレジールである。


(し、しっかりなさい! 私!)


 しかるべき態度を取れということだ。

 カナヤは深呼吸をひとつ。

 澄まし顔を作ってテオに応じる。


「なんでしょうか? どうされましたか?」


 どうでもよい相手にふさわしい態度を作れたはずだった。

 しかし、それはともかくである。

 一体、彼は何を思って呼びかけてきたのか?

 不思議に思っていると、テオは眉をひそめて口を開いた。


「いえ、やはり気になりましてな。本当にその、よろしかったのですか?」

「はい?」

「申し訳無くもですが、この屋敷の暮らしが楽しいものとは思えません。私の妻という立場にも不満は大いにあるでしょう。先ほどのお言葉は、私を気遣ってのものだったと思えて仕方がないのですが」


 どうやらである。

 彼は、無理をしていないのかと心配してくれたらしかった。

 その気遣いが嬉しかったという事実は特に無い。

 もちろん無い。

 平然として応じることになる。


「お気になさらずに。屋敷での暮らしに不満などありませんし……貴方の妻という立場にも、えぇ、もちろん」

 

 少し喋り過ぎたような気はしたが、気にしないでおくことにした。

 カナヤは胸中で頷く。

 満足の頷きだった。

 自分は冷静に振る舞えている。

 やはりであった。

 やはり彼は、どうでもよい『誰か』でしか──


(え?)


 無い。そう思った。思おうとした。

 だが、テオの表情だ。

 彼は笑みを浮かべていた。

 ホッとしたような笑みを。

 おそらくは、安堵の笑みを彼はもらしていた。


 カナヤが屋敷を離れないことを、また自らの妻であることを嬉しく思っている。

 カナヤにはそう見えた。

 そして、静まれと思ってもどうしようもなかった。

 胸の鼓動がどうしようもなく高鳴り、鳴り止まず、


(……どうしようもない『誰か』のはずで……そう、そのはずで……)


 テオが自分にとっての何者なのか?

 カナヤは胸を押さえながらに思い悩むしか無かった。


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