後日談:カナヤの葛藤

1、テオの異変

 あの日──テオをエラルドの毒牙どくがから救った日から、カナヤの日常はわずかにおもむきを異としていた。


 その1つがこれである。


 小鳥のさえずりのにぎやかな早朝のことだ。

 カナヤの姿はグレジール家の屋敷の食堂にあった。無論のこと朝食のための滞在であるが、今までとはかなり様相ようそうが異なっていた。

 テオの王宮への出向を見届けてから、1人ここで朝食をとる。それがカナヤの日課であったのだが、現在はまったく違うのだ。


(……う、うーん。うーむ)


 椅子に腰を下ろし、根菜のスープを目の前にし、しかしカナヤの食事の手はまったく進んでいなかった。

 理由は対面の席にある。

 1人の食事では無いのだった。カナヤの対面には、淡々としてスプーンを口に運ぶ白髪の彼の姿があった。

 テオ・グレジール。

 カナヤの夫だ。

 彼はカナヤの様子を不審に思ったのか、食事の手を止めて不思議そうに首をかしげた。


「どうされましたかな? ……また体調が?」


 テオは眉をひそめての心配顔だった。

 カナヤは慌てて首を左右にする。


「い、いえ! そのようなことはまったく!」

「左様でしょうか? 昨日もそうでしたが、あまり食事が進んではいないように思えますが……」

「き、気のせいかと! 私は、あの、全然問題はありませんので」


 そうしてカナヤは平然としてスプーンを動かして見せる。

 ただ、なかなか嚥下えんかは思うに任すことが出来ないのだった。胸が支えるような感覚があり、どうにもこうにも満足に食事を進めることが出来ない。

 カナヤは胸中で「はぁ」とため息をつく。


(なんと言いますか……慣れませんねぇ)


 何故こんな状況になっているのかと言えば、原因はいつもの侍女長殿にある。


『どうせであれば、お食事をご一緒にされればよろしいですのに』


 そうしてくれれば食事の準備が一度ですむ。そう彼女は言ったが、それが本心かどうかは分からない。彼女は勤労きんろうの人であり、苦労をいとわぬ人であるのだ。

 あるいはカナヤとテオがより一緒にいられるようにとの、彼女なりの気遣いかもしれなかったが……それはともあれである。

 慣れないのだった。

 カナヤはなかなか食事に集中することが出来ないのである。


 理由ははっきりしていた。

 カナヤには誰かと食卓を囲むという経験が久しく無かった。

 母親が存命だった時以来となり、10年以上の年月の隔たりがある。これで平然としろというのが無理なのだった。


 もちろん、テオは理由の内には入らなかった。

 彼が一緒であるから妙な緊張を味わっているということは無かった。

 誰が同席していたとしても同じ緊張感を覚えるに違いなかった。


(そ、そのはずですとも、えぇ)


 なんにせよ、心安らげる時間ではまったく無かった。

 ただ、カナヤは甘んじてこの状況を受け入れている。

 理由はたいしたものでは無い。

 提案してきた侍女の面子を尊重しているだけだ。

 決して、この方が不思議と食事が美味しく感じるということは無かった。

 彼と食事を共にする時間に、妙な暖かみを感じるということも無い。


 カナヤは思わず「ごほん」とせき払いをする。

 妙な心の動揺を鎮めるためだったが、当然彼の注目を呼んだのだった。

 

「カナヤ殿?」

「お、お気になさらずに!」


 平然と見えるよう、澄まし顔でスプーンを動かしてみせる。

 だが、カナヤはすぐに動揺から手を止めることになった。


(な、なんですか?)


 テオが不思議な様子を見せてきたのだ。

 彼はじっとカナヤを見つめてきていた。

 先ほどとは違い心配の雰囲気は無く、だからこそ意図がさっぱり読めない。

 そして、ひどく落ち着かなかった。彼の灰色の瞳に見据えられ、どうにも心臓の鼓動が危うい領域に達しそうな気配があったのだが、


「……やはり女性か」


 幸い卒倒するようなハメにはならなかった。

 妙なことを呟いて、テオはスープ皿に視線を落としたのだった。

 カナヤは安堵する一方で、大きく首をかしげることになる。


(……やはり女性か?)


 まったく意味に分からない発言であり、なんとも気になった。

 彼はどうでもいい『誰か』の1人に過ぎない。当然、その発言もまたどうでもいい。

 だが、彼について知りたいという欲求はカナヤの中には隠しきれず存在するのだった。


(……ま、まぁ、えぇ! こうも意味深な振る舞いをされたらですね!)


 きっと、尋ねかけるのは普通のことであった。

 そういうことでカナヤは、


「あ、あの……先ほどの発言は?」


 仕方ないので尋ねかけた。

 テオは「ん?」と首をかしげる。


「先ほどの発言? 一体何の話で?」


 誤魔化そうとしているという雰囲気は無かった。

 カナヤは不思議の思いで首をかしげ返す。


「覚えていらっしゃらないので? やはり女性かと、確かにそう呟いておられましたが」


 テオは「あぁ」とわずかに苦笑を見せた。


「そうでしたか。心の声が漏れていたと。すみません、気をつけることにします」


 とのことであったが、さすがにコレで終わりとはいかなかった。

 やはり気になった。

 思わず心の声がもれるほどに、テオは思案に集中していたのだ。

 生真面目な仕事人間の彼である。彼がそれほど集中する案件はといえば、それは諸侯の監査役としてのことに違いなかった。


(なにか大きな問題が? あるいは……またお父様?)


 彼は再び危機に陥っているのではないか?

 カナヤは気がつけば口を開いていた。


「差し支えが無ければですが、あ、あの……」


 催促をして、拒絶の気配は返ってこなかった。

 テオは引き続きの苦笑で頷きを見せた。


「そうですね。気にならないはずがありませんか」

「は、はい。何かお仕事についての悩み事で?」

「いえ、仕事ということでは無いのですが……うーむ」

 

 ここで彼は不思議な葛藤かっとうを見せた。

 カナヤの表情をうかがいながらに、悩ましげに眉間にシワを寄せる。


(……わ、私には話しにくいことなのですかね?)


 カナヤは不安の思いに襲われることになった。

 実は、なにかとんでもない不始末をしでかしてしまっていて、そのことが彼を悩ませているのではないか?

 あるいは、彼の中では不出来な嫁の放逐まで思案が至っているのではないか?


 もちろん、それらはどうでもよいこと……などと思ってはいられなかった。

 固唾かたずを呑んで見守る。

 テオはどこか慎重な様子で口を開いた。


「あー、そのー……私は人を探しておりまして」

「はい? 人探しと?」

「えぇ。名前も分からぬのですが、女性の卓越した魔術師を探しております」

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