7、衝動

「あ、ありませんっ! いえ、少し話し合いはありましたが、影響があるようなことは何も!」


 自らは昨夜より何も変わっていない……はずであって、返答はそれ以外に無いのだった。

 侍女は「は、はぁ」と戸惑いを見せつつに頷いた。


左様さようでしたか。それは見当違いなことを申したようですが……私は嬉しく思っております。奥さまから旦那さまを気遣っていただけるとは」


 彼女は静かに嬉しそうにほほ笑んだ。

 その笑みを受けて、胸が暖かくなるような感覚があった気がしたが、カナヤはその感慨かんがいは脇に置いておくことにした。

 そもそも、テオを気遣った事実も無ければ、侍女の喜びもどうでも良いもののはずである。

 ごほん、とせき払いをひとつ。

 話を進める。


「それよりも旦那さまです。足の具合の方は?」

「えぇ、はい。昨日のお戻りから、少しばかり気にしておられるようです」


 気づかなかったが、昨夜の出迎えの時点ですでに怪我をしていたらしい。

 当然、外出先で負ったものであろうが、その原因はなにか?

 テオの外出の理由に関係するのかどうか?


「……あの、旦那さまはいつもどこにお出かけに?」


 おそらく、カナヤがテオに興味を持っていることが嬉しいのだろう。

 侍女は相変わらずの笑みで口を開く。


「いつも変わらずです。王宮に通っておられます」

「王宮?」

「はい。お勤めがございますので」


 お勤め。

 貴族の一家、グレジール家の当主にして、権威としては公爵に次ぐ伯爵位を持つテオなのだ。

 まさか侍従としての下働きなどあり得ない。

 カナヤは目を見張る。


「旦那さまは王宮で大任たいにんを果たしておられると?」


 そう理解出来、同時に何やら不思議な感情が胸に湧いてくるのだった。

 きっとである。

 父エラルドなどは多数の役職を兼務しながらに、ろくに王宮にのぼっている様子は無かった。

 その反対に、毎日王宮に出向いているテオだ。

 きっと真面目に重責を担い、それだけの尊敬を得ているに違いなかった。


 そう思うと、不思議とくすぐったいと言うべきか、誇らしいような嬉しいような気分になるのだが、


(ど、どうでもいいことですが!)


 あるいは気のせいに違いない。

 そういうことにして侍女の返答をカナヤは、わずかに首をかしげることになった。

 一体、その意味は何なのか?

 侍女は微笑みを苦笑に変えていた。


「いえ、大任などとは」


 そしての返答がこれだった。

 カナヤは「え?」と声を上げる。


「そ、そうなのですか? しかし、伯爵位にあられる方が……」

「伯爵位とは言っても、内実ないじつがと申しましょうか。そこは周囲を見渡していただければ」


 言われて周囲に目を向ける。

 そこはもちろん玄関だ。

 素朴そぼくと言うべきか、貧相と言ってしまってもいいものか。

 生家の屋敷とは比べようも無いほどのたたずまいであり、カナヤはすぐに「あっ」だった。


「……財力がと?」


 侍女はすぐさま頷いた。


「はい。当家は由緒ゆいしょ正しき名家なのですが、所領に関しましてはまぁ歴代で色々とございまして」

「え、えーと、色々と」

「はい。実際のところ、グレジール家は小貴族と呼んでも差し支えはないことでしょう。血筋によって爵位だけは立派と、そのような様子で」


 とのことだった。

 つまるところ、グレジール家には大任を任せられるような実力は無いらしい。

 

「……ではあの、旦那さまは王宮で何をされておいでで?」


 そこが気になるところだった。

 そして、今回の彼女の表情は何なのか。

 侍女は苦笑を悩ましげに歪める。


「大任ではございませんが、大変な役であることは間違いないでしょうか」

「大変?」

「はい。旦那さまは、諸侯の監視を任じられております。宰相閣下の補佐官の1人として、諸侯の不正、横暴について調査、監督を」


 カナヤは首をかしげることになった。

 大変であるというのはそれはそうだろう。

 容易に想像出来た。

 ただ、


「あの、大任なのでは?」


 そう思えた。

 諸侯の不正を暴き、それを正す助けとなる役目。

 国家の規律を正すという意味でも、そのことの果たす役割は大きいものとしか思えなかったのだ。

 侍女も同じ思いはあるらしい。

 嘆かわしげにだが頷きを見せる。


「まぁ、確かにそうかもしれません。ただ、とんだ外れクジでもあります」

「そ、そんなにも大変と?」

「もちろん。お目付け役など、どこの世界でもうとまれるものです。しかも、その相手が自らよりも格上の貴族たちなのですから」


 これまた、想像に容易たやす事柄ことがらであった。

 カナヤは頷くと同時に察することになった。

 テオが足を引きずっていた、その原因。


「……暴力をもって、監査を妨害されるようなことも?」


 侍女は当然と頷きを見せた。


「お怪我はしょっちゅうのことでございます。旦那さまは詳細を語りたがりませんが、自然のこととはとてもとても」

「では、昨日からのことも……」

「おそらくは。なにやら、最近は大きな案件を扱われているようで……はぁ。押し付けられた外れクジ、適当にこなしていただければよろしいでしょうに」


 嘆きと心配がないまぜになったような侍女の様子であった。

 一方で、カナヤである。

 事情は理解出来た。

 テオの役目も、その危険性も理解出来た。

 現在、彼がその危険と背中合わせになっているだろうこともなんともなしに。

 ただ、当然である。

 それらについて思うところなどまったくない。

 

(……部屋に戻りましょうか)


 そんな結論にも当然至る。

 しかし、なかなか足が動かない。

 部屋に戻るために動こうとはしない。

 

 カナヤは顔をしかめて戸惑うしかなかった。

 なにせ理由がさっぱり分からないのだ。

 テオは今どうしているのか?

 あるいは、なにかしらの危機に見舞われてはいないのか?

 そんなことはさっぱり気にならない。

 だが、不思議と落ち着かない。

 部屋でじっとしていることが罪であるような妙な気分になってしまっている。


(あー、もう!)


 不快な胸中はなかなか収まりそうになかった。

 となると……仕方が無いのかもしれなかった。

 カナヤは思案する。

 ここでの心地よい生活も、テオの健在があってのこと。

 彼を気にかけることは何らおかしくはなく、多少労力を費やすこともあってしかるべきかもしれない。


 よって、仕方ないに違いなかった。

 不思議そうに見つめてきている侍女に対し、カナヤは声を上げる。


「あ、あの、すみません!」

「は、はい? すみませんとは、あの? どうされました?」

「私、あの、体調が優れませんので! 部屋で休みます! じっくり休みます! ですので、絶対にです! 絶対に部屋を開けないようにお願いします!」

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