6、いつも通りの朝

 そして、今日もまたいつも通りだった。


 いつも通りに朝が来た。

 そして、カナヤは当然いつも通りである。

 グレジール家における唯一の責務に臨んでいた。

 当主であるテオの見送りに、淡々としていつも通りに臨んでいる……そのはずだったのだが、


「……あー、どうされましたかな?」


 常ならず、心配の声が上がったのだった。

 発言の主はテオである。

 彼は片眉をひそめて表情にも心配を露わにしていた。

 一方で、心配を受けたカナヤである。

 いぶかしげに首をかたむけることになる。


(どうもこうもありません。そう、ありませんのに)


 いつも通りなのだ。

 カナヤはいつも通り朝の行事に望んでいるだけなのだ。

 まぁ、多少はである。

 いくらか眠いのかも知れなかった。

 ろくに眠れなかった影響が、多少は顔色にも現れているのかもしれなかった。

 だが、異変はその程度だ。

 カナヤはいつも通りだった。

 昨夜のテオとの会話の影響などはまったく無かった。

 心配の声をかけられ、顔がカッと熱くなったような事実も無い。

 妙に胸がざわついて、テオと視線が合わせられないというのも無い。

 なんともないと否定すれば良いだけなのに、なかなか言葉が出てこないということも無い。


「……心配はご無用です」


 とにもかくにも、頭を下げる。

 いってらっしゃいませと言外げんがいに示したのだ。

 その意図は十分に伝わったらしい。


「ま、まぁ、うん。だったら良いのだが……」


 まだ気兼ねしているようだったが、足音が響く。きびすを返したに違いなく、これで顔を合わずにすむ……というわけでは無いが、カナヤは顔を上げる。

 彼はちょうど扉をくぐるところだった。

 これまたいつも通りだ。

 何の感慨も無く、その背中を見送る。いや、見送ろうとしたのだが、


(……意外と広い背中をしていますね)


 妙なことが気にかかるのだった。

 顔色の割には、たくましく見えるだとか。

 日頃、体を動かしているのか? だとか。

 それは馬術なり武術なのだろうか? だとか。


(ど、どうでもいいですけど!)


 気にした事実などあるはずも無いのだった。

 特に意味も無くではあるが、カナヤは彼の背中から目を逸らそうとし……


「え?」


 思わず声を上げることになった。

 テオが首をかしげながらに振り返ってくる。


「どうかされましたかな?」


 灰色の瞳に見つめられ、唐突に頭が真っ白になった。

 とにかく即座に頭を下げる。

 行ってくれとの思いで必死で下げる。

 どうにも勢いで勝ることが出来たらしい。「あ、あぁ、うむ」と彼は気圧けおされたような雰囲気で外に消え、静かに扉は閉められた。


 なんとか危機は脱した。

 そんな心地でカナヤは安堵の息をつき、そして、


(……今、足を引きずっていたような?)

 

 軽く首をかしげた。

 先ほどの声は、それが原因だった。

 扉の段差を前にして、彼がわずかに足をぎこちなくしていたように見えたのだ。


(……まぁ)


 まぁ、である。

 カナヤは小さく頷く。

 彼が足を引きずっていたとして、それが何なのか。

 自分にはまったく関係の無い話であった。

 それが今日のことなのか、昨夜からすでにそうだったのか。

 原因は何なのか。

 外出先と何か関係があるのかどうか。

 まったく気にならない。

 そう、気になるところはまったく無いのだ。


「……奥様?」


 いつもの侍女長であった。

 今日も見送りに立ち会っていた彼女が、不思議そうに疑問の声を発したのだ。

 立ち尽くす様子を不思議に思ったに違いなかったが、ともあれカナヤは彼女を見つめることになった。

 

(この人であれば……)


 テオの様子、その原因について知っているのではないか?


(……まぁ)


 まぁ、である。

 カナヤはもう一度頷く。

 テオについて、興味などはさらっさら無い。

 だが、彼について知っておくことは、今後何かしらのためになるのではないか?

 1人きりの心地よい生活に寄与きよするのではないか?


 そういうことも、あるいはあるはずだった。

 よってカナヤは尋ねることにしたのだが、すぐには口を開けなかった。

 なにぶん、自ら人に声をかけることなど無かった人生だ。


「……あ、あの……どうでしょうか? 旦那さまは足をその、引きずっておられたような……」


 苦心して、なんとか尋ねかけを形にした。

 ただ、尋ねかけた点について、侍女からの返答は無かった。


「……何かございましたか?」


 逆に尋ねられたのだった。

 カナヤは目を丸くする。


「は、はい? 何かとは、え?」

「奥さまも旦那さまも、今日は明らかに様子が違います。なので、昨夜2人になられた折にでも何かございましたのかと」


 そんなことを彼女は思ったらしい。

 もちろんのこと邪推じゃすいたぐいだった。

 カナヤは慌てて首を左右にする。

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