8、気づき

 かなり慌てることになった。


 自室に戻ったカナヤは、とにかくと外套がいとうに袖を通した。

 飾り気の無い、フード付きの外套である。

 そのフードを目深まぶかにかぶり、すかさず窓を開く。

 

 窓枠に足をかける。

 視界に入ってくるのは2階からの庭園の光景だ。

 ただ、ためらう必要はない。

 虚空に身を踊らせる。

 落下感は無い。

 魔術である。

 風に我が身を抱き取らせ、難なく着地。

 次いで、急いで駆け出す。

 門番などに縁の無い正門を抜け、道路に出る。

 土地勘などはまったく無い。

 だが、少し見渡すと、遠くに特徴的な尖塔の姿が目に入った。

 アレが王宮のシンボルの1つであることは知っている。

 そこにたどり着くであろう道に目星をつけ、カナヤは必死に足を動かす。


(ま、まだ追いつけますよね?)


 焦りの原因は王宮の広さにある。

 幼少期の思い出となるが、一応見知っていたのだ。

 一口に王宮といっても、その敷地は広大であり、無数の建物が存在している。

 魔術が使えるといっても、その中からテオを探し出すのは困難以上に不可能である。


 ただ、グレジール家の内実とやらが幸いしてくれそうだった。


 屋敷の立地は、王都の一等地とは言えないもののようだった。

 周囲にはほとんど人家は無く、木々の緑の方が多い。

 つまり王都の中心、王宮まではかなりの距離がある。


(いた……っ!)


 朝方の人気の少ない道路に白髪の総髪がよく目立つ。

 間違いなくテオの後ろ姿だ。

 カナヤはホッと一息だった。

 これでひとつ懸案は解決した。

 ただ、気を緩めることは出来ない。

 むしろ、これからがある種本番と言えるのであり、


(……っ!)


 カナヤは慌てて道の端に寄った。

 原因はテオの行動にある。

 早朝に響いた騒がしい足音に気を引かれたのか、足を止めてこちらを振り返ってきたのだ。


 ただ、道の脇に寄ったこともあれば、外套に身を包んだ姿が正体を隠すのに十分だったのだろう。

 テオはわずかに首をかしげたものの、すぐに歩みを再開した。


 ふぅ、である。

 カナヤは冷や汗まじりの汗を片手でぬぐう。


(あ、危なかったですね)


 内心で呟き、同時に気をひきしめる。

 魔術も使う。

 姿を消すような魔術に心当たりは無かったが、代わりに風の魔術の応用だ。

 せめてもの工夫として、足音を含めた気配を完全に遮断する。


 これでよしだった。

 これまでもこの手法に頼ってきたが、人間は意外と視覚に頼る部分は少ない。

 生家の侍女たちと同じように、ある程度は誤魔化されてくれるだろう。


 とにかくである。

 カナヤにこの行為を露見させるつもりはなかった。

 別にどうでもいいのだ。

 妙な勘違いをされたとしても、それはどうでもいい。

 自らがテオを気にしているだとか、その身を案じているだとか。

 勘違いしたいのなら、させておけばよかった。

 ただ……なんとなくである。

 あくまでなんとなく、こうしておきたいのである。


(ま、まぁ、とにかくです!)


 とにかく、自らの行動原理については考えないことにした。

 テオを距離をとって追いかける。

 ほどなくして、王宮を取り囲む長大な城壁が間近となってくる。

 カナヤは「へぇ」と思わずつぶやいた。

 テオが向かった先を見てのことだ。

 初めて知ることになったが、城壁には正門の他にも入り口があるようだった。

 おそらく、中小の貴族や侍従、侍女たちのための通用口なのだろう。

 とは言え、グレジールの屋敷の門のようなことは無い。

 門番がしっかりと2人もついている。


 テオは軽く手を上げて中に入っていったが、カナヤは当然そうはいかないということだ。

 ただ、関門というほどのことでは実際無かった。


(えーと……)


 周囲を見渡す。

 人通りはそれほどでも無い。

 門番たちはさして仕事に熱心では無く、2人で何事か談笑している。


 となれば、スキを伺うだけですむ。

 人目の無い瞬間を突いて跳躍。

 今回も風の魔術だ。

 ひと息に城門の上にたどり着く。

 見下ろすと、王宮の敷地を歩むテオが見える。

 城壁の内は、樹木のにぎわう一種の庭園のようになっていた。

 隠れ進むには十二分。

 すかさず飛び降り、再びテオの後を追う。


 そしての現在である。


 カナヤは1つの大木の上にあった。

 太い枝に乗り、木の葉の間から見えるものに目を凝らしている。


 王宮の敷地に建っている、品の良い建物の1つだ。

 その2階の一室である。

 窓越しにテオの姿があった。

 書斎机において、何かしらの書類に向かい合っている。

 早速、侍女の言っていた仕事に励んでいるのだろう。

 

(……ふーむ)


 カナヤは目をこらす。

 テオは1人ではなかった。

 部下ということなのか官吏かんりらしき者たちが3人いた。

 問題は、彼らがテオの怪我の原因なのかどうかだ。

 今のところ、そのような印象は受けない。

 馴染みの仕事仲間といった様子だ。

 3人の表情には頻繁に笑みが見え、テオにしても無表情ながらに警戒心は読み取れない。


 どうにも危険は無いらしい。

 カナヤは気を緩めながら、しかし目はこらし続けた。


(それにしても真面目ですねぇ)


 そんなテオの様子だったのだ。

 真剣に書面に目を落とし、部下の話に真摯に耳をかたむけている。

 あるいは一般的には普通のことかもしれなかった。

 ただ、カナヤには真面目そのものに映るのだった。

 父は違ったのだ。

 幼少時のわずかな記憶だが、エラルドはまったく不真面目と言うべきか不誠実だった。

 家臣の報告も聞いているのかいないのか。

 適当に返事をして、任せるとだけ返していたものだ。


(人柄は正反対でしょうね)


 そう思えるのだった。

 テオはエラルドとは違う。

 その事実は、どこか胸に響くものがあったが、それよりもである。

 ひとつ気づくことがあった。

 カナヤは小さく首をかしげる。


(そう言えば、何故でしょう?)


 テオとエラルドは違うのだ。

 それは人柄だけに留まらない。

 間違いなく、貴族としての実力が大きく違う。

 一方は、いくつもの要職を占める大貴族。

 かたや、官吏として日々せわしなく働く貧乏貴族。

 一応のところ、公爵と伯爵という関係ではあるのだが、

 

(明らかに不釣り合いです)


 公の場で、テオとエラルドが肩を並べることは無いだろう。

 だというのに、現実は非常に妙だった。

 妙なことが起こっている。

 エルミッツ家とグレジール家。

 そこに婚姻が成立しているのだ。

 自らがテオの妻となっている。


 カナヤは首をかしげるしかなかった。

 一体、どんな事情があればこんなことが起こり得るのか。

 知りうる限り、エラルドはエルミッツ家の貴族としての格式に誇りを持っていた。

 はるかに格下であるグレジール家との婚姻を彼は許せるものなのか?

 屈辱としか感じないのではないか?


(本当に何故?)


 不思議でしかない。

 どんな事情があっての現状なのか。

 もちろん考えたところで答えは出ない。

 さらには、無論どうでもいいことである。


 カナヤは思考を切り上げる。

 そして、同時にとある事実に気づいた。


(……早すぎましたかね?)


 軽く上を見上げる。

 木漏れ日は低いところから差し込んでいた。

 まだ早朝であり当然のことだが、そうなのである。まだまだ早朝なのだ。


(日の高いうちはですよねぇ?)


 常識的に考えて、この早い時間帯に襲撃があるとは思えなかった。

 テオに危険があるとして、それは日中のことであるだろうか?

 下手人はそんな目立つ時間を選ぶのか?

 しかも、王宮の内にあるテオをわざわざ狙うのか?


 今日のことで分かったが、テオの屋敷は王都でも辺鄙へんぴな位置にある。

 夕方時、彼の帰り道を狙うのが自然な判断ではないだろうか。


 カナヤは腕を組んで「ふーむ」だった。

 そうなると、現在は早すぎるにしても早すぎる。


(一度戻りましょうか?)


 そうしても良さそうだった。

 ただ、

 

「……ふーむ」


 カナヤは視線をテオに戻す。

 彼はちょうど、部下を相手にして何事か真面目に話し込んでいた。

 仕事に精が出ているようだが、その様子が何と言うべきか。

 様になっていると言うか、不思議と目が離せないものだった。


 見つめる。

 テオは時折席を立ちながらに、書類に目を通し、部下たちと言葉を交わしている。

 時間が流れていく。

 穏やかな日差し、風はわずか。

 木の葉が揺れ、耳をくすぐる。

 小鳥の声が遠く絶え間なく響く。

 

 見つめ続ける。

 テオは真剣そのものだった。

 その顔は、昨夜そのものでもある。

 カナヤ・エルミッツを称賛し、あまつさえ玲瓏れいろうなき婦人だなどと口にした時そのものであり……ようやくである。

 カナヤは気づくことになった。



「……ばっかみたい」



 思わず呟いていた。

 気づいたのだ。

 穏やかな時間を経て、自らが高揚していたことに気づけた。

 そして、その理由が何なのか?

 これは気づけたと言うより認めざるを得なかった。


(まぁ、昨夜でしょうね)


 それは自らがこんなこと……テオの後をつけている理由でもある。

 間違いなく昨夜だ。

 昨夜のテオとのやりとりが原因に違いない。


(……まったく、みっともない)


 カナヤはひそかにため息だった。

 自分には呆れるしかなかった。

 少し褒められたぐらいで、これほどまでに浮足立っている。

 無様とすら言えた。

 思わず自らへの嘲笑を浮かべることになる。


(なにを期待しているのやら)


 カナヤは知っている。

 自らの経験を、人生を通じて理解している。

 どうせ彼も同じなのだ。

 父や屋敷の者たちと同じだ。

 きっとテオは彼らよりもお人好しなのだ。

 だから、口にしていないだけ。

 本当は分かっているに違いなかった。

 カナヤ・エルミッツがいかなる人物か。

 いかに貴族の娘として不足しているか。

 ましてや、奥方として役に立たないのか。


 カナヤはテオから視線を外す。

 樹木の幹に体をゆだね、目を閉じる。

 

(どうせ……)


 もはやテオに興味はもてなかった。

 どうせである。

 どうせ自らは1人。

 1人であるしかないのだ。

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