最終話 外ツ國


 出血と疲労、加えて師を切った動揺により崩れ落ちた順三が目を覚ましたのは、翌日のことだった。


 身を起こし、部屋の内装を見て、自分がここ数日寝起きしていた船の中にいると悟る。


 眠っているあいだにまた生体魔法をかけてもらえたらしく、腕の傷も足裏から脚部までの感電傷も、ずいぶんよくなっている。


 寝巻から着替え、そっと廊下に出る。


 昨日までと変わらない、異世界の軍用艦のなかだった。


 静けさに満ちている船内を歩くと、昨日あのような戦いがあったことがまるで夢幻のようで。


 けれどたしかに、師を切った記憶は残っている。


「お目覚めですか?」


 モニカが後ろに立っていた。今日も、楚々とした佇まいで朗らかな表情を見せている。


 視線が順三の左腕と、両足に向いた。歩き回るのにも支障のない状態になったため、ほっとした様子だった。


 その表情も、いつもと変わらない。


「順三様のおかげで、我々は無事に故郷へ戻ることがかないます。いよいよ明後日が出立となりますので、順三様もご準備をなさってください」


「……ええ。わかってます」


「外務省の方々も、まさか最後に剣士を差し向けてくるとは思いもよらないことでした。ですが、公の場で決闘法を持ち出したのです。これ以上の追及はないでしょう」


「そう、なんでしょうね」


 力ない返事を繰り返す順三に、モニカは首をかしげる。


「どうなされたのですか、順三様……なにか、お気になさっていることがお在りですか」


「じゃあ、ひとつだけ質問いいでしょうか」


 順三は言って、片手を差し出した。


 握手を求めるような姿勢だったからだろう、モニカはよくわからないという顔をしながらも応じてくれる。小紋の袖から出た、白手套に覆われた手を無防備に出した。


 その、手首を。


 順三はがっと握りしめた。驚きにモニカが目を見開く。


「モニカさんの目的は、故郷での四民平等……本当はそれだけじゃ、ないのでは?」


「な、なにをおっしゃって……」


「俺も完全にはわかってません。でもことここに至って、ひとつだけ明確になったことがある」


 逆の手を伸ばし、つかんだモニカの手首から伸びる白手套を。


 一気に、剥ぎ取った。


「モニカさん。あなたも、剣士だ」


 指の付け根には、まめが並ぶ。


 長い修練がかたちづくる、一朝一夕には手にし得ない本物の剣士の証がそこにあった。


 見られてしまったことにモニカは肩をすくめ、それからため息と共に肩を落とす。順三は彼女を見据えながらつづけた。


「あなたの目的は、自国での四民平等。それもあるでしょうけど……『この日ノ本にふたたび、剣術を取り戻させる』。そういう目的も、あったんじゃないですか?」


 ここまでに起きた出来事からの推測を、順三は語る。


 モニカは一度だけ視線を上向けて、ちょっと考えてから、またため息をついて視線を下げた。おもむろに順三の手から手套を取り返すと、脱がされた手にはめ直す。


「……まだ気づかれないと考えていたのですが。妾もひとつだけ、予想を外してしまいましたね」


「ひとつだけ?」


「大方、すべては予想の通りに運んでおりましたので。そう──あなたと出会う場面から、阜章末秋が命を落とすまで、すべて」


 にこりともせずに言い、モニカは窓辺に立った。


 港の潮風、かぎ慣れた横浜の匂いを感じる。モニカの金糸の髪が舞う。


「甲板に出ましょうか。今日はよいお天気ですし、語るのならこの街を見ながらがふさわしいでしょう」




        #




 甲板は、廊下の窓辺よりも良い風が吹いていた。秋の終わり掛け、陽光の暖かさと気温の涼しさが入り混じる気候だ。


 昨日の喧騒がうそのようにここも静けさに満ちている。残る死合いの結果は順三の突きこんだ切っ先の痕や、電撃に焦げた跡。【断風】の斬痕などくらいだ。けれどそれも、しっかり見なければわからない。


 風に遊ぶ金髪を押さえながら、モニカは振り返った。


「さて。どこからお話したものかとは存じますが……先にお伺いしても? なぜ、妾が剣士だと気づいたのです」


「なぜと言われると、いろんな積み重ねです。俺の剣の術理にやたら興味を示しましたし、いつも手套を外さないし、よく考えたらその、ほら……湯殿でも掌は見せないようにしてました。あとは『刀を実用してるから』俺を気に入った助真さんと以前から仲が良かったのも気になりますし……でも決定的だったのは最後の相手が師匠だったこと」


「出来すぎだ、とお考えになりましたか」


「正直そうです。それに、関係各所へ働きかけて獄中の師匠を連れ出すなんてことは、きっと須川家やそこからの依頼で動ける人間には無理だ。となればより強い権力をもって働きかけができる人。つまりモニカさんです」


「お見事ですね」


「それからモニカさん。俺はあなたに、【未不差】の技名は教えてません」


 もうひとつ、決定的だった点を告げるとモニカはちょっと、記憶をたどるような顔をした。


 それから思い当たる場面(太一郎との戦いを切り抜けた直後だ)に至ったらしく、こめかみを押さえて苦笑した。


「機転を利かせた技の冴えに、つい興奮してしまったようです。ぼろが出ましたね」


「阜章流を。いや阜章末秋を、知ってたんですか?」


「ええ存じておりました。お話をしたこともあります。……このように言っても信用いただけないかもしれませんが、順三様との決戦は彼の望みです。託したものが歪んでいないか、託したことが誤りでなかったかを、確かめたかったのだと」


「慎重な、師匠らしい言動ですね」


 実際に決戦の終わりに免許皆伝とまで言われたのだ。モニカの言葉に疑うところはない。


 そして師を斬った、という事実が順三の胸に落とすものもないわけではないが、すべてを賭したあの一合の後では捉え方がまったく異なっていた。


 負ければ失われるが、勝てば失わせる、というわけではない。矛盾したような物言いになってしまうが、順三はそのようにあの戦いを理解していた。


「じゃあ師匠も巻き込んで、日ノ本に剣術を取り戻させようとしていた?」


「なぜその『剣術を取り戻させる』との部分にいきつくのでしょう?」


「最終的にはモニカさんも故郷ティルナノゥグで、剣術を復興させたいから。ちがいますか」


 質問に質問で返されたが、順三は迷いなく返した。


 この読みに、モニカは目を見開く。ややあってまぶたを伏せ、順三の言葉が当たらずとも遠からずであることを示す態度となった。


「……なぜ、そうお考えになったのでしょう」


「俺みたいなのを拾ってくれたことに始まり、モニカさんは貴迦人なのにあまりにも刀剣に忌避がなさすぎます。そこで、これは推測なんですが」


 踏み込みすぎる言葉だと思いながらも、順三は彼女に問いを重ねた。


「不要となった職の者が、職とともに不要とされた……と以前言ってましたよね。それは刀剣に関わる者で、モニカさんはその方の不遇を、なんとかしたかったんじゃありませんか」


「……、」


「だから日ノ本で刀を復興できるかどうか、動いていた。試していた。俺がいなければ師匠、あるいはほかにも護衛に呼べる剣士のアテはあったんじゃないですか? 誰か、とにかく剣士が、いまの俺のように暗殺者を撃退して」


 いくら送り込んでも、暗殺は困難であると印象付けて。


「決闘法の場を公につくるよう仕向け」


 その場で民衆含め多くの人間に『剣士が魔法士を倒す場面』を見せつけ。


「これが剣士の復権、刀剣の復興につながるかどうかを、試していたんじゃないでしょうか。……その結果が成功に終わっても失敗に終わっても故郷に持ち帰って経験を活かし、いつか刀剣を復興させるために」


 順三は語りを終える。


 モニカは表情を隠す髪を、風に巻かれながら掻きあげた。


 笑い泣きしているような、非常に繊細で、壊れやすいものと映る顔をしていた。


「政に携わる須川の血筋がためでしょうか。そのように大局観をお持ちだったとは、軽く見ていた非礼を詫びねばなりませんね」


「……結構俺のこと、軽く見てたんですか?」


「……まあ、正直? 剣しかできないんじゃないかなぁこの人──とは、思っておりました」


 そこが順三様のいいところなんですけどね、とくだけた言い方でモニカは笑った。毒気を抜かれてしまい、順三もつられ笑いを浮かべた。


 横浜の街を眺めるモニカの横に並び、話をつづけていく。


「この國は、文化に余裕があり大変結構なことだと存じます」


「文化?」


「ええ。生きるには不要でしょうが、活きるには不可欠なものです。服飾、芸能、技術、意匠……どれも大切なものです。けれど故郷ティルナノゥグには、もはやその余裕はありません」


「……魔法技術供与とかで日ノ本と対等以上に条約を結び、こうしてこれだけの貴迦人で街があふれてるのに、ですか?」


「それは、注力すべきものを絞ったから実現できているにすぎません。王族の勅命により職と住処と婚姻と子の数を操れる以上、当人の意思を無視して、我が國では国民を動員できます」


 国を生かすために個人を犠牲にした、ということか。


 言葉にこそしなかったが、順三の懸念は表情に出ていたらしい。モニカは彼の顔をのぞきこみながら「犠牲は多く出ました」と告げた。


「文化維持の余裕もなく。余暇を奪われた人々、職を奪われ鞍替えを迫られた人々が続出いたしました。そのなかに、剣を伝えてきた我が師もいました」


「剣術、向こうにもあったんですか」


「技芸というよりは、芸能の括りではございますが。過去に使用された歴史の遺物として、余暇を利して細々と伝承しておりました……けれどそれすら、勅命により奪われた次第です」


 モニカが拳を握る。そこに残るまめ、努力しつづけてきたのだろう修練の痕跡から察するに、それはどれほどか苦い経験だったのか。


 順三にはわからない。だが、師との戦いの折に感じた、「すべてを失う怯え」を思えば、わずかばかり想像することはできるように思われた。


「妾はそれが許せず、剣を復興する手立てを模索しました。その過程で、大使として訪れた日ノ本でも剣が失われたことを知りました。あとは、順三様の仰せの通りですね」


 この国に、剣を取り戻させるため。


 きっと、阜章流だけではない。おそらくは幾多の剣士がまだ日ノ本には隠れ潜んでおり、モニカはそれらに復興の機を与えんとしていた。


「おそらく、今回の順三様の奮闘が剣術復興の芽を蒔いたものと存じます」


「そうですかね」


「そうですとも。対等に、すべてを賭す。そのことわりを、積み重ねてきたものを取り戻す契機にきっとなります。そしてゆくゆくは、妾の故郷でも」


 失われたものを取り戻さんと願う彼女は、またひとつ、強く拳を握る。


 開いたその掌を、順三に差し出す。


「まだ妾は、成し終えていません。否、生涯のうちに成し終えることが可能かもわかりません……けれど、道半ばで朽ちようと、道半ばで折れることだけは無いと誓います」


 青の瞳が意志に燃える。


 それを見つめ返す己の目は、どうなのだろう。


 この火を分け宿せているのならいいな、と順三は思い、その手を取った。


「お供いたします。この刃が、果てるまで」






  了

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サムライ追放~魔法が栄えた明治時代に剣術で無双する~ 留龍隆 @tatsudatemakoto

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