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掌編 南古野の居酒屋2

 夜の一九時、書き入れ時。
 俺は鍋に牡蠣を入れていた。
 狭い厨房にこもる熱。その発生源である鍋の油が跳ねこまかなあぶくが衣にまとわりつく。黄金色のしずくがカリカリと揚げ立てていき、でっぷりとした海のミルクのうまみを封じ込めていく。
 うちの人気メニューのひとつである、カキフライだ。

「大将、こっちも牡蠣」
「こっちも」
「カウンターにも一皿くれ」
「あいよ!」

 京白市場は今日もにぎわっているが、老舗をのぞけばうちが一番込み合っているだろう。
 外を見ろ。大行列だ。入るまでに平均三十分待つのなんざ、この通りじゃうちだけよ。
 やはり多少無理をしてでも出店を早めてよかった。裏通りで腕を磨き、近隣店を蹴り飛ばして這い上がり、ここに構えてはや半年。
 当初こさえた借金はふた月で返し終え、借り先だった笹倉組の安東でさえも「やるじゃねぇの」といってたまにここを使ってくれているくらいだ。
 順風満帆、むしろ追い風が強すぎてペダルが空転しているときもあるってもんである。
 ……ふむ。そろそろ人を雇って二号店を考えるときだろうか? まあ、信用できる人間などいないが。もしそういうやつができたとして、だが。
 でもそうなってくると、さすがにやっかみや妬みも大きくなる。店を燃やされるとかのさまざまなリスク回避のため、ケツ持ちも必要になってくる。ここまではのらりくらりと三派閥のどれにも属さなかったが、ここいらでどこかに頼むべきかもしれない。さて俺にもっとも利益をあげさせてくれるのは、どこの派閥だろうな? 笹倉組か、沟か、はたまた組合か……

 考え事をしつつも手は動く。揚げているのを見つつ、下準備として次の牡蠣をナイフで切り割っていく。それから手を洗い、揚げ物はサッとすくいあげた。
 作業台で待つ、下準備の段階からタルタルとパセリをのせて並べておいた皿に向けて、網の上で余分な油を切る。
 さあ俺のカキフライいざ出陣ってなもんだ。

「賞味期限は六〇秒! みなさんおまちどお!」

 威勢よく渡すところまでが俺の料理だ。客はみな思い思いに、そのままであったりタルタルをつけてだったり、サグっじゅグ、とかみしめている。
 品を出すついでに酒も忘れずに聞いて回り、飲み終えてる客にはそれとなく次がつかえてるから帰れとうながし、とにかく回転させていく。うちはまだまだ客単価のとれる店ではないので、回転させるのがキモってもんだ。
 その意味じゃぁ揚げ物はつくるのに時間かかるのが難アリだが、これを「賞味期限六〇秒」と言い切ることでさっさと食わせる。客を急がせるなって? フン、これも企業努力と言ってもらいたいね。

 などと店のなかを忙しく小走りしていると、外に目立つ人影を見た。
 銀髪。小麦色の肌。
 紫の瞳と、目が合った。
 涼やかな目元がガキらしくもない、妙な風体の――たしか、安全組合の幹部《七ツ道具》・三番の補佐におさまった奴だ。スミレとか言ったか。では横についているのが《蜻蛉》の二代目を務める奴、円藤だろう。
 食うところを探しているのか、うちのことものぞいている様子だった。
 ふうん。《七ツ道具》か。
 まだどこの派閥に属すのが旨味になるか検討中だし、連中にコナかけておくのもいいかもしれんな。

「組合の方っすよね?」

 俺が店内から声をかけると、二人はうなずいた。
 俺は精一杯の笑みをつくってみせて、二人を手招く。

「ちぃと並びますけど、ウチどうすか? 後悔はさせませんよ!」

 左右の歯列が均等に見えるように笑う。笑い方ひとつで因縁をつけられる界隈なので、こういう部分もだいぶ矯正したものだ。
 さあ来い、組合幹部も使った店となればハクがつく。たしか安東はこの円藤とも仲が良かったし、店に客として来たくらいでは笹倉組から文句もつけられまい。
 そう考えていると、スミレとかいうのがつい、と店内を一瞥した。
 そしてふい、と顔を背ける。

「ほかにぃきましょぅ」
「なんだよ。並ぶからか?」

 歩き出したスミレの方を見ながら円藤が訊けば、ふるふると首を横に振る。

「並ぶほどのものを感じなぃからです」

 ……なんだと?
 うちの店が、並ぶほどじゃないって言ったのか? このガキが?
 俺のその怒りの感情が顔に出ていたのか、周りの馴染みの客が言う。

「まーまー大将、相手は子どもだよ」
「味の良し悪しもわかんないんだからサ」
「……ですよね」

 気持ちを落ち着けて、俺は厨房に戻る。並べてあった皿に、また揚げ物を並べていく。円藤は「そうか」とガキに従ってそそくさと別の店を探しにいった。この男もこの男で、どういう態度なんだまったく。
 それにしてもあのように冷たい目で見られたのがどうにも癪で、その後も俺は集中を欠くような気がした。


       #


 厄日なのか、それから一時間もしないうちに面倒な客に絡まれた。

「おいっ! お前、アタったぞ! お前ンとこの牡蠣で! おかげさまでゲーゲー吐きまくって仕事もいけず商談がパーだ! どうしてくれるっ!」

 行列を無視して店に入ってきた男は、脂ぎった中年だ。たしか……三日前、開店直後に来たような覚えがある。
 店内の客が動揺しているので、まず彼らに「すいません騒がせて」と謝罪を入れてから、心底面倒に思いつつも男に相対する。どこぞの派閥の者じゃ、なさそうだな。そういう後ろ盾がありゃ最初から言うだろうし、手の者に特有の嫌な気配もなかった。
 だったら強気に出ても問題ない。俺は態度を切り替えて、せせら笑う。
 そもそも、アタるなんざあり得ないんだしな。

「アタったっても、ウチはフライしか出してないすよ? なんかの間違いじゃないすかねえ」
「トボけんな! 芯まで火が通ってなきゃアタんだろが!」

 男はすっかり逆上している。芯まで火が~、って言うが、ウチは二分半は揚げている。
 食中毒の原因菌なんざ一〇〇度も超えない温度でも十分足らずで死ぬってなもんだ、一七〇度超えてる油で揚げて芯まで通らねえってのは握りこぶしみたいな牡蠣でもないとあり得ねえ。

「ここの店、ちゃんと芯まで火ぃ通ってるよ」

 俺と男の不毛な言い合いに、客が加勢してくれた。ありがたいねえ。

「どっか別の店で食ったんじゃぁないの?」
「アタったって言い張って強請るつもりかよ」
「店にもおれらにも迷惑だから帰れ」「帰れよ」「もう帰れ」

 周りが一斉に言えば、男は形勢悪しと見てか頬をひくつかせたじろいだ。
 と、そのときに向かいの店から、さっきのスミレと円藤が出てくる。
 さっきはこの二人に不愉快な気分をさせられたしな。たしか、円藤は《七ツ道具》でありつつ生業は仲裁人だったはずだ。奴にこの男を任せてしまおう。

「ちょっと、《蜻蛉》」

 呼びかけると、円藤は露骨に嫌そうな顔をした。面倒をふっかけられると予期したか? ざまあみろ。
 とはいえ呼ばれて無視はないと思ったのか、奴は近づいてきた。その後ろからちょこちょこと、例のスミレとかいうガキもついてくる。

「インネンつけられて困ってるんすよ、なんとかなりませんか」
「はぁ。因縁っていうと?」
「ウチの牡蠣にアタっただのなんだのって……フライで、あり得るはずもねえのに」

 ねえ? と店内に同意を求める。客はみんな俺の味方だ、うんうんとうなずいてくれた。男は怒り狂っているけどな。
 ところが例のガキだけが、はぁとため息をつく。

「ぁり得なくもなぃでしょぅ。この店なら」
「……なに?」
「『並ぶほどでなぃ』と思ったのも、どぅやら『ァタって』ぃたょうですね」
「おいスミレ、掛詞で煽るな」

 円藤が場を取り繕おうとするが、もう遅い。俺は食ってかかった。

「……こっちもインネンつけてくるとはな。組合幹部の補佐だかになって、調子に乗ってるのか? ガキ!」
「調子に乗ってぃるのはそちらでしょぅ」
「なにがだ!」
「料理で大事なのは味ょりも見た目ょりもまず、安全です。それをぉこたって一時の繁盛にぁぐらをかぃてぃるょうな人を、調子に乗ってぃる以外にどぅ表せと? 天狗になる? 増長する? 舞ぃ上がってぃる? どれがぃいでしょぅ?」
「こいつ煽りの語彙だけは日邦語にめちゃくちゃ精通したな……」

 なに感慨深いみたいな顔してんだ円藤。お前の監督下だろ、お前の責任だぞ!

「ここまで悪口雑言バラまくってのはもはや中傷ってなもんだぞ! てめえら、組合幹部だからって守られてると思うなよ!」
「法務執行人呼ばれたら俺らだって普通に裁かれるよ……ってのは置いといて、スミレお前が蒔いたタネだぞこれ。そこまで言う根拠は、あるんだよな」
「皿です」

 ガキは端的に言って、俺の店のカウンターを指さした。酔客にからまれにくいよう、高めにしているカウンターである。
 当然その向こうは見えないはずだが、

「作業台にぃまも、四皿載ってぃますね。ぉそらく揚げたものを手早く載せるため、下準備のときからぉいてぃるのでしょぅ」

 調理中の皿の数を、正確に言い当てた。

「……なぜ見えてないのに、四皿だとわかる?」

 俺が問えば、面倒くさそうに「揚がる音が込み合ってぃますから数皿分を同時に揚げてぃるのがゎかったこと、三組の客が心配そぅにカゥンターを見てその音を聞ぃてぃるそぶりがぁったこと、カゥンターの客もゎたしたちの会話のぁいだに焦げなぃかとこっちと厨房と双方を見るべく半端な姿勢になってぃること」と簡潔に答えた。
 その目には青の発動光がある。
 感覚の拡張。機構運用者だ。

「音からしてぁと二十秒もせず焦げますょ。ぃったん火を止めては」
「……、」

 感覚拡張をしている者に言われたなら、そうなのだろう。俺は火を止めに行く……たしかに、焦げる寸前だった。くそう。

「だ、だがなぁ。皿が、なんだってんだよ。手早く作業するため置いてるのが、どう問題だってんだ。食中毒にゃ関係しないってもんだろ」
「『下準備のときからぉいてぃる』のが、ぃけなぃのです。タルタルソースやパセリは、そこにずっと載せてぁるのでは?」
「それがなんだと……」
「あ」

 ふいに思いついたか、円藤が口を開いた。
 俺とガキが同時に奴を見ると、頬をかきながら答える。

「……下準備のとき、『牡蠣から散った』ってことか?」
「これだけぉぜん立てすればぁなたでもゎかるょうですね」
「丁寧に煽んな」

 二人は馬鹿話のノリだった。
 が。
 俺も、これだけお膳立てされて、ようやく気付いた。
 フライそのものは火が通っている。生の牡蠣に含まれていることのある食中毒の原因菌は死に絶えている。だからフライからは食中毒になどならない。
 けれど、生の牡蠣には、菌が含まれている。付着している。
 殻をナイフで切り割って作業しているとき……そのしずくが、タルタルやパセリ、皿に散っていたなら? それらは加熱などされない。菌はそのままとなるってなもんだ。
 黙り込んだ俺を見て、彼女は――スミレは、またため息をついた。どうやら俺が真相にたどりついたと知ったらしい。

「ほとんど事故のょうなもの、とは思ぃますが。それでも店の回転を早めたぃのなら、ほかにできることがぁったのでは? 一か所ぉざなりになればかならず、綻びが出ます。全体を見直すことをぉすすめします」
「……、」

 返す言葉もなかった。
 思えば今日、俺が目を合わせた人間は、客でもないこいつとだけだ。
 客を見ることが、このところちゃんとできていただろうか。
『うまくいっている』のだと、そのことばかり考えて。なぜうまくいっているのかとか、考えていなかったんじゃないだろうか。
 それが作業に甘さを生んだ。
 こう思い、俺は顔を上げる。中年の男と、目が合った。

「……あんた」
「お、おお」
「すまなかった。ウチの出し方に問題があった」
「わかってくれりゃいいんだ。……そンで大将さんよぅ、補償の話だがなァ」
「貝類食うのはそれそのものが一応リスクと言えなくもないんだから、過度な補償は求めないようにな。うまくいってたかもわからない商談の稼ぎ分までをもフっかける真似はやめとけよ、とくに仲裁人である俺の前では」

 俺に詰め寄ってきた男に、円藤が釘を刺す。どうやらそのつもりだったらしい男は、舌打ちしそうな顔で「……じゃあ日当分で」と手打ちの金額を告げてきた。

 そのあいだにスミレは、飽きたような顔つきで外に出ていく。
 視線の先を追うと、食後だから甘いものがほしいのだろうか。近くの屋台の大判焼きに吸い寄せられていた。

 ああ、
 その目。
 そうだ。なぜ俺はこのところ、客の目を見ていなかったんだ。

 腹すかせて目をかがやかせている客。
 期待が満たされる瞬間の客。
 閉業後に金を数えるのは安心をもたらしてくれたが、喜びをもたらすのはいつだってあの瞬間だったのに。
 ……信用を回復、できるだろうか。
 あの子の目を俺がかがやかせることは、いつかできるのだろうか?
 そんなことを考えて厨房に戻る俺の頭からは、いつのまにか二号店を開くだの利益をあげるだのという考えは雲散霧消していた。

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