第17話 秘史
その後、取り押さえていた「テンさん」は、残念ながら取り逃してしまった。
警察に通報しようとしていた隙をついて、逃げられてしまった――弓月少年はそう説明してくれたが、私は取り押さえていた「キツネさん」がわざと逃がしたのだと思った。
仕事上とはいえ、兄貴分だった人間だ。それなりに情があったのか、彼なりの筋の通し方なのだろう。
だが結局、佳奈美を襲った件で通報した内容を元に、捜査が行われて「テンさん」は逮捕された。それでも表沙汰になった事件は、佳奈美を襲った件くらいなもの。私が以前経験した世界で「キツネさん」が受けた罰と比べれば、ずっと軽い刑になりそうだ。
そして肝心の「キツネさん」は――戸籍の取得について相談する際に、今までの
生活について説明するなかで、やはり犯罪に該当するものが複数あった。もちろん
そのまま放置する訳にもいかないので、関係機関とも相談しながら手続きを進めて
いる。場合によっては、刑に服する必要があるかもしれないが、それでも愛理や佳奈美を大々的に殺してしまうよりは、はるかに刑は軽いはずだ。
「テンさん」も本来なら「キツネさん」への情報伝達係だったのだから、当然
「キツネさん」の供述によっては、刑が加算されてしまう可能性もある――のだが、「キツネさん」は本人は明言してはいないが、なんとなく「テンさん」の関与については話さないだろうと私は予想している。
それが彼なりの通したい仁義なのだろう。
これで晴れてすべての難題が解決した。
救いたい人たちが生きている世界を手に入れた。
手に入れてみれば呆気ないくらいに、そこから続く日々はごく平凡で平穏だった。
退屈なんて思わない。
私はその価値を知っている。
――そう思っていた矢先、X集落のあった添山で山火事が発生した。
普段あまり人の行き来の少ない場所だということで、火はあっという間に燃え広がり、山全体が炎に包まれ、山にあったほとんどのモノが焼失してしまった。
これだけでもこの地域では最大級のニュースなのだが、更に驚くべきことに、
焼け跡から、男性の遺体まで発見された。
そしてその後の調査で、遺体は添山の近くにある橋立神社の神主を務める仲舘と
いう男性であることが分かり、地元の名士の不可解な亡くなり方に、地元では様々な噂が飛んだ。
言うまでもなく、この仲舘という人物は、佳奈美に「お祓いをしてあげる」ともちかけた人物だ。電話越しとはいえ、直接コンタクトを取ったことのある人物の死に、佳奈美は大きなショックを受けていた。
「すべてを橋の向こう側に持っていくことで、自ら
同じニュースを知ったとき、「キツネさん」は一言そう呟いた――その時、その場にいた弓月少年は教えてくれた。
「佳奈美さんが調べていた『橋姫の里』は、おそらく本当に存在していた秘史なのでしょう。だからこそキツネさんも橋を渡り、異界の人となった。X集落の橋は、真実橋姫の里にあると伝えられてきた神域、異界へと渡る橋だった――そういうことなのでしょう」
あの日以来、キツネさんと最も長く時間を過ごしている弓月少年のことだ。
私は知らない事情も何か知っていたのだろう。その言葉には不思議と真実の重みがあった。
***
本来俺は生を受ける予定のない存在だった。
今となれば知るすべはないが、俺を身籠った母は金か愛情、もしくは両方がない
ままやむをえず俺をこの世に産み落としたのだろう。物心がつく前には、端金と
引き換えに組織に売られたと聞いている。
その時点で戸籍もなかったので面倒はなかった――そうテンさんから聞かされた。
初めから母は俺をまともに育てる気持ちはなかったのだ。
唯一与えられた狐の面も気まぐれか、最後くらいは母親らしいことがしたかった
のか。
それでも自分の身元を知る唯一の手掛かりだ。俺は狐面を大切に扱った。
売られて組織の一員となったとはいっても、所詮は幼児。たいしたことは出来
ない。
組織の人間は何かを奪われた人間ばかりだったから、気まぐれに愛情を与えられる存在が欲しかったのだろう。幼い俺は人形のように扱われ、様々な大人の間を転々とした。
そのほとんどは適当に菓子を与えたり、どうでも良い用事を言いつけたりするだけだったが、一人の年配の男は俺に本を与えてくれた。絵本などではない。かなり昔の本でカタカナばかりの本だ。男がどうしてその本を選んだのかは分からないが、その本で俺は文字を覚えた。
長じて外の世界のことを知るようになり、カタカナ以外にも世界には多くの文字があることを知るが、組織が改めて俺に教えることはなかった。今思えば、むしろカタカナ以外の文字を覚えることを嫌がっているかのように他の文字から遠ざけられた。
文字ばかりではない。
他のことも「仕事」で必要なことだけを単発的に教わるだけで、体系的に何かを
教わる機会はついぞなかった。
そもそも人目を避けた場所ばかりを移動していたから、外の世界はほとんど知らなかった。
それでも俺の世界はそこだけだったから特に不満はなかった。
外の世界は知らないけれど、ここを抜けたらもう行き場はない――それだけは薄々気づいていた。
X集落に来たのは、10年ほど前だろうか。
その頃には身体も大分大きくなっていた俺は、組織から普段はある植物を育てる
ことを命じられ、時折「やらかした奴」を処分することを命じられるようになった。植物の育て方や「処分の仕方」は指導係をつけられみっちり仕込まれた。その指導係がテンさんだった。
テンさんからは「俺以外でX集落に来る奴は、処分してよい」と言われ、テンさんも「指導」や「仕事の確認」、「俺への食料品や日用品の運搬」といった仕事以外では集落に来ることはなかった。
とはいえX集落は山の奥だから、時折大量のゴミをトラックに積んだ奴らが来るくらいで、ほとんど人なんて来ない。
それだって彼らはX集落に生身で足を踏み入れた訳ではないので、数回脅して看板を立てかけたら来なくなった。
だから実際に処分したのは、「やらかした奴」の仲間が救出に来た時くらい。それだって合計で3回くらい。いたって平和だった。
そんなある日、俺への食料品や日用品を運んできたテンさんから「妙な奴が来たら処分しろ」と改めて言われた。
なんでも俺の住むX集落を偶々見つけたバイク乗りがここのことを広めていたので、テンさんが一応脅しておいたけれど、物好きが来るかもしれないとのことだった。そいつらを遠慮なく処分しろということだ。
『そいつらは組織の人間じゃないだろう。テンさん、本当に処分していいのか?』
『ここは呪われた廃集落だ。祟りで死ぬのは当然だろう。目立つような真似だけは
避けろよ』
俺が育てている草と、今までに処分した奴らの死体が見つかるわけにはいかない。だからテンさんはあくまでも真実をベースに脅したのだと嘯いた。機械のことだから、俺には詳しいことはわからない。だがテンさんの言いつけは守ると約束した。
――そして訪れたのが若い女の二人連れだった。
その二人は機械で何やら映しているのは許し難いが、それ以外に悪意はないように思えた。
だから俺の住んでいる家に入ってきたときにたっぷり脅かし、機械を捨てたうえで処分はせずに逃がした。
処分するまでもない――俺はそう判断したのだが、テンさんと組織はそうは思わなかったようだ。
女たちが帰った後に、血相を変えてテンさんがやってきた。
『お前が消さなかったから、面倒事が起きた。女を殺さなければ、お前を追放する』
テンさんと組織は監視していたのだ。
神域にある祠と神域に繋がる橋に据え付けてある機械を通して、俺と女たちのやりとりを把握していた。
同時にそれは俺を監視するための機械であることも、その時知った。
そして早速ふもとの店で女たちの様子を監視していたテンさんは、二人をこのままにしておくとX集落のことを広められてしまう恐れがあると重々しく告げた。
ここ以外行き場のない俺は、女たちを処分するしかない。
テンさんは「処分さえするなら、女たちのカバンに仕掛けておいた機械で居場所と会話は分かるし、女たちの居場所のそばに宿も用意する」と言ってくれたから、すぐにその提案に乗った。
しかし女たちは大人数で住んでいたため、近づくのは至難の業だった。
何度も女たちが共同で済む住居の前に行ったが、気づかれて女の一人は姿を消してしまった。
後から宿に来たテンさんにそのことを告げると、自分も機械を使って女たちとやり取りをして俺を援護していると励ましてくれた。更にテンさんは人の姿を映す機械――カメラを避ける方法を指南してくれた。そこで早速調べ物をしている
おかげでやっと女の一人に近づいたものの、ここでも他の女に気づかれてしまった。
次こそは処分しないと――。
今度は綿密に計画を立てることにした俺に、テンさんから驚くべき情報が届いた。
狐面の男が女たちの住居の前に現れたと、内通者の女から連絡があったというのだ。失敗続きの俺だけでは頼りないと判断したのか、テンさんは女たちと一緒の住居に住んでいる女と親しくなり、情報をもらっているという。そして組織のトップ自らも女の処分に乗り出したと聞いた。
これも俺のせいだと、その時は申し訳なく思った。
同時に「どういうことだ?」と現場まで行くことにした。
――そして俺は囚われの身になった。
そして数日後、X集落を含む添山が燃えた。
いにしえの昔は、各地からこの世界から消えることを願われた人間たちを生涯軟禁する場として機能してきた「橋姫の里」。
高貴な人々からは莫大な財産と引き換えに、その人を生かさず殺さず住まわせて
きた場所。
そこはある事件を契機に、存在を知られてはならない草と処分の場所へと変わった。
変わらないのは主だけ。
だから運命を共にしたのだ――すべてを橋の向こう側に持っていくことで、自ら
俺はようやく解放された。
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