第10話 夜空
弓月少年こと「過去に戻る方法を教えてくれた青年」と会った翌日の土曜日、
早速彼から連絡を受けた私は、東京近郊にある一軒の家に向かうため電車に乗って
いた。初めて乗る路線の電車とバスを乗り継いで、待ち合わせに指定された家へと
急ぐ。
正直、昨日の今日でいきなり結果を出すなんて信じられない気持ちでいたけれど、実際にその洋風の一軒家に着いて奥から愛理が顔を覗かせると、もう認めざるを
得なかった。
どうやら私は、予想以上に有能な味方を得たのかもしれない。
アンティーク調の家具に囲まれた客室に通された私は、上質な皮を使用した
ソファーに座ったまま、一方の愛理は客室の扉の前に突っ立ったまま、しばらく
言葉もなく互いを見つめていた。
「……ごめん」
そしてようやく口を開いた愛理は、珍しくただ一言素直に謝った。
いつもと違う殊勝な態度を見せる愛理に、一瞬言ってやろうと準備していた
文句も引っ込んでしまった。
「どうして突然いなくなったりしたの? 私も佳奈美もすごく心配して、
あちこち探し回っていたんだよ!」
我に返った私が問い詰めると、愛理は負い目があるせいなのか、困り顔を
するだけで、いつものように反論しようとしてこない。
調子が狂うなと思いつつも、更に言葉を重ねようとすると、事前に事情を聞いて
いたのか、そんな愛理を庇うように少年がフォローする。
「愛理さんによると『0』と連絡を取ったものの、X集落で会うことには同意せず、そのまま単身でX集落に向かって、
お一人で襲撃しようと考えたそうです。とはいえ、X集落まで来たものの狐面の
男を探し出すことはかなわず、ビジネスホテルに留まって策を練っていたよう
ですが……」
なるほど。愛理は会う約束をしないことで、男が油断したところを襲撃しようと
考えたのか。随分粗削りな計画だ。
それにしても初対面でよくこれだけ心の内を聞き出せたなと感心する。
私が感心している今この瞬間も、弓月少年はさりげなく、突っ立ったままの
愛理にもソファーに腰をかけるよう促す。相変わらずとても十代とは思えない
ほどの気配りだ。
「前日の夜にあの男が寮の前にいるのを見ちゃったんだ……。だから逆にやられる
前に、こちらからやってやろうと思って――。唯香が話した未来にみたいに誰かを
巻き添えにはしたくないから、一人でね。それにまさかこちらから仕掛けてくるとは予想していないだろうから、不意を突けば一人でも行けるかな……って」
おずおずと愛理が補足するが、もちろん納得できるものではない。
失踪前日、運営するオカルトサイトにX集落の記事を掲載した罪滅ぼしのつもりで、たった一人で狐面の男に挑もうとしたのだろうが無鉄砲すぎる。
「まあ、いずれにせよ、これは好機です。今の状態なら、愛理さんだけでも、
このままこの家で保護しても怪しまれません。狐面の男は、愛理さんと佳奈美さん、
二人を狙っている訳ですから」
そう。
狐面の男が狙っているのは、佳奈美と愛理の二人なのだ。
私が過去に戻る方法――なんて荒唐無稽なことを知る前の世界では、佳奈美
だけが襲われたのは「愛理と間違えた」「愛理の顔は、しっかり把握できな
かったから」だと、後に狐面の男が証言している。
そして前回私が過去に戻った時には、既に愛理は6人の男子大学生と共に
殺された後だったから、その後残る一人である佳奈美も殺された。
今回は早い段階で二人が住む寮の前まで狐面の男が来ているのを、失踪前日
に愛理が確認している。それに加えて愛理自らもX集落に向かって様子まで
伺っているから、今この時点では愛理の顔も完全に把握されている可能性が高い
――と弓月少年は言う。
「佳奈美さんがX集落で何度も強い視線を感じたのは、おそらく監視カメラがX集落のそこかしこに仕掛けてあるからでしょう。特に毎回佳奈美さんが襲われるのは、真正面から顔を見ることが出来る位置にある監視カメラを佳奈美さんが覗き込んでしまったからだと推測できます。しかし愛理さんはそうではなかった……」
そうだとしても、たった一人でX集落に行って狐面の男と対峙しようとする
愛理はやはり無鉄砲すぎる。
私は思わず溜息を吐いた。
「……だとしたら、次は佳奈美が危ない。愛理だって、もう一度X集落に行った
のだから、今度こそ顔を確認されてしまった可能性もあるんでしょう?」
嫌味のつもりではないが、思わず私がそう言うと、愛理はグッと口の端を噛んで
複雑な表情をした。
「そうですね。狐面の男は、組織の人間に命令されて佳奈美さんを次に狙ってくる
でしょう。だから佳奈美さんを襲う前に彼に真実を告げる必要があります。……男
との交渉は僕に任せて、あなたは佳奈美さんを全力で守り抜いてください。今度は
周囲の協力も得て」
二人が狙われているのは、X集落で行われていた犯罪の数々を目にしてしまった
可能性があるため――これも最初にいた世界で狐面の男が口にしていた。
だからこの世界でも組織にとっては、なんとしてでも二人の口を塞ぎたいところのはず。狐面の男は、それに従っているに過ぎない。
だから彼自身の安全を保障し、こちらの味方に引き入れてしまえば、あるいは――それが少年の解決策だった。
それにはなんとしてでも狐面の男が佳奈美に接触する前に、男に真実を告げて説得をする必要がある。
「あの狐面の男も救いたい――それは、僕も同じですから」
私の目を見据えて真剣にそう言う少年の言葉に、私も「もちろん。皆が救われないと意味がありませんから」と返す。
私たちのこのやり取りを、愛理が不思議そうな顔で見守っている。
私が一部しか未来の出来事を話していないので、話に付いていけていないのだ。
「……どういうこと?」
愛理がぽつりと零した言葉の意味をすぐに察した少年は、またしても間を置かずフォローを入れる。
「詳しくは後ほど僕から愛理さんにご説明しましょう。愛理さんのご両親とも相談
して、学校側にも事情を話しておくつもりです。寮も引き払った方が良いかもしれ
ません。あとは一日も早く、佳奈美さんに実家に戻ってもらうこと――こちらは
あなたにお任せします」
私は力強く頷き、すぐにでも実行すると約束して家を出た。
愛理と少年に見送られ、外に出ると空に星が散りばめられているのが見える。
こうしてみると夜空に星が見える――そんな当たり前のことを、随分長い間忘れていた――そんな気がした。
自分が何をすべきか、その道筋がついて、気分がすっきりして余裕が出来たからかもしれない。昨晩弓月少年に会うまでは、あんなに不安だったのに、今では自分を取り巻く世界までが優しくなった気がしてくる。
久しぶりに夜空を眺める余裕が出来た私は、バスを待つ間、しばらくぶりにスマホの画面ではなく、星々の美しさを堪能することにした。
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