第3話 その方法(修正済み)


 その日の夕方、私は待ち合わせのバーに向かい、雑踏の中を早足で歩いて

いた。 


 思い出したように鳴くカラスの声が、夜の訪れを告げている。あと1時間

ほどもすれば、この人でごった返す町並みも暗闇と人口の光が織りなす別の顔

を覗かせるのだろう。

 いよいよ願いが叶うかもしれないと思うと、バーに近づくにつれて期待と

高揚感で鼓動がどんどん速くなっていく。


 今夜本当に過去に戻れるのであれば、私は――何だってできる。


 あのメールを送って、1時間もしないうちに返信をもらった時から、私の気持ち

がぶれることは1度もない。


 私はこのチャンスに賭ける。

 

 今まで家族が悲運に涙するたびに、私は過去へ戻ってやり直す決意を固めて

きた。 

 方法を探している間も、ネットの中でも上から目線の説教を試みてくる人が

数えきれないほどいた。


 彼らは言う。

「そんな夢物語に縋っていると、現実の生活がますます悪化していくだけだ!」

「そんなことに労力と時間を使うなら、もっと有益なことに使え!より良い未来

への先行投資だ!」

「誰でも見えないところで苦労はしている。苦労した過去があって、今の自分が

ある!」


 でもこんな自称正論は、本当に忠告の気持ちから出た言葉だとしても、今の私にとってはノイズに過ぎない。

 圧倒的に残酷な現実を甘んじて受け入れろと強制してくるこれらの言葉は凶器に

なることはあっても、生きる希望には決してならなかった。個人の感情を無視した

正しさは、何も響かない。


 それでもこういった考えが、やはり常識なのだと思い知らされ、斜め上の諫言を

見るたびに、精神にこの上ないダメージを受けてきた。共に「過去に戻って人生を

やり直す」ことを目指している人々の存在がなければ、とうに人生を諦めてしまっていただろう。

 

 走馬灯のように、長いようで短かった「過去へ戻る方法」を探求してきた道程が

一気に脳裏を流れる。 


 ――ようやくここまで来られた。


 レンガ造りのモダンな店構えのバー「夜半の月」を前にして、私は感慨深く店の

看板を見上げた。


***


 思い切り深呼吸をして気持ちを落ち着け、私はバーのドアを開ける。

 カランカランとアンティークなドアベルが鳴り、カウンターにいたマスター

らしき初老の男性が「いらっしゃいませ」と甘い低音ボイスで迎えてくれた。

 黒のカマーベストとスラックスがよく似合う、今でいうイケオジだ。清潔感

があり、品がある。


 私はぺこりと頭を下げると、カウンター席だけの小さな店内を見渡した。


 すると一番奥の席に、私よりも年下に見える眼鏡をかけた細身の男性が手を

ひらりひらりとこちらに向かって振っている。


 私は小さく会釈して彼に応えると、彼の隣まで移動して「あの、メールで

待ち合わせをした……」と念のため小声で確認をした。


「はい。過去に戻る方法……ですよね?」


 彼は何のてらいもなく、大きな声で言った。


「……はい」


 私はネット以外では家族にも「過去に戻る方法」については話題にしたことは

なかったので、この場にいる唯一の第三者、マスターがこの会話をどんな顔で

聞いているのかと心配になり、マスターの表情を伺いながら小さな声で返事をした。


 自分で希望していることながら、男にあまり大声で口に出さないでくれとヒヤ

ヒヤする。


「マスターなら大丈夫ですよ。長い付き合いなんです。さあ、どうぞ。あなたも

おかけください」


 さらりとそう言いながら、男は既に頼んでいたらしきジントニックを愉快そうに

グイっと飲み干す。見かけによらず豪快な性格をしているようだ。


 よく見れば、眼鏡の下の顔のパーツの1つ1つは整っている。目は切れ長だし、

鼻も小ぶりでスッと通っていて、唇の形も良い。

 しかしそれも街中でよく見かけるグレーのツーピースのスーツで身を包み、短髪

で細身といった、それ以外の平凡さで隠されてしまっている。

 だから外見上はごく普通の大人しそうなサラリーマンにしか見えない。


 マスターもそんな男の態度に慣れているのか、何も言わずにグラスを磨いている。それなら……と私も男の隣の椅子に腰かけ、目の前にあるメニューから1つカクテルを選んで、マスターに注文した。


 私が注文したのを確認すると、男は先ほどまでの声よりずっと低い声で、ひどく

真剣に「今までよく頑張りましたね」と言った。長い間聞いたことのない労いの声に

私は思わず感極まって泣きそうになる。


 だがここに来て、急に不安になってきた。

 「出来過ぎている」気がしたのだ。


 メールのやり取りから事ここに至るまで、男は一度も金銭や個人情報も含めて、

何かを要求してくることはなかった。

 冷静に考えれば「過去に戻る方法」という、言ってみればチートな技を何の見返りもなく教えることなんてあるのだろうか。

 やっぱり騙されているんじゃないだろうか。


 何かヒントはないかと、私は改めて店の様子を観察する。


 ブリックタイルの壁面や、アンティーク・ランプによる間接照明、テーブルや椅子、ドアに使われているドアはダークトーンの重厚感のある木材が使われていて、

この店を幻想的な空間へと変えている。マスターの拘りを詰め込んだことが見て取れる以上、この店は軽薄なビジネスの舞台として即席に調達されたものではない……と信じたい。


 それでも客が誰もいないことには、やはり不安が残る。

 マスターと男、二人がグルだったら……と、どうしても疑ってしまう。


 さっさと本題に入って、ヤバそうだったらさっさと店を出よう。

 駅前には交番があった。いざとなったらそこに逃げ込めばいい。


 そう思った私は5000円札を財布から取り出し、いざとなったらレジに置いて店

から出ることにする。


 そこまで覚悟を決めると、私は思い切って本題に入ることにした。

 

「それで、あの、本当に過去に戻る方法を教えてくれるのですか?」

 

 一人で言葉もないまま、脳をフル回転させている私を、隣の男は面白そうに観察

していたが、私が質問をすると、真剣な表情に戻って断言した。


「ええ、約束ですから」 

    

 そう言うと、男は柔らかい笑みを浮かべて、小さく折りたたんだ紙を私に渡した。


「どうぞ」


 促された私が中を開くと、そこには今までネットの世界では一度も目にしたことのない「過去に戻る方法」が書かれていた。



 中身を読んで、私は思わず目を丸くした。

 それはとても簡単で、それこそ小さな子どもでも実践できるような方法だった

のだ。

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