第十六話  鎌売の秘密、其の一

 鎌売かまめは十六歳で婚姻したあとも、上毛野君かみつけののきみの屋敷の女官として務め続ける事ができた。

 広瀬ひろせさまに口をきいてもらったからである。




 広瀬さまは、時々、あたしをねやに呼んだ。

 指一本触ることはなく、椿売つばきめとの思い出話を所望する。

 その夜のなかで、直談判したのだ。


「二つ、お願いがございます、広瀬さま。

 一つ、あたしが婚姻しても、女官として務めさせてください。

 二つ、広瀬さまが今後、毛止豆女もとつめ(正妻)であれ、宇波奈利うはなりめかけ)であれ、新しい妻を迎えたら、あたしをその妻のお側付そばづきの女官としてください。

 あたしは、女嬬にょじゅとなるのが長年の夢なのです。

 この二つを叶えてくださいましたら、……椿売つばきめの、あるおのことの恋の話をいたします。」


 椿売つばきめは、広瀬さまのことをあたしに話そうとはしなかった。

 ただ、久君美良くくみらに詰め寄られた夜。

 たしかに、広瀬さまを恋い慕っていることを、行動で示した。

 あたしには、その事しか広瀬さまに言える話はないが、……きっと、広瀬さまには十分なはずだ。


 ばらしてしまうことは、椿売には、ちょっと申し訳ない。

 きっと椿売は、黄泉から苦笑いをしてあたしを見ているだろう。

 ……でもきっと、もし椿売に、


「あたしの夢の為なの。」


 と、話をできたのなら、椿売は、あでやかに笑い、


 ───ふん、仕方ないわね。


 と、この話を広瀬さまに話すことを、許してくれそうな気がする……。





 ピリピリとした気配をまとって、広瀬さまが、


「……今、言え、と言ったらどうする?」


 とあたしを見据えた。

 あたしは倚子を立ち、礼の姿勢をとった。


「あまり、長い話をご用意できるわけでもないのです。

 言いません。

 この話は、あたしの夢を手繰り寄せる、命の(最後の切り札)です。

 ……きっと、こんな強情ごうじょうなあたしを、椿売は笑って許してくれると思っています。」


 広瀬さまからいらついた雰囲気が消えた。

 広瀬さまは、はあ、と息を吐いて、額に手をあてた。


「……たまらんな。その名を出すとは。……わかった。おまえの好きにするが良い。」


 そう言ってくださり、あたしは婚姻後も女官として務めを続ける事ができたのだ。








 ───翌年、丁亥ひのといの年。鎌売、十七歳。


 広瀬さまは、相模国さがむのくにの大豪族の娘を、毛止豆女もとつめ(正妻)として迎えた。


 しかし、この十八歳の娘は、とんだワガママ娘であった。


 自分の生家から大量に、女官、武人を連れてきて、自分のまわりを、その者達で固めた。

 その毛止豆女もとつめをお世話する上毛野君かみつけののきみ女嬬にょじゅは、笑ってしまうほど些細ささいな事で、物を投げつけられ、上毛野君かみつけののきみの屋敷を放逐ほうちくされた。


 ……あの、あたしにいつも意地悪を言っていた女嬬にょじゅである。


 そのワガママ毛止豆女もとつめは、さっさと自分が連れてきた女官を、女嬬にょじゅとしてしまった。


 あたしは女嬬になるどころか、その毛止豆女もとつめ付きの女官になる事もできなかった。

 広瀬さまは、


「約束を忘れたわけではない。だが、はどうしようもない。許せよ。」


 ますますかげを色濃くしながら、そう言った。

 あたしは頷く事しかできなかった。






 ───戊子つちのえねの年(748年)、鎌売、十八歳。


 ワガママ毛止豆女もとつめが、おのこ緑兒みどりこ(赤ちゃん)を産んだ。


 その後、広瀬さまは、宇波奈利うはなりめかけ)をさとから迎えた。

 控えめな雰囲気の、美しい十八歳の娘、宇都売うつめさまである。


 広瀬さまはあたしとの約束を果たしてくださった。


 宇都売うつめさまがこの屋敷にいらした初日、あたしは、宇都売さま付きの女官として、初顔合わせをした。

 広瀬さまは、約束以上の事をしてくださった。

 なんと、その初顔合わせで、


宇都売うつめ上毛野君かみつけののきみの屋敷のことは、右も左も分からぬであろう。

 鎌売かまめ女嬬にょじゅとするが良い。

 家柄も良く、気働きばたらきも良く、色々とまかせられる女官だ。」


 と、あたしを女嬬にょじゅしてくれたのである!


 宇都売さまは、


「わかりましたわ。」


 と、にっこり笑い、すぐその場であたしを女嬬にょじゅにんじてくださった。


「ありがとうございます! 宇都売うつめさまに忠義を尽くし、粉骨砕身ふんこつさいしん、お仕えいたします!」


 あたしは礼の姿勢をとりながら、胸がいっぱいになっていた。

 いよいよ、夢の階段きざはしを登れる……。


(宇都売さま。今は、広瀬さまに言われたから、あたしを女嬬となさっただけでしょう。

 でも、後悔させませんわ!

 必ずや、宇都売さまをお守りし、上毛野君かみつけののきみおみな達の誰よりも栄えさせてみせます!)


 あたしは使命に燃えた。



 だが三日たった朝、宇都売さま付きの女官の一人、大田児おおたこが、鬼の首をとったように、宇都売さまに進言した。


「宇都売さま! 鎌売は女嬬に相応しくございません。即刻、女嬬を解任なさるべきですわ。」


 朝の白湯さゆ白酒しろさけを召し上がっていた宇都売さまは、その剣幕に、びくっ、と肩を揺らして、


「え……?」


 と戸惑った。

 倚子に座る宇都売さまの背後に控えたあたしは、ぎっ、と大田児おおたこを睨みつけた。


 そろそろ二十歳になろうかという大田児おおたこ、女官の例に漏れず美人ではあるが、上下に間延びした顔を隠そうと、化粧紅を頬にいつも濃くつけている。

 おかげで赤ら顔に見える顔で、勝ち誇ったように、


「そのおみなは、信頼できません。なにせ、あるじを差し置いて、広瀬ひろせさまのねやはべっている女ですもの。

 ずっと前から、昨晩だって! 

 嘘ではありません。皆、知ってる事ですのよ、宇都売さま。」


 と言い、薄笑いを浮かべた。


 

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