第十五話  よろしなへ

 満月照らす、佐味君さみのきみの屋敷。


 はじめの刻(夜9時)。


 まだ、大広間では、宴が続いている。

 琵琶の、ぼろん、ぼろん……、という音と、龍笛の、ひょぉぉ、という音が、楽しげに、途切れ途切れに聞こえ、ほんのり、人々の笑い声も聞こえてくる。


 佐味君さみのきみと、石上部君いそのかみべのきみの、親族顔合わせの宴。

 もう、遅い時間なので、おみな、子供は家に引き上げている。

 残ったおのこ達は、ふるまわれ続けるご馳走と浄酒きよさけに、皆上機嫌だ。つまり酔っぱらいが残っている。


 鎌売と八十敷が、夫婦めおとになりますよ、というお披露目の宴である。


 まだ、二人は一緒に暮らし始めてはいない。

 この後、日を開けて、また、石上部君いそのかみべのきみの屋敷で宴があり、皆から正式に夫婦めおとと扱われるのは、その後からである。


 そうなのではあるが。


 十八歳の、石上部君八十敷いそのかみべのきみのやそしきは今、先に寝た鎌売の奥床おくとこ(寝室)へと続く簀子すのこ(廊下)にいる。


 もう、夫婦めおとになることを前提とした男女。

 家の覚えめでたければ、この親族顔合わせの宴で、つまとなるおのこが、つまとなるおみなねやよばひをする───。

 有りである。


 もちろん、おみなや、向こうの両親に、早すぎる、と拒否をされる場合もある。


 鎌売の奥床おくとこ(寝室)の手前には、……鎌売の両親の外床とどこ(寝室)。

 両親を乗り越えて、よばひをしなければいけないからである!


 もちろん、おのこが行かない、という選択も有りだ。

 大人しく、宴で飲み食いをして、帰れば良い。


 ───八十敷にその選択はないッ!


 上毛野君かみつけののきみの屋敷で、実質一人部屋となっているのを良いことに、決死の思いで、鎌売の女官部屋に、よばひをかけてしまった。

 あの一夜以降、さすがに、再度、女官部屋に忍んでいく愚行はおかしていない。

 見つかったら死刑だからね!


 あの時、鎌売は言ったのだ。


「明日も、明後日も、さ寝してほしいくらいだわ。」


 と。

 鎌売は覚えていないかもしれない。

 でも今宵、鎌売は宴を辞する前、オレに意味ありげな目を向け、微笑んでから去っていった。

 鎌売は、オレのいもは、オレのことを待っていてくれてるはずだ。

 

 美しい鎌売……。

 硬いようで、柔らかい身体。

 若い枝のように、すらりと伸びた手足。

 柔らかい下腹。

 形の良い、こぶりな乳房。

 そっと丸みを撫でて楽しみ、二つの梅の蕾にかじりつきたい。

 鋭く、とっつきにくい顔は朱に染まり、身体はゆっくりとほころび、柔らかさを増しながら花開き、オレを迎えてくれるのだ……。

 うぉぉ……。燃える。


 だから、この佐味君の屋敷、鎌売の両親の外床とどこをつっきって、八十敷は行かなければならないのである!


 家柄の釣り合いは取れているし、あともう少ししたら、正式な夫婦めおととなるのだし、この段階でおのこよばひをするのは、決して珍しい事ではないから、多分、鎌売の両親も、受け入れてくれると思う……んだよね。

 いざ!


 鎌売の両親が眠る外床とどこの引き戸を、そろそろ〜っと開けた八十敷やそしきは、


石上部君いそのかみべのきみの八十敷やそしき鎌売かまめ奥床おくとこへと参りました……。」


 と小声で正体を明かす。


 部屋の中央の布団から、鎌売の母刀自ははとじの、


「……宜奈倍よろしなへ(宜しいでしょう)。」


 という了承の小声が聞こえた。

 と、布団から小太りの人影がむくっと起き上がった。鎌売の父上だ。


「許さんッ! まだ鎌売をやるものかッ! 父のうらぐはし鎌売をどこのおのこにもっ。」


 八十敷に掴みかかろうとした鎌売の父上だったが、鎌売の母刀自が無言ですっとおのこの背後に立ち、木の枕で後頭部を迷いなく打ち抜いた。


 ぱっかあああん!


 鎌売の父上は、あふ、と呼気をもらし、布団の上に膝をつき、倒れ、静かになった。その顔に力の抜けた笑顔が浮かんでいるのは何故か。


(ひっ!)


 八十敷は恐怖する。

 おみながここまで鮮やかにおのこを殴るのを、初めて見た……。

 怖い。


「おや、あなた。良くお眠りで。」


 澄まして自分のつまに声をかけた鎌売の母刀自は、にっこりとこちらを見て、


「まったく……。自分も同じ道を通ってきたっていうのにねえ?」


 と含み笑いをした。

 八十敷は、ひく、と愛想笑いをする。


「さ……。うちの娘、今朝からそわそわしていたわ。……あなたを待ってるのよ。大事にしてあげてね。」


 愛情深い母刀自の笑顔を向けられて、八十敷は顔を引き締め、


「はい、ありがとうございます。天地乎乞禱あまつちにこいのむうけひします。大事にします。」


 と礼の姿勢をとった。

 満足そうに頷く鎌売の母刀自に見送られ、八十敷は背筋を伸ばし、鎌売の眠る奥床おくとこへと足を向けた。




    *   *   *




 八十敷は思案する。

 眠る鎌売の上にいきなり覆いかぶさっちゃおうか。

 きゃっ、と驚かせ、額をぴしゃりと叩かれるのも良い。

 鎌売は厳しい顔で怒るのだ。

 そして、その後、甘い微笑みを、ふいに零すのだ───。

 愛おしい。

 ずっと額を叩かれていたい。


 だが、本当に驚いて大きな悲鳴をあげ、鎌売の両親に聞かれるとまずい。

 まだ夫婦めおとになる前なのだし、ここは慎重に行こう。


「鎌売……。」


 鎌売の奥床おくとこに入り、布団の人影にそっと声をかける。

 すぐに鎌売は上半身を起こした。

 き髪。

 ほどいた髪がたっぷり、艶を放って肩にこぼれ落ちている。

 切れ上がったまなじり

 強い眼差しが、す、と八十敷を射る。

 いちしの花のような赤い可憐な唇は、きりっと閉じられている。

 白い肌。

 

 満月の光がしたたるほど美しい。

 はあ、思わずため息がもれる。


 鎌売かまめは正座し、手に握りしめていた矢羽根やばね水精すいせいの塊を、枕元に美しい所作で置いた。


(ずっと、寝床で握りしめてくれていたのか。)


 オレを待って。


 感動で胸がいっぱいになる。鎌売は真剣な顔で、


「八十敷。話があります。」


 と言った。


「おう。」


 八十敷は逸る胸を抑えて、鎌売の正面に正座する。


「あたしがあなたのつまとなった暁には、あなたに真心を持ち仕えましょう。

 石上部君いそのかみべのきみの家が栄えるように、心を砕きましょう。

 子が産まれた暁には、全てを持って慈しみ、必ず、あなたと家の助けとなる子に、立派に育てあげてみせましょう。」


「おう。」


 八十敷はにこにこと答える。

 鎌売は素晴らしいおみなだ。

 こんなおみなを選べた自分が誇らしい。

 ……まだかな?


「あたしがあなたを裏切ったり、二心ふたごころ持つことはありません。

 だから、あたしが上毛野君かみつけののきみの屋敷の女官として末永く務めるのを、許してくださいね。

 あたしの心も、身体も、ずっと、愛子夫いとこせのもの。

 愛子夫の心も身体も、あたし一人のものです。裏切りは許しません。良いですね?」


「おう。」


 八十敷は、にやけながら答える。

 お互い、澄んだ心を持ち、心を一つに。八十敷の理想の夫婦めおとの道だ。鎌売の心も身体もオレのものだ。口に出してくれて、こんなに嬉しいことはない。

 ……まだかな?


 鎌売が厳しい顔を緩めた。

 困ったように微笑みながら、上目遣いで八十敷を見る。


「……正直、あなたが浮気なんかしたら、あたし、狂ってしまうわ。だから、そんな思いはさせないで? ね……? それで、あたしが月の印の時以外は……、ねむころに可愛がってください。」

「絶対、浮気しない。ねむころにする! 鎌売。もう我慢できない。ねむころにさせてくれ。」


(もう、とってもねむころだ!)


 八十敷は、固い決意を持って愛しいおみなを押し倒した。

 組み敷かれた若いおみなは、


 ふふ。


 嬉しそうに、甘い微笑みをもらし、


「……宜奈倍よろしなへ。」


 全ての許しを、八十敷に与えた。


 枕元では、矢羽根やばね水精すいせいが満月の明かりを吸い込んで、きらきらと光りを放った。




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