第十一話  矢羽根の水精

 四日目。


 昼餉ひるげは、家族一同で食す。

 父は、かまってほしそうな顔でチラチラと鎌売かまめを見ていたが、もう、行くのは許さん、とは言わなかった。

 母刀自ははとじは上機嫌で、


「あたしも明日、愛子夫いとこせと市歩きしちゃおうかしら。」


 と言うので、


「明日なら良いのではないですか。今日はやめてくださいよ。」


 と釘を刺す。目撃されたら恥ずかしいなんてものじゃない。


「うふふ。もちろんよ。」


 と母刀自は返す。

 兄、億野麻呂おのまろは、なぜだか、


「えへへえ、えへへえ……。」


 と気色の悪い、幸せそうな笑顔を浮かべながら昼餉をとっていた。

 あたしは笑顔で、──体調が悪いの? と訊こうとして、


「むつかし。(気持ちワル)」


 と言ってしまった。おや? 口がおかしい。


「もうっ! 鎌売! そういうところだよ!」


 兄はいきり立ち、だがすぐ、にへっ、と笑い、


「ふ、良いさ……。兄には春が来たのだよ、麗しい春……。」


 と言うので、


「おやおや。」


 とあたしは肩をすくめた。


 ……兄は、久君美良の黄泉渡りを、深く悲しんでいた。

 

 その兄が、今、なんだか幸せそうなら、良かった。




    *   *   *





 快晴の市歩き。


「また、つけてきてくれたんだな。」


 あたしは結った髪に、昨日、八十敷やそしきが交換してくれたかんざしを、今日も挿してきた。


 木にいちしの花を彫刻し、彩色を施したもの。

 郷のおみなが気負わずつけられる、素朴なかんざしだ。

 名家の娘である鎌売は、もっと貴石きせきをあしらった豪華なかんざしも持っているのだが、


「気に入ったの。」


 と澄まして言った。

 できるだけ、頬を赤くしないように……。

 もっとも、頬に熱を感じたから、やっぱり、頬は赤くなっていたかもしれない。

 このかんざしを見ていると、この楽しい市歩きが、思い出として蘇る気がする。

 そう……、八十敷と二人で市を歩くのは、とても楽しい。

 八十敷は目を細め、


「嬉しい。」


 と言い、眩しい笑顔を浮かべた。

 つられて、あたしも笑顔を浮かべてしまう。


 ぶらぶらと市を歩き、白酒しろさけ(ノンアルコールの甘酒)を米袋と交換し、道の端の丸太の倚子に座って、二人で飲む。

 隣りに座った八十敷が、


「鎌売。今日はこんなものを用意してきた。受け取ってくれ。」


 と、懐から白絹の包みをだした。

 包みを受け取り、開けると、ちいさな水精すいせい(水晶)のぎょくの耳飾りが二つ、透明な光を放っていた。


「まあ……! 良いの?」


 かなり高価なものだ。

 こういった高価なものは、市で探すより、豪族の屋敷に売りにくる行商のほうから、手に入りやすかったりする。


「もちろん。」

「ありがとう。」


 あたしの耳には、ちいさな穴が空いている。

 今日は、琥珀こはくの耳飾りをつけていたが、あたしはそっと耳飾りをはずした。琥珀の耳飾りを手布で包み、懐にしまう。

 八十敷の方に、耳を突き出すように座りなおし、


「……つけてくださる?」


 そう言って、


(わー! 恥ずかしいー!)


 と目をつむった。


「わかった。」


 こころもち、うわずった声で八十敷は返事をし、慎重にあたしの耳たぶに触れた。

 するり、と細い金の鎖が耳の穴を通り、水精すいせいぎょくはあたしの耳におさまった。


 目を開けたあたしは、頬を紅潮させた八十敷と目があった。

 あたしもまた、頬が朝焼けのように真っ赤なのを自覚した。


 






 甘酒をゆっくり飲み、その後はのんびり市を歩き、とりとめのない話をする。

 昨日は、あたしが、


「どうしても、あの丸鶏が食べたい!」


 と宣言し、八十敷と丸鶏を食べた。皮がパリッとして、塩気がきいて、とても美味しかった。

 たまには、こうやって、大きな口でかぶりつく食べ方も、悪くはない。

 八十敷はさりげなく浄酒きよさけを空席に手向けていたが、もう暗い顔はせず、ひたすら、あたしを見てニコニコしていた……。


 今日は、あたしが市歩きで良く行く店に、八十敷を連れていった。

 そこの店は、一つの料理しかださない。

 胡餅こべい(小麦粉を練って平たく焼いたもの)と、季節の果物……今日は翼酢はねず石榴ざくろ)と、たちばなの皮をごく少量、お湯に浮かべた橘湯たちばなのゆが一杯、つく。


 店内は、年齢はバラバラの、おみなばかりで賑わっている。

 八十敷は、


「……量はこれだけか。腹にたまらんな……。」


 と言いつつ、硬めの胡餅にかじりつき、水分の少ない、ぱさっとした生地を豪快に噛みちぎった。


「ん? この胡餅こべい、噛むほどに、甘いな。」

「でしょう? ここの胡餅こべいは、美味しいって評判なの。

 ほら。胡餅こべい翼酢はねず石榴ざくろ)と一緒に口にいれたり、橘湯たちばなのゆ胡餅こべいをちぎってひたして食べても、また美味しいのよ。」


 と、あたしは上品に小さく胡餅こべいをちぎって、橘湯たちばなのゆに浸して食べてみせた。

 鼻に抜ける爽やかな香り。

 小麦の甘さを、綺麗な苦みが引き立てる。

 八十敷も真似をし、


「こういう食べ方も、良いな。」


 と、あたしの顔を見て嬉しそうにニッコリとした。






 そして、この四日間の休みは、あっという間に終わりが近づく。




 帰り道、隣りを歩く八十敷が、手を握ってきた。

 あたしはまた真っ赤になってうつむいたが、手を振り払おうとはしなかった。


「鎌売。まだ、ありがよひの約束、終わりとしてくれないのか?」


 自分から手をつなぎに来ていながら、照れくさそうに前をむいた八十敷が、ちょっと拗ねたように言った。

 あたしは、手をつなぎながら、


「駄目よ、だーめ、だめ……。まだまだなんだから……。」


 とだけ、ぼそぼそと言った。

 とにかく恥ずかしくて、そう言うのが精一杯だ。


 そう、あたしは二十歳まで婚姻したくない。それが正直な、むきだしの、あたしの気持ちだ。


(……手をつないで歩くなんて。)


 まわりの人からは、きっと、若い夫婦めおとに見えているに違いない。


 こんなに恥ずかしいのに、なんであたしは、この大きくて温かい、硬い皮膚の手を、振り払おうとは思わないのだろう?


 距離にしたら、そんなに長い距離ではなかったはずだが、随分長い時間、手を繋いで歩いた気がする。

 佐味君さみのきみの屋敷が近づくと、流石に八十敷は手を離したが、別れ際、門の前で、


「これも受け取ってくれ、鎌売。」


 と女の拳ほどの白絹の包みをだした。


「なあに?」


 あたしが受け取り、包みを開くと、水精すいせいぎょくの、削り出されていない、ごつごつした未玉あらたま(原石)のかたまりが表れた。


「まあ……!」


 見たのは初めてではないが、珍しい物、神の気を感じる、めでたい物だ。


「ここを見てくれ。矢羽根やばねの形の水精すいせいだ。

 二人……、心が離れないように。

 夫婦めおとの道とは、お互い澄んだ心を持ち続け、このように、おまえと一つでありたい。」


 水精すいせいの透明な二つの柱が、根本で一つに溶け合い、一つとなって、塊に埋まっている。

 なるほど、矢羽根の形にそっくりだ。

 

 八十敷はあたしを熱く見つめた。


「鎌売。オレは心からおまえを恋うている。それをいついかなる時も、忘れないでほしい。」

「………。」


 あたしは、胸がいっぱいになって、何も言えなくなった。

 八十敷は無言になったあたしを見て、苦笑し、


「……たたらき日をや(良き日を)。」


 と挨拶をした。


「たたら濃き日をや。」


 あたしの挨拶を聞いた八十敷は、柔らかい微笑みを残し帰っていった。

 あたしはずっと、八十敷の小さくなっていく背中を見送った。


(気をつけないと、うっかり、ありがよひは、もう終わりで良いわ、なんて口走ってしまいそう……。)


 心が揺れる。

 頬が熱い。

 目が……潤む。


 こうして、あたしの四日間の休みは終わった。




   *   *   *




 何日かして。


 夕刻、上毛野君かみつけののきみの屋敷の簀子すのこ(廊下)を歩くあたしに、八十敷が声をかけた。


「鎌売! ありがよひの約束、一旦保留にしてくれないか!」

「は? そんなのしないわよ。」

「……勢多郡せたのこほりの屋敷に、広瀬さまが行きなさる。

 そのまま、明日は一泊される。

 オレは父上に、泊りがけの護衛を任せられた。だから……。」

「だから?」

「オレは明日の朝は慌ただしいし、明後日は、上毛野君かみつけののきみの屋敷にいつ戻ってこれるか、わからない。」

「そう。いってらっしゃい。ありがよひの約束はここまでです。」

「鎌売……!」

「あなたは約束を果たせなかった。それだけの事です。

 一泊するから、約束を保留にしてくれなどと、都合の良い詭弁きべん笑止千万しょうしせんばん

 二十歳まで大人しく待てば良いでしょう?」


 あたしは冷たく突き放した。

 あたしは覚悟もなく責任も負えないおのこは嫌いである。


「鎌売……!」


 八十敷は苦渋に満ちた顔をした。


「話はそれだけですか。まだお務めの最中です。さっさと行きなさい!」


 あたしは、きっ、と八十敷を睨んだ。


「……!」


 八十敷は何かをこらえるように両目をつむり、無言で去っていった。





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