第十話  どうりで好みど真ん中

 三日目。


 佐味君億野麻呂さみのきみのおのまろは、くわ、と目を開け、


(手は繋ぐなよ、手は繋ぐなよ……。)


 と物陰から、市歩きを楽しむ若い男女に念を送った。


 天気に恵まれ、同母妹いろも石上部君八十敷いそのかみべのきみのやそしきは朗らかに笑いながら連れ立って市を歩いている。


「ぐぬぬぬ……。」


 億野麻呂おのまろのとなりでは、子煩悩の父親が怒りで顔を真っ赤にし、小太りの腹をゆすり、低くうなりながら八十敷やそしきを見ている。


「ほら、手を繋いだりしてませんよ。見て納得できたでしょう?」


 億野麻呂おのまろは父に言う。

 あまりに父がうるさいので、こっそり、市歩きする二人の跡をつけて、物陰から見守る事にしたのだ。


「ほら、あなた。いい加減、認めてあげなさいよ。鎌売かまめ、幸せそうじゃない。」


 母刀自ははとじが呆れ気味に言う。


「そうですよ。」


 まったくもって、その通りだ。

 鎌売はいつも怖い顔をして、おのこから見れば、近づきがたい雰囲気をまとっている。

 ……だって中身も怖いもんね!

 漏れ出ているのである。


 兄として、からかうのは面白いのだが、億野麻呂は本気で、この同母妹いろもを受け止められるおのこが現れるのか心配していた。

 良いところも沢山持っている鎌売だが、それを知る前に、顔も怖ければ、口も怖い鎌売に、大抵のおのこは及び腰になってしまう。


 家族にとっては、可愛い娘だ。

 幸せになってもらわないといけない。


 今、八十敷やそしきとそぞろ歩きをする鎌売は、何かを八十敷に話しかけられて、口を尖らせて怒ってみせたり、頬を赤くして恥じらってみせたり、小さく微笑んでみせたりしてる。

 あの鎌売がである。

 今まで家族にも見せたことがない表情だ。


(可愛いもんだ。良かったな。)


「ね、あなた。石上部君いそのかみべのきみの息子だって、堂々として立派な若者じゃない?」

「そうですよ。」


 石上部君いそのかみべのきみの八十敷やそしき

 今までどこかで顔を見たことはあったかもしれないが、彼を近くで見たのは、先日、向こうの両親と一緒に、うちの屋敷に婚姻の申し込みに来た時が初めてだ。

 大柄で、全身、筋肉が鎧のように覆っている。

 鍛え上げられた武人。

 座っているだけでも、静かな気をあたりに放射しているような気がする。


 豪族の息子として、億野麻呂おのまろも、馬、剣、弓、鉾、一通りはできる。しかし一番得意は、実生活で役立つ馬で、文官である億野麻呂は、護身術程度の武芸しか身に着けてはいない。


 目の前に八十敷が座ると、喧嘩しても勝てない、と本能が告げる。

 八十敷はいかにも無骨な武人といった、おのこらしい顔に、自信に満ちた、落ち着いた表情を浮かべていた。

 その顔を見ていると、


(わあ〜、頼もしい〜。)


 と億野麻呂はつい黄色い声をあげたくなったものだった……。

 


 しかし、今、鎌売を見る八十敷は、別人のように優しく目尻が下がり、とろんととろけそうな微笑みを浮かべている。


(わあ〜、骨抜き〜。)


 そんなにうちの同母妹いろもに恋しましたか。


 二人は装飾品を扱う店に入っていき、しばらくして出てきた時は、鎌売の結い上げた髪に、素朴なかんざしが新たに追加されていた。

 鎌売ははにかんで微笑んでいる。

 ん?

 ちょっと今、手が触れ合ったぞ。

 二人とも照れて、すぐに手を離した。


「う……、ぐお……、うおお……。」


 父が血涙を流しはじめた。

 まずい!


「父上、まだ手は繋いでません!」

「まだああああ?!」


 あ、しまった。


「父のうらぐ!」


 叫びだしそうになった父の口をさっと塞ぎ、


「母刀自!」


 我が家最強の母刀自を呼んだ。

 母刀自の動きは迅速にして正確であった。


「はぁ!」


 父の背中の秘孔ひこうをついた。

 本当の秘孔ひこうなのかはわからない。なにせ母刀自は父にしかしない。母刀自は父の身体を知り尽くしている、という事なのであろう。


「あはああん!」


 相変わらずな声を出し、父は白目をむいた。

 億野麻呂は怪我をさせないように、父の身体をゆっくり地に横たえた。


 鎌売と八十敷は、こちらに気が付かず、市の向こうへ歩いていった。

 手は繋いでいない。


(ふう。)


 億野麻呂が安堵のため息をつくと、


「あの……、そちらの方は体調が優れないのですか?」


 と控えめで可憐なおみなの声が背後からした。

 振り向くと、仕立ての良い衣を着た二人のおみながいた。

 後ろに二人の働きをお供に連れている事からも、良い暮らしぶりの娘子をとめだとわかる。


 十五歳くらいの、凛とした美女。

 十四歳くらいの、優しそうな可愛い手弱女たおやめ


 どちらも、顔立ちが億野麻呂おのまろの好み、ど真ん中だった。

 億野麻呂十八歳。どん、と心臓しんのぞうが脈打った。


「いえ、ご心配なく。ちょっと家族でじゃれていただけです。すぐ気が付きますよ。」


 そう微笑んで億野麻呂がかえすと、おみな二人がまじまじと億野麻呂の顔を見た。


「……もしかして、佐味君億野麻呂さみのきみのおのまろさまではありませんか?」

「ん?!」

「あたし達は、池田君久君美良いけだのきみのくくみらの、同母妹いろもなんです。」

「んん?!」


 どうりで好みど真ん中なわけだ!

 久君美良くくみら……。

 想いを受け入れてもらえず、黄泉に渡ってしまった娘子をとめ……。


「あたし達、おみなですから、几帳きちょうの物陰にいましたが、三度、億野麻呂さまがうちの屋敷にいらした時、億野麻呂さまのことを拝見していたんですよ。」

「姉はあんなことになってしまいましたが……、姉と話をする億野麻呂さまは、いつも落ち着いて、優しそうでしたわ。

 あたし達二人は、ずっと、億野麻呂さまを忘れておりません。」

「えっ……。」

「あたし達、今日は、良い筆を探しに参りましたの。よろしければ、一緒に探していただけないでしょうか?」

「お時間があれば、ぜひ、ご一緒に。お願いいたします。」

「んんん……!」


 突然の展開についていけない。

 いや、ここで動かず、何がおのこよ!

 億野麻呂は、きり、と顔をひきしめて、


「承知しました。必ずや良い筆を目利きいたしましょう。」


 と凛とした美女と可愛い手弱女たおやめに告げ、


「母刀自、あとは頼みました。」


 と母刀自に父を任せる。


「はい、いってらっしゃい。あたしも愛子夫いとこせ(愛しい夫)と市歩き楽しもうかしら?」


 母刀自はにこやかに返した。


「行きたい店はあるのですか?」


 と億野麻呂が美貌の姉妹にたずねると、


「ええ、ありますわ。」

「参りましょう。楽しみですわ。」


 と、姉妹は右と左から億野麻呂を挟んだ。

 両手に華。

 心なしか、距離が近い。

 凛とした美女が、


「あたしが姉で、阿耶売あやめと申します……。」


 と魅力的に微笑み、可愛い手弱女たおやめは、


「あたしは、之伎美しきみです。気安くお呼びくださいね……。」


 と頬を染めて笑った。


「はっ、はい。わかりました!」


 億野麻呂は鼻の下を伸ばした。

 浮かれて歩き出すと、背後では、


「ふん!」


 と父に気合を入れる母刀自の声がした。





     

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