第八話  丸鶏と浄酒と八十敷

「やっぱり、頬を張られてから、だな。」


 言いにくそうに、八十敷は鼻の頭をぽりぽりとかいた。

 それから、あたしを見て破顔した。目尻が下がっている。


「おまえのようなおみなは、見たことがない。

 鎌売が良い。

 必要とあらば、どんなおのこの頬だって張ってみせる、おまえの心意気に、やられたんだ。

 オレが一生を共に歩むおみなは、おまえしかいない。

 おまえと家柄の釣り合いがとれていたのは僥倖ぎょうこうだが、たとえ佐味君さみのきみでなくとも、同じようにおまえを求めたよ、鎌売。」

「あたし、こんなに意地悪なのに?」

「それでも、鎌売が良い。」

「ふふっ。」


 あたしは、信じられないことに……とても上機嫌になり、大きな口でしゃくしゃくと瓜を食べてしまった。

 なんで、こんなに、心が弾むような気持ちになるのだろう。


「なあ、鎌売……、そろそろ、ありがよひの約束、終わりとしてくれよ。すぐにも、妻となってくれ。」


 真摯に言葉を重ねる八十敷やそしきを、あたしはくすくすと笑いながら見る。





 ……実は、女嬬にょじゅに、


「婚姻しても、あたしを女官として務めさせてください。」


 と直談判じかだんぱんをしたら、


「ほほほ……。佐味君鎌売さみのきみのかまめ。女官が婚姻したら、上毛野君かみつけののきみの屋敷を去るのが決まりです。

 除外は女嬬にょじゅのみ。

 いくら名家の出身でも、己にそんなに価値があるとでも?」


 と鼻で笑われた。


「あたしには、佐味君さみのきみの誇りと、忠誠心があります。

 今は誰のお側付そばづきでもありませんが、主を得れば、必ずや誰よりも忠誠を尽くし、主を栄えさせてみせます。」


 とあたしは己の心をぶつけたが、女嬬は上品にほほほ、と笑い、あたしをバカにした目で見るだけだった。

 八十敷が婚姻後も女官を続ける事を許してくれても、実際、女官を続けるのは並大抵のことではないであろう。





 ちなみに、意氣瀬おきせさまの乳母ちおもであった女嬬は、意氣瀬さまの喪が明けると同時に、女嬬ではなくなり、上毛野君かみつけののきみの屋敷からいなくなった。

 今は、つまだけを相手に、自分の家にこもって暮らしているのだろう。


 女嬬は、後ろ盾がいなくなれば、あっという間に零落する……。






「ふふふっ! 駄目よ、だーめ、だめ……。まだまだ、ありがよひは終わりません。あたしはそう簡単に、落ちないのよ。」


 あたしは上機嫌な笑顔のまま、倚子を立ち、瓜の食べかすを、瓜売りの台の横に用意された大きなかめへ捨てた。

 くるり、倚子に座ったままの八十敷を振り返る。

 八十敷は瓜を食べいそぐ。


 

 道端のいちしの花(曼珠沙華)が、秋風に優しく揺れる。

 たくさんの人で賑わう道を、二人でぶらぶらと歩く。

 

「あともう一つ。どうして、そんなに、婚姻をいそぐの?

 二十歳まで待てば婚姻するって、もう母刀自を通じて、正式に約束をしたでしょう?」


 あたしが疑問を口にすると、隣りを歩く八十敷がいたずらっぽく笑って、顔をあたしの耳元に近づけ、ささやいた。


「早くさ寝したい。」

「バッ……!」


 あまりの言葉に口が強張って、バカ、と上手く発音できなかった。

 かわりに電光石火、八十敷の額をぴしゃりと叩いてやった。


「痛ぇ。」

「本当、バカ! おのこって、バカ!」


 あたしは立ち止まった八十敷を放っておいてずんずん先を歩いた。


「待てよぉ。」


 情けない声で八十敷が追いかけてくる。

 随分歩いたところで、


「鎌売、ここ、寄りたい。丸鶏の塩焼き。良く来るんだ。美味いぞ。」


 と、八十敷があたしの袖をひいた。


「あたしは、そこまでお腹空いてないわよ?」

「いい。オレが食べるから。鎌売はつきあってくれるだけで。」

「そう?」


 と、丸鶏を焼く香ばしい匂いがぷうんと漂う店に、二人ではいる。

 机と倚子がたくさん揃えられた店内。

 客も多く、わりと繁盛しているようだ。

 八十敷は丸鶏と浄酒きよさけ、あたしは糟湯かすゆ(甘酒をお湯で薄めたもの)を、米と交換した。


「ん〜、薄い。ほとんど水。」


 一口、糟湯かすゆに口をつけたあたしは、ぽそりと酷評する。


「はは、そう言うな。郷人さとびとが口にするものは、そんなものだろ。」


 からりと笑った八十敷は、浄酒きよさけの入った木の器を、たん、と八十敷とあたしの間、誰も座っていない倚子の前に置いた。


(?)


 何のつもりか、あたしは目で問う。

 八十敷は、ふっと笑った。


意氣瀬おきせさまに。

 この店は、まだ若い意氣瀬さまと二人で、上毛野君かみつけののきみの屋敷を抜け出して、丸鶏を食べにきた事がある。

 オレが絶品だ、って言ったら、どうしても食べる、息抜きがしたい、って意氣瀬さまはおっしゃってな……。」


 八十敷は、じっと誰も座っていない倚子を見た。


「身体が弱い御方だった。たしかに長生きはできなかったかもしれん。

 でも、あまりに早く逝きすぎだ。

 オレは、上毛野君かみつけののきみの跡継ぎを守る使命があるのに、お守りしきれなかった……!」

「八十敷……、あなたのせいじゃないわ。」

「いや、今でも思う。もし、オレがあそこで、もっと意氣瀬さまを探していたら。オレは、己の命欲しさに……。」

「八十敷。」


 あたしは右腕をのばして、ぺち、と八十敷の左頬を優しく打った。

 そよ、と優しく領巾ひれが揺れる。


「あの状況じゃ、無理よ。

 それに意氣瀬さまの亡骸には、腹に剣が突き刺さっていたのでしょう?

 あたし達が踏み込んだ時には、もう手遅れだったのよ。

 あまりごとを言うなら、何回でも叩くわよ。」

「ふ……、ありがとう、鎌売。」


 八十敷は温かい目であたしを見て、笑った。




 丸鶏の塩焼きの店を出たあと、南大路をずっと歩くと、大きな敷地に建物が建設途中なのが見えた。

 敷地と道のさかいには、人の背より高い築地塀ついじべいがちょっとだけ作られている。

 敷地内を覗くと、木材が山積みとなっており、日焼けしたおのこたちがたくさん、せわしなく働いていた。

 だが、敷地はめぼしい建物がない。


「国分寺だな。」

「まだ仏寺ぶつじの土台だけじゃない。本当に完成するのかしら?」

「するだろ。案外、オレ達の子供が完成した国分寺に参拝したりしてな。」

「まっ……!」


 いちいち、返答が困ることを言わないで欲しい。











↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330664666121524

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