第七話  うらぐはし鎌売

「だっ、駄目だああ!」


 野太いおのこの声が部屋に響き渡った。

 小太りの鎌売かまめの父が頭をふりふり、


「父のうらぐはし(スイートBaby)鎌売かまめが、他のおのこ市歩いちあるきだなんてっ! いくら相手が名家の跡継ぎでも、許さんぞおお!」


 と言った。

 務司まつりごとのつかさで務めている父は、たつはじめの刻からうまはじめの刻(朝7時〜正午)までの定刻の務めを終え、屋敷に帰って、昼餉をとった後である。


 竹のようにまっすぐ立つ凛々しい母刀自ははとじが、


「あなたっ! 鎌売かまめの婚姻の相手だと、先日正式に決めたではありませんか。ちょっと市を歩くだけよ。」

「ちょっと?! 二人きりで歩くんだぞ?」


 叫んだ父があたしの方を向き、両手を空中でぶんぶん振り回し、


「やはり行かせられない。ててて手でも繋ぐつもりかもしれないんだぞ?!」


 と言った。

 あたしは無言のまま、げんなりした目で父の狂態きょうたいを見る。

 もう手は何回も握られました、とは、とても言えない。


 兄、億野麻呂おのまろがしっかりした口調で、父をたしなめた。


「父上。もし手を繋いだとしても、冷静に考えてみれば、何がどうなるわけでもありません。ここはこらえてください。」


 母刀自が、


「これ以上、ごとで娘を困らせるようなら、あたしがお仕置きしますよ。」


 ぴしゃりと言い、


「ひっ!」


 あきらかに父がひるんだ。

 しかし、眉をたて、


「だっ、駄目だ駄目だ! いくら愛する妻の言葉でも、オレは市歩きを許さ───ん!」


 と叫んだ。

 ちなみに、父が母刀自を呼ぶ時は、とか、をつけて呼ぶ。これは母刀自の定めた、いわおより硬いおきてである。

 

 母刀自の眉間がぴくぴくと動いた。


 ふいに、億野麻呂おのまろが父を羽交い締めにした。


「あっ! 何を!」


 父が驚いて、じたばたする。


「父上。───よもや、これまで。鎌売、……行け!」


 億野麻呂は戰場いくさばつわもののような顔で、あたしにむけて一つ頷いた。

 何の伎楽ぎがく(お芝居)か。

 とあたしは呆れるが、つきあっているのもバカバカしいので、さっさと、


「では、行って参ります。たたら濃き日をや(良き日を)。」


 綺麗に礼の姿勢をとり、部屋を退出する。


「わあ〜、父のうらぐはし鎌売〜!」


 簀子すのこ(廊下)を出たところで、


「ちょっとおー?! 離してぇぇ!」

「父上。これも父上をおもんぱかってのことなのです。

 今ならまだ、母刀自のお仕置きはほどほどで済むでしょう。

 不肖の息子をお許しください……!」

「あ、な、た───ぁ。」


 直後、ああああ〜ん。というおのこの野太い桃色の悲鳴が聞こえてきたが、あたしは無視を決めこむ。


 佐味君さみのきみの屋敷の門の外で、八十敷やそしきは一人、待っていた。彼は、


「あっ、鎌売、ご両親に挨拶を……。」


 と言いかけるが、あたしはそれを遮り、


「さっさと行くわよ。父上に見つかると厄介です。」


 と、足を止めず、門を出る。








 ピューロㇿーオォ……


 ピュ────ッ……



 空の高いところで、たかが飛ぶ。


 秋の白いうろこのような雲が広がる、気持ちの良い晴天。


「う〜ん。」


 あたしは両腕を上にあげて、思い切り伸びをする。

 穏やかに吹き抜ける、乾いた風が涼しい。

 道端には、いちしの花(曼殊沙華まんじゅしゃげ)があちらこちらに群れ咲いて、紅い花を揺らしている。


 あたしはいちしの花が好きだ。


 花の華やかさも良いが、一本の花の背が高く、くきが長く、その茎が天に向かって真っ直ぐ伸びているのが、良い。

 天に向かって真っ直ぐ立つ。

 そのような、物言わぬ花の意思を感じるようで、あたしはいちしの花が好きだ。


 

 群馬郷くるまのさといち

 国府こくふから南にまっすぐ伸びた南大路に、さまざまな店が軒をつらねる。

 食料、衣、装飾品、土師器はじき、農具、墨や筆。

 上野国かみつけののくにでは一番大きいこのいちでは、いろんな品物が並ぶ。

 よく探せば、奈良から流れてきたのか、という掘り出し物に出会える事もある。

 昼をすぎ、いちは、国府で務めを終えたおのこたち、日用品を求めるおみなたちで賑わう。


「めーやすし(目易めやすし。見た目が感じが良い。)! めーやすし! 立派な細工!」

「うちのは美味しいよ!」


 物売りの声が市歩きに華を添える。


「さて、今日はどうしましょうか。」


 歩きながら隣の八十敷に訊くと、


「ぶらぶらと歩こう。何か欲しいものがあれば、言ってくれ。お腹はいてるか?」


 と優しい笑顔で言う。


「うふふ、バカね。昼餉を食べたばかりじゃない。いてないわよ。でも、甘いものなら、別かなあ。」


 と、くすりと笑うと、八十敷が目を細めて、


「そういう顔も、恋しい。」


 と笑顔を深くした。


「まっ、本当、バカね。」


 とあたしは領巾ひれで顔下半分を覆う。


(……そんなまっすぐ言われると、照れるじゃない。)


「あそこでうりが売ってるわ。甘い瓜が食べたい。」


 そう言うと、


「良し。」


 と、さっそく八十敷が、道端に台を置いて瓜を売っているおのこに、交換の交渉に行く。

 八十敷が交渉の末、一握りの米が入った麻袋と、大きく切った二切れの瓜を交換した。

 ちょうど、座って食べれるよう、丸太を切っただけの倚子が近くに用意されている。

 腰掛けながら、あたしは片眉をつりあげ、


「甘いでしょうね? 甘くなかったら、どうなるかわかってる?」


 と意地悪く言った。

 緑の縞模様の瓜、食べてみないと甘いかはわからない。


「……あの瓜を売ってるおのこは、甘いって言ってた。」


 顔をしかめ、八十敷は低い声で答えた。あたしが瓜を食べるのを、注視する。

 あたしは、しゃくっ、と水気のある音をたてながら瓜を食べた。


「甘いわね。」


 そうニヤリと笑って言うと、八十敷が息を吐き、ぽろりとこぼした。


「どうして、おまえってそう……。」

「意地悪かって?」


 まさしく意地悪な笑顔をしたまま、あたしは切り込んだ。

 まずい、という顔をした八十敷は、ぴっと背筋を伸ばし、


「あ、いや……。」


 と訂正しようとするが、


「あたしはこういう性格なの。ずっとそう。あたしこそ、どうしてってあなたに訊きたいわ。なんで、あたしをそんなに……?」


 そんなに恋うてくれるの?


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