第六話  慌ただしい八十敷

 翌日、炊屋かしきや昼餉ひるげをいただいていると、あわただしく八十敷やそしきが駆け込んできた。


鎌売かまめ! ……話がしたい。」

「まだ食事が……。」


 とあたしは渋ったが、八十敷やそしきに手をとられ、炊屋かしきやの外へ連れ出されてしまった。


 人前で手をつなぐなんて、親子連れか、夫婦めおとしかしない。


 きゃあ───、と女官たちが色めきたち、あたしは恥ずかしさで真っ赤になった。


「ちょっと!」


 簀子すのこ(廊下)にでてから、あたしは八十敷の手を振り払った。八十敷は真剣な顔で、


「鎌売……。噂を聞いた。昨日の宵、広瀬さまの……。」


 と訊いてきた。


「だったら何? あたしは女官よ。こういった事も承知の上でしょう? それとも婚姻はやめる? 」

「鎌売、鎌売……。」


 八十敷は視線を下げ、苦しそうに顔を歪め、名前を読んだ。


「婚姻はやめるの、と訊いたのよ。」


 あたしが重ねて言うと、八十敷は、はっとしたように顔を上げ、


「やめない。」


 と急いで言った。


「そう。言っておくけど、広瀬さまは、ただあたしの思い出話が聞きたかっただけで、あたしには指一本触れてないわ。」

「………。」

「わかったら、こんな風に連れ出した事を謝罪して。」


 八十敷は項垂うなだれ、悲しそうな顔をした。

 

「す、すまなかった。

 でもよ……、鎌売。ありがよひを、いつまで続ければ、すぐに婚姻する事を許してくれるんだ?

 鎌売、おまえはオレのことを、どのように思っているんだ?

 おまえのなかには、オレへの想いは……。」


 八十敷があたしの手を握ろうとした。

 あたしはそれを許さず、八十敷の広い額を、素早く、びしっ、と打ってやった。


「くどくどしいおのこは嫌いです!

 いつまで? まだまだです!

 あまりごとを言うなら、明日で、ありがよひの約束は終わりよ。

 明日から四日間、あたしは休みです。

 この上毛野君かみつけののきみの屋敷のどこを探したって、いないんですからね!」

「かっ、鎌売……!」

「温情をあげるわ。流石さすがに、明日から四日間は、どこにいるかわからないあたしを探せ、とは言わない。

 群馬郷くるまのさと佐味君さみのきみの屋敷へ、迎えに来ていいわ。

 午二つの刻(午後1時)。

 場所はわかるわね? 

 そのまま、一緒に市歩きをしてあげても良いわ。あなたも休みを取れれば、だけど……。」


 話の途中で蒼白になっていた八十敷は、ぱあっと笑顔になり、最後の、休みを取れれば、の言葉でオロオロと慌てだした。


「場所はわかる。

 明日から四日間、午二つの刻に、迎えに行く。

 必ず! 

 四日間全部、市歩きにつきあってもらうからな! たたらをや!」

「たたら濃き日をや。」


 八十敷は挨拶もそこそこに、慌ただしく走り去っていったので、あたしは、


「言いそこねた……。」


 とつぶやいた。


 ───鎌売、おまえは、オレのことを、どのように思っているんだ?

 おまえのなかには、オレへの想いは……。


 ちゃんと、二十歳になったら婚姻する相手だって認識してるわ、と言うつもりだったのに。

 

「ん……。」


 そう。あなたのことは、婚姻する相手だって……。


 何故だか、頬に熱がたまる。

 あまりに熱いので、そっと頬を両手で包んでみた。

 本当に熱い。

 

「ふふ……。」


 八十敷の、真剣な顔、蒼白な顔、慌てた顔。

 思い返しても、面白い。

 明日の市歩きでは、どんな顔を見せてくれるのか。

 きっと、優しい笑顔で、あたしを見てくれるに違いない。


「んー!」


 あたしは、ぱしっ、と両頬を軽くはたいた。

 物思いは、ここまで。

 さっさと炊屋かしきやへ戻らねば、昼餉を食べ損ねてしまう。

 あたしは、いつもの顔つきを取り戻し、すたすたと炊屋かしきやへ歩きだした。





   *   *   *




 翌日。


 午二つの刻(午後1時)。


 群馬郡群馬郷くるまのこほりくるまのさと上毛野君かみつけののきみの屋敷から歩いて帰れる場所に立つ、佐味君さみのきみの屋敷にて。


 はたらが、部屋に入り礼の姿勢をとってから、石上部君八十敷いそのかみべのきみのやそしきおとないを告げた。






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