第6話 災厄の出現

「……災厄、です」

「え?」


 聖良はあれがただの自然現象ではないことを直感的に理解した。

 あれは――とてつもなく危険なものだ。


「二百年前に魔女によって封じられたとされる災厄――おそらく、それです」

「え?!」


 聖良の言葉に、周囲の人々が驚いて聖良の方を見る。


「多分、一楔ひとくさび村が沈んだ影響……だと思います。封印の陣が、壊れたんだ……」


 ずっと感じていた不安の正体が、ようやくわかった。


「じゃ、じゃああれが……二百年前、この辺りの土地で災害をもたらした災厄だっていうのかい?」


 俊子の言葉に――聖良は確信をもって頷いた。

 ダムに沈んだ封印。

 直後に起きたこの事態。

 そして自分の中に感じる感覚。

 これで無関係であると思う方がおかしい。


「聖良さん、何とかできる……のかい? あんたも、魔女だろう?」


 その期待は当然だろう。

 二百年前の魔女の功績。

 それこそが、聖良がこの地で受け入れられた理由でもある。


 聖良はそれにはすぐに答えず、赤く染まった空を見やった。

 おぞましい、と表現できるほどの気配があの地に満たされている。

 正直に言えば――。


(人の身で何とかなる相手とは思えない)


 どういう存在が現れたのかは全く分からないが、少なくともその力が圧倒的であることだけは分かる。

 そうしている間に、光は収まり空は元の暗さを取り戻した。


「終わった……?」

「いえ、多分……少し休んでいるだけでしょう。伝承通りなら、ほぼ二百年ぶりに解き放たれたので、本調子ではないのかと。ただ、今のうちなら何とかできる可能性は、あります」


 その言葉に、周囲から安堵の声が漏れる。


 二百年前の魔女のことを調べていてよかった。

 魔女が遺した封印は五つ。

 うち一つが失われた結果、あの災厄が解き放たれたのだろう。

 封印の陣が壊れてしまった以上、他の封印もその力を失っている可能性は高い。

 ただ、他の四つは封印の陣そのものは――正しくはそこに収められた魔術具が――残っているはずだ。

 それと、失われた一つを聖良が作れば、おそらく術式は再現できる。

 封印の場所もだいたいは分かっている。

 術式にも見当はついている。

 ならば、可能性は十分にある。


「ただ、準備が必要です。あの災厄がこの後どういう動きをするのかが分からないですが、あまり時間があるとは思えませんし」

「何をしたらいい、聖良さん」


 義父の達夫が声をかけてきた。


「二百年前の災厄じゃ、魔女の言葉に耳を貸さない人ばかりだったと聞いてる。だから大きな被害が出たとも。けど、俺たちは同じ過ちはしない。聖良さん、あんたは妻の恩人だ。俺はあんたを信じる。何より、義理の娘だしな」

「お義父とう様……」

「儂らだって手伝うさ。聖良さんにはいつも助けてもらってる」


 次々と声を挙げる集落の人々。

 振り返ると、敦也が微笑んでいる。


「敦也さん。私、ここに来て、本当によかったです」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 集会所に集まった人は全部で五十人余り。

 夜にも関わらずそれだけの人が集まってくれた。

 前に立つのは聖良である。

 なんだか学校めいた雰囲気がして、ちょっとだけ可笑しさに笑いそうになるが、さすがにそういう事態ではない。


「魔女の封印の陣があったのはこの五か所。うち一つは今はダムに沈んでますから、残りは四か所。おそらく何かしら、かつての魔女が遺した『魔術具』が保管されているはずです」

「まじゅつぐ?」


 その場の全員が首を傾げる。

 当然だろう。あまりに馴染みのない言葉だろうから。


「魔女が作った道具だと思ってくだされば。道具といっても、それ単独で何に使うかはわかりにくい物もあると思います。例えばこの私のナイフも、魔術具です」

「てことは、ナイフとかがあると?」


 その言葉に聖良は頷く。


「ナイフとは限りません。ただ、二百年間維持されていたことを考えると、それなりに頑丈なモノであると思います。石彫りの人形や金属の装飾品などが考えられます。それらがこの辺りにあるはずです」


 聖良はこの辺りの地図を広げ壁に貼ると、丸印をつけていく。


「……ああ、そういえば……あたしはその川北地区の出身だけど、大事にしなきゃならないって小さな祠ってのがあったよ。中にご神体があるって、ずっと云われてた」

「可能性は高いです。今は夜ですから……明日には、各地で調べてみるしかないですが……」

「だ、大丈夫かい? 今日中に滅ぼされちまうってことは……」

「大丈夫だと思います。目覚めた直後のアレがどういう動きをするかはわかりませんが、伝承通りなら少なくとも数日は時間があるはずですので」


 もっとも、あの『災厄』が生じてから実際に暴れだすまでには一ヶ月ほどはあったらしいが、暴れてからの被害はわずか十日で四つの集落が滅ぼされたとあった。

 封印から解き放たれた『災厄』がどのような状態かが分からない。

 封じられた時のままなのか。

 それともその力が幾分減退しているのか。


 もし封じられた時のままだとしたら、一刻の猶予もないことになる。

 ただ、そういってもこの真夜中に何かできるかといえば難しい。

 すべては明日になってからだろう。


 時計を確認する。

 時刻は夜の八時を回ったところ。

 日の出はだいたい朝の六時頃なので、活動できるのはそこからだろう。

 車もあまりないこの集落だが、持っている人が協力してくれるので、残った四か所のうち、三か所はお願いした。

 一か所だけは、周囲に人里がなく、どう考えても道もない場所で、そこは聖良が行くことになっている。

 すでに陣が壊れてしまった以上、再び陣を敷いて封印するとしても、すでに一つ足りない魔術具を再度作らなければならない。

 最低でも一つは追加で作らなければならない。

 そしてこれが最重要だが、最低でも一つは、かつての魔女が作った魔術具を回収する必要がある。

 そうでなければ、どのような術を込めていたのかが正確には分からないからだ。


(多分、配置それ自体にも意味がある)


 五か所は先に光が溢れたと思われる地点を中心に五点、というわけではない。

 魔女の使う術の中に五つの頂点を持つ図形で力を発揮する術があるが、その場合基本的に正五角形になるはずだ。

 しかし推測される五か所を線で結んでも正五角形には程遠い。

 でたらめに配置して術が機能したとは思えない。

 きっとそこには意味があるはずである。


(時間があるかどうかですね)


 二百年前の異変のことはあの後も幾度か調べてみたが、詳細は記録はやはりそれほど残っていなかった。

 ただ、魔女がいくつか『塚』を立てていたことは分かっている。

 それがおそらく結界の要点。

 先ほどの川北地区にあるという祠もそれだろう。

 他の場所のことを知る人はこの集落にはいなかったが、あの異変はこの地区の人間全員が見てるはずだ。

 事情を話せば、現地の人なら何か知っているだろう。

 おそらく明日の朝には工房に問い合わせに来る人もいるだろうが、そちらは伝言を残しておくしかない。

 聖良自身は、道もない一か所に向かう必要がある。

 そのためにも今日はもう休んだ方がいいだろう。

 聖良はそれぞれに向かう人に指示を出して、自分も家に戻った。


「大丈夫かい、聖良さん」


 敦也が心配そうに声をかけてくる。


「大丈夫です。私がここで、皆さんに受け入れられているのは、きっとこういう時の――」


 いきなり敦也が後ろから抱き締めてきた。


「あ、あの、敦也さん? その……さ、さすがに今日は……」

「あ、いや。そうじゃなくて……その、あまり気負わないでほしい」

「え?」

「確かに君は魔女だ。そしてこの事態を何とかできる可能性があるとしたら君なのだろう。ただそういう気持ちで……その、引け目を感じるようにはしないでほしい」

「えっと……」

「僕も、集落のみんなも、君が魔女で、こういう事態に対応できるから受け入れたわけじゃない。そりゃ、最初はそうだったとしても……少なくとも僕は、魔女の君ではなく、聖良さんだからここにいてほしいと……思ってるから」


 耳元で囁くように云われると、ぞくぞくとした感覚が身体を駆け抜けた。

 元々敦也の声は、特に囁くように言われると、ものすごくいい声なのだ。

 それでこのようなセリフを言われると――。

 羞恥で悶えることしかできなくなる。


「大丈夫、です。敦也さん」


 できるだけ動揺を悟られないように、聖良は自分の前に回されている敦也の腕に自分の手を重ねた。


「私はこの場所が好きなんです。だから……自分ができるだけのことをしたいんです。私の好きな集落のみんなや、敦也さんが笑って暮らせる場所を守る為に」

「……ありがとう、聖良さん」


 腕が緩むと、聖良は体を反して敦也と正面から向き合った。

 どちらともなく顔が近づき――口づける。


 そうして、おそらくこの一帯全員が不安を抱えた夜は更けていった。

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