6-3

「うん。……あたし、ホント言うとね、小春ちゃんが妬ましかった。あたしがどんなに健太くんを好きでも見向きもされないのに、小春ちゃんは健太くんを何とも思ってないから」


 普段は、恋愛沙汰となると騒がしい少女たちも、今は固唾を飲んで絵里奈の告白を聞いている。絵里奈と特に親しい杏は、絵里奈の気持ちに気づいていたのだろう。案じるように両手を組み合わせて、絵里奈を見ていた。


「あたしのこのイヤなところを、まやかしだって言えば、あたしはイヤな奴じゃないって思えるかもしれないけど……そうやって誤魔化す自分は、やっぱりイヤな奴だと思う」

「あなたの気持ちは、あなたのものよ。ほかの誰かに作られたものではないわ」

「うん」


 うなずき、絵里奈はほっとしたように、ここに来て初めて破顔した。そんな絵里奈に、ほかの少女たちも肩の力を抜く。


「室井くんは、どうしてこの街の神さまが幻想だと思うようになったとか、そういうことは言っていなかったかしら」

「健太くんと一緒に、知らない男の人がいたんだ」


 小春の問いかけに、絵里奈が食い気味に言った。


「その人が、どうしたの?」

「健太くん、その人が教えてくれたって言ってた。神さまの……えっと、欺瞞、について」

「ひどい言いようだわ。ユキは、何もだましたり嘘をついたりは、していないのに」


 小春はため息とともについそうこぼした。すると、由希斗が、小春の肩に手を添えて言う。


「そういうことにしたいんだよ。そうすれば、小春が僕を見限るかもしれないと思っているんだ」

「わたしがユキを見限ることなんて、決してないわ」

「うん」


 小春がつい後ろの由希斗を振り返ると、彼は優しい笑みで軽くうなずいた。けれど、その桃色の瞳が、一瞬だけ陰ったのを、小春は見つけてしまった。

 どうしたの、と問いたいけれど、今は由希斗ばかり気にしてはいられない。


 気を取り直して、少女たちに向き直る。


「その人のことを、もう少し教えてくれる?」

「なんか、変な感じの人だった」


 祐実の言う『変』は、気味が悪いとか、そういう意味合いだろうと、小春は彼女の表情を見て感じ取る。次いで杏が言った。


「その人と目が合ったとき、わたし、学校に大きな蛇が出たのを急に思い出したの」


 杏は、巨大な蛇が学校に出て、しかもその事件を一度忘れていたという体験の奇妙さからか、少し自信がなさそうな口ぶりだった。


「私、その人、苦手だったわ」


 佐々良には、ほかの子たちとは違って事件への動揺はなく、ツンと冷たい態度は、日常にありふれた嫌悪感のうちのひとつに見えた。化け猫だけあって、相手が人ならざるものだろうと、彼女には何ということもないのかもしれない。


「苦手って、どうして?」

「蛇は嫌いなの」


 端的な返答で、小春には、その人の正体が学校に出た龍なのだとわかった。


「自分の棲み処を失ったからって、他人のなわばりを荒らさないでほしいわよね」


 佐々良以外の少女たちは、何となく彼女の言っていることを理解しつつも、呆気にとられた顔をしている。巨大な龍や、それが人に化けることなど、絵里奈たちにとっては、おとぎ話の世界だ。この街で、神さまの存在を感じながら育ったといっても、今まで、神は彼女たちの日常に現れるものではなかった。


「棲み処を失った……野良神か……」


 小春の後ろで、ごく小さく由希斗が呟いた。彼の言葉から、遠い昔の記憶が呼び起こされる。


 小春の一族を皆殺しにし、小春を手にかけたのも、そのたぐいのモノだった。


 由希斗の声は小さく、絵里奈たちには聞こえなかっただろうが、彼の険しい表情は、皆を不安にさせる。小春はつとめていつも通りに穏やかな笑みをうかべた。


「いろいろとありがとう。怖い思いをさせて、申し訳ないわ」


 話の終わりを示唆すると、少女たちはほっとしたように息をついた。その中で、絵里奈だけは、まだ不安そうにしていた。


「あの……小春ちゃん、健太くんは、どうなるの?」


 室井を案じる絵里奈からは、幼なじみの情だけでなく、恋慕が感じられた。小春にそれを咎める気持ちはない。とはいえ、その情を汲んであげることもない。


「彼次第ね。わたしたちはこの街を守るわ。もし、彼が街を奪うか、壊そうとするなら、それを許すわけにいかないの」

「健太くんに、神さまは幻想なんかじゃないって、わかってもらえたらいいってこと?」


 小春は「そうね」とうなずいたが、市長が、絵里奈の前に身を乗り出して彼女を止めた。


「やめなさい。彼らに任せるのが一番だよ」

「お父さん……」


 市長は絵里奈から小春へ視線を移し、姿勢を正した。


「どうか、よろしくお願いします」


 頭を下げる市長を、複雑な気分で眺める。彼にとって今回の件は、かかわりたくないたぐいのものなのだ。街に関する重大ごとではあるけれど、人間のかかわる領域ではないと考えている。


 市長や、街の人々がほしいのは、平穏で満ち足りた暮らしだ。

 それさえ約束されるなら、彼らにとって、神は由希斗でなくていいのだろう。もしも室井の連れてきた何者かが、由希斗と同じような恵みをもたらしてくれると確信していたら、市長は小春たちを尋ねて来なかったかもしれない。


 神に守られた街でありながら、住人たちにとって神は同胞ではなく、遠い他人であり、人の手に負えないぶん、わずらわしくもあるのだった。

 それを責めても仕方がない。


 由希斗や小春は、たしかに普通の人間たちとは異なる力を持ち、異なる時間を生きる。


 自分たちは、人が思うほど恐ろしい存在ではないのだと思いつつ、彼らから向けられる感情を、小春は当然のものと受け入れてきた。

 それを寂しいとは思えないくらい、小春は由希斗とともにいることに幸福を感じている。


 その幸福のたったひとつの傷が、自分の存在が由希斗を苦しめているという、どうしようもない事実だった。


(でも、もし、わたしにユキを幸せにしてあげられるなら……。どうにかして、わたしにそれができたら)


 山村との対話で気づいた想い。


 小春は掻き乱されて疼く心をなだめるように、そっと胸に手を当てた。身体を巡る由希斗の霊力がいっそう強く感じられ、それがまた、小春を切なく、幸せにするのだった。







 話を終えた少女たちを、小春は神域の出口まで見送った。由希斗は夕飯の当番を理由に家に置いてきた。


 本来ならば少女たちの記憶を消すところだが、室井健太が再び彼女たちに近づかないとは言えず、彼女たちに記憶がなければ、同じことを繰り返しかねない。そのために、秘密を口外しないよう言い聞かせ、そのままで帰すことにしたのだ。


 すべてが解決したときに、学校の関係者や、高校生としてかかわった街の人々ごと術をかけて、小春や由希斗のことを忘れてもらう。

 そんな小春たちの思惑など知る由もないはずなのに、神域の結界を抜ける直前、佐々良は一度足を止め、小春を振り向いて言った。


「ねえ。ここは本当に、いい街と言えるのかしら」


 彼女は、小春を試すように目を細めて見下ろしてくる。


「どういうこと?」

「悪い感情を持たないように人を操っているのと同じじゃない? それは良いことなの?」


 小春は、佐々良をまっすぐに見上げて目を合わせた。外の世界を知る彼女だからこそ、街のありように疑問を持つのかもしれない。

 でも、この街に生きる人々、そして小春にとっては、外との比較は意味がないものだ。


「もしかしたら、よくないことなのかもしれない。でもわたしは、それでもこの街が好きよ。仕組まれた幸福だとしても、幸せであるのは間違いないわ」

「だけど、憎しみや妬みが、ときには強い力になるものよ。小春ちゃんは、それを知らないの?」

「さっちゃーん!」

「はぁい」

「小春ちゃんが人を憎めば、どれほどの力か、よくわかるんじゃないかしら」


 佐々良は面白がるような軽い調子で言って、小春が何かを言う前に、祐実に呼ばれて行ってしまった。


「憎しみや、妬み……」


 佐々良の言うことが、理解できないわけではない。小春自身の経験ではなくとも、物語や何かで外の世界のことを見聞きし、負の感情も人間には必要であって、それが力になることも知っている。


 だが、その結果としてもたらされるのは、悲しいものが多いことも、小春は外の世界の歴史を学んだときに感じていた。


 人にとって、何が最適なのか。何が正解か。


 そんなことは、小春にはわからない。だが、たとえこの街のありようが、本当の幸せと違うものなのだとしても、小春が街を守りたい思いは揺らがなかった。


「……ユキがくれる幸福……。それを本物だと思うわたしの想いが、きっと、本物にするのよ……」


 誰にともなく、そっと呟く。


 今の幸せが壊れるくらいなら、たとえ偽物と呼ばれようとも、このままがいい。小春のほしいものは、ほかの誰かが『本物』と呼ぶ幸福じゃない。


 ここは平和で豊かな、世界でいちばん幸福な街だ。由希斗が守る、彼のための街。彼が安らかに暮らせる居場所。


 少なくとも小春は、それをこそ幸福と呼ぶ。


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