43,大切な思い出は楓の中へ



 こうやってウィルの背中に乗せてもらいながらゆっくり散歩するのも久しぶりな気がする。

 ここ最近はアドウェル様の怪我があったため、放牧するだけだった。


「ウィル、気持ちいいねぇ……」

「ブル……」

「そうだね、昼からは沢山お昼寝しようね」

「眠たいと言っているのか?」

「今日みたいな日はお腹いっぱい食べたらきっと眠くなるから、お気に入りの場所で寝っ転がるに限るって言っています」

「今の一鳴きでそんなに意味が詰まっていたのか……⁉」

「ニュアンスですよ!」


 草原の所々には、馬が涼めるようにメープルの木が植わっている。夏は木陰が出来て涼しく、秋は紅葉が見事で馬達にも好評だ。

 ウィルは木の根元で私達を降ろすと、大きく首を振るった。


「乗せてくれてありがとうね、行っておいで!」

「ヒヒン!」


 落ち葉を蹴り上げて走って行く親友は、とても楽しそうだ。

 ウィルだけでない。他の馬たちも思い思い駆け回り、中には木陰で一休みする子もいる。


 彼らはいつ何時戦場に駆り出されるかわからない。それは人間でも同じ事だけど、命を預かっている私達は少しでも安寧の時間と愛情を与える義務があるのだ。


 グッ……腕を上げて大きく伸びをした。うん、気持ちいい風。


「今日みたいな日は馬だけじゃなくて、人間も外に出たくなりますよね」

「いいピクニック日和だ。俺達も食事にしよう」

「そのバスケット、サンドイッチですか?」

「アプリコットジャムもたっぷりだ」


 いそいそとレジャーシートを広げる我が旦那様。

 散歩を楽しみにしていたウィルや馬たちだけじゃなかったようだ。


 この贅沢にゆったり流れる時間でこの人を独占できる。ああ、なんと幸せな時間なんだろう。

 紅茶の準備をするアドウェル様に愛おしさが募った。


「あ、初めて見るお店のアプリコットジャムですね」

「評判が良いから取り寄せてみたんだ。アランからお勧めの店は聞いていたが、たまには冒険するのも面白いだろう?」

「瓶から高級な匂いがします」

「どんな匂いだ」

「庶民にはわかるんです、こう……ファビュラスな感じ?」

「ファビュラスなアプリコットジャム……」


 中々巡り会わない単語が出会ってしまった。なんたる奇跡。


 紅茶をカップに煎れて、アドウェル様の前に置くと、口元にアプリコットジャムがたっぷり挟まれたサンドイッチが差し出された。

 食えと申すのですか、この垂れてきそうなサンドイッチを。


「あの、この量は確実に口回りがやんちゃな汚れ方になります」

「安心してくれ、最後まで面倒は見る」

「左手に構えられたナプキンはそのためですか」


 絶対引く気ないじゃん、あと数ミリでも動いたらサンドイッチとチューかますもん。

 にこやかにこちらを見守るアドウェル様を見つめ返してみるが、一向にサンドイッチは動かない。……ダメだ、降参だ。


 諦めて口を開けると、案の定アプリコットジャムが口周りを汚した。子供か。


「こうやってアイリスの面倒を見られる日が来るなんてな……。長年の夢の一つが叶った」

「えらく故意的なお世話なんですけどね」


 口元を優しく拭われる様は、どっちかというと介護じゃなかろうか。そして回りを歩く馬達の視線が生暖かい。


「この前のピクニックも悪くなかったが、こうやって気持が通じ合ってからのピクニックの方がより一層近くに感じられるな」

「こうやって大切な思い出が増えていくんですね」


 自分から言った後になんだが、小っ恥ずかしくなった。

 ほんのり赤く染まって居るであろう頬を誤魔化すために、紅茶を勢いよく煽る。


「あのう、ずっと気になっていたことがあるんですが、」

「なんだ? 今日の夕食のメニューか?」

「気になりますけど違います!


 そうじゃなくて、馬車で改めてお話しした時に〝昔から変わらない、久しぶりに会って安心するほどに〟的なこと言っていましたよね? あれっていつのことですか?」


 あの時はアドウェル様の怪我もあったし、ドランゴンでてんやわんやするわ予定外の愛の告白大会を主催せねばならなかったわで流してしまったのだ。

 何度ベッドの中で入隊前後の記憶を漁ったことか。おかげで夜しか眠れなかった。


「……そうか、君は覚えていないか」

「え、すいません、やはり以前何処かでお会いしていましたか⁉」

「実は会っていたんだ。


 最も、俺の方は名乗りもしなかったがな」


 上司を、それもこんな男前で有名人を忘れるって、どれだけ私の頭はおめでたいんだ。

 いつぞやの自分を殴ってやりたくなった。



 

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