41,酒は最高の武器
バーミンガム家所有の馬車は今日も今日とて大きい。まあ日替わりで変わられても困るのだが。
スマートにエスコートされ、頭を打つ心配のない高い扉を潜り抜けた。
「兄は何を言いかけていたんですか?」
「大したことはないさ、大方明日の市場に入ってくるトナカイの生肉在庫情報でも教えてくれようとしていたんじゃないか」
「絶対違うと思います」
怪しい。だってさっきからずっとこっち見ないもん。
ジトー……と団長の横顔を見つめてみるが、やはりこっちに一度も視線を寄越さない。
ピコン。
頭に電球が灯った。
「バーミンガム団長」
「……なんだ」
「教えてください、兄は何の話を?」
「俺は義兄上殿じゃないからわからないな」
「ふうん……」
「……」
「アドウェル様」
「ッ‼」
すご、肩が魚の如く跳ねた。
いつだったか、屋敷に来たばかりの頃名前で呼ぶよう言われたが、結局私が呼び慣れないし団長も呼ばれ慣れていなかったから元に戻したんだったか。
でも気持ちが通じ合った今、少しくらい私からも歩み寄りたいんだ。なによりこんなあからさまな隠し事は仲間はずれみたいで寂しい。
そのまま前に座る団長の横に移動すると、服の裾を掴んだ。
「アドウェル様、聞こえていますよね?」
「あ、ああ……いや、待ってくれ!」
「なんですか」
団長がこんなに顔を真っ赤にしてたじろぐのも、そんな団長に詰め寄ることも、少し前なら考えられない。我ながら逞しくなったもんだ。
「その、名前……なんだが……」
「はい」
「……前も思ったんだ。自分から呼ぶように言っておいてなんだが、やはり呼ばれると嬉しいな」
多分、今すっごい間抜けな顔してると思う。
え、名前を呼んだだけで? たったそれだけのことで、この人はこんな顔を真っ赤にして幸せそうに笑うのか?
いつもはキリッとした眉毛が、頼りなく垂れている。
あの団長が照れている……だと……?
ようやく目の前で起こっていることが理解できて、私まで顔が赤くなる。断言しよう、今血圧がえらいことになっている。
「そ、そそそそそんな可愛い顔したって流されないんですからねッ‼」
「可愛いのは俺じゃなくてアイリスなんだが……まあいい、アランのことだったか」
あれ、いつの間に形成が逆転していたんだろう。
いつの間にか私の肩には団長……アドウェル様の腕が回っており、体の接着面積が多くなっていた。
「あの人からしてみれば、鳶に油揚げをさらわれる気分だっただろうな」
「そう、かもしれませんね、兄は私と離れて暮らすことになっても昔から気にかけてくれていましたから」
「知っていた。アランとはホーリングスワーグ家の養子になった頃からの付き合いだ。会うたびにアイリスの自慢話を聞かされていてな、お互い今の地位に就いてからも偶に酒を飲ませ……食事をして君の情報を貰っていた」
「今酒って言いかけませんでしたか⁉」
なんで私の好物とか家事情とかその他諸々、アドウェル様が握っていたのか秘密が解明された。
全部お兄ちゃんじゃん‼
頭の片隅で舌を出しながら「タハー!」と語尾に星をつけて笑う実の兄が恨めしい。
「でもよく兄が私の情報を話しましたね。だん……アドウェル様が私と籍を入れようものなら全力で止めに入って、最悪絶縁ものなのに」
「そこは酒の力だ、アランは酒に弱いからな。
それに今回の作戦が悟られないよう、質問の方法だって工夫した。誘導尋問は戦での情報収集の基本。
アイリスの言う通り、余計なことを言ったら邪魔が入る。だから先に籍を入れて後からアランはなんとかすればいいと判断した」
名前を呼ばれた影響のデレッとした顔でとんでもない事を言ったよ、この旦那様。
「兄は私のことが大好きなんです。しばらく面倒ですよ」
「望むところだ、アイリスを繋ぎ止めるためなら、どんな努力も惜しまないさ」
そんなことしなくても私は離れないのに。なんてこれは言葉にしなくても、きっと伝わっているだろう。
すると甲高い音が外で鳴り、慣性の法則で体が揺れた。どうやら馬車が到着したようだ。
大して体は動かなかった理由としては、アドウェル様が咄嗟に私を抱きしめたから、という必要性があるのかどうかわからないありがたいフォローのお陰である。
「到着いたしました」
「ありがとう。降りる準備をするから少し待ってくれ」
「承知致しました」
サッと上着を渡し、外していたオペラグローブを差し出した。
「あと忘れ物は……」
「一番大切な物を忘れている」
「なに、」
フニ、と唇に柔らかい感触。ああ、こんなところで……。
この愛に慣れる時は、はたして来るのだろうか。
「い、いいですか、外ではダメですよ!」
「手厳しいな」
「その、家でなら……あの……」
「よし、帰ろう」
「仕事しましょう⁉」
開かれた扉から、眩しい光が入り込む。さあ、愛おしい子に会いに行こうじゃないか。
先に降り立ったアドウェル様の手を取って、体を委ねた。
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