40,いつか帰れるその日まで



「アイリス、これが食べたい」

「はい」

「次は……こっちだ」

「はい、どうぞ」

「林檎はうさぎの形に切ってくれ」

「わかりました、今切りますから待っていてくださいね」

「あー‼ ヤメロヤメロヤメロー‼」


 あの動物園事件から数日が経ち、団長の怪我は快調に向かっている。

 医者曰く、命に全く問題は無いとのこと。大根役者って誰のことだよ、と吐き捨てたいくらいの渾身の演技だった。まあそのお陰で歩み寄れたけど、本気で死を覚悟した私を慰めてやりたい。


 そんな私達は、少しずつ関係性が変わってきているように思う。


「さっきからなんなの、お兄ちゃん。仕事は?」

「そんなの行ってる場合じゃ無いんだよ! なんでアイリスはこの家を出て行かないんだよォ⁉」

「なんでって……ここが私の家だから」

「そうですよ義兄上。アイリスの自室がこの部屋です」

「今なんて? 義兄上ェ⁉」


 この人、朝から元気だな。そういえば昔から朝は強かったなぁ。


 なんてちょっと思い出しながら、林檎の皮をうさぎの耳に見立てて包丁で切れ目を入れる。


「アイリスはちょっと甘やかし過ぎだよ‼ なにが林檎はうさぎの形⁉ こいつ、もう一人で風呂だって入れるし一人でご飯だって食べられるんだろ⁉」

「私を庇って怪我したんだから、ちゃんとお世話するのが当然でしょ」

「そうですよ義兄上。それに弱っている夫を妻が介護するのに何が不満なんですか」

「全部だよ‼ 不満しかないよ‼ 何だよこの光景、っていうか僕はまだ君たちの結婚認めてないから‼」

「困った義兄上だ」

「お前だよ‼」


 綺麗に剥けた林檎をお皿に乗せ、団長の膝に置いた。すると何故かお兄ちゃんが半分近くかっさらっていく。あんたがヤメロ!


「それで本当に何をしに来たんですか。もうすぐ俺達も出て行かなければならないので用件を手短に。それから代わり映えしなくて申し訳ないですが、今年もうちが所有する牧場のハムを送りましたので受け取りをお願いします」

「あ、ありがと。バーミンガム家の牧場は人気だからハムとか中々買えないんだよね……アッ買収⁉ もしかして俺、年月かけて買収されてた⁉」

「あ、たまにお裾分けしてくれるあのハムってバーミンガム団長からだったの⁉」

「外張りは埋めていたつもりだったが、まだ足りなかったか」


 結構前から貰っていたぞ、あのハム‼

 何食わない顔で林檎を頬張る夫の顔と、下唇を噛み締める兄の顔を交互に見る。


「アイリス、そろそろ準備しないと本当に遅れるぞ」

「あ、大変! じゃあお兄ちゃん、またね」

「待って待って! 俺はアイリスに用があって来たんだって!」

「じゃあ早く言ってよ!」


 本当に茶化しに来ただけかと思ってた。


 団長がベッドを軽く叩いたので、遠慮無くお邪魔する。

 またお兄ちゃんの顔が歪んだけど、もう無視だ無視、話が進まない。


「アイリスが庇ったドラゴンなんだけどね、あの後トナカイの生肉を与えたら大人しくなったんだ」

「本当⁉」

「うん、本当だよ。今は落ち着いて小屋の中で暮らしている。幸い外には出ていないから一般人にも小屋内でトラブルがあったと説明してなんとか収まったし、新聞沙汰にもならないよ」

「よかった……」


 ずっと気になっていたが、団長に聞いてものらりくらりを躱されていたのだ。

 ドラゴンのことは機密情報だ、一般人の私へ簡単に情報を流してはいけないのだろう。


「チッ……明日アイリスを連れて行って俺から説明しようと思っていたんだが」

「ベーッ‼ 言ったもん勝ちだもんね、はい俺の勝ちー‼」

「(本当に元気だな、お兄ちゃん)」


 年々テンションが上がってきていないか?


「ま、アイリスのお陰でドラゴンはご機嫌さん。体力も戻ってきているから、もう少ししたら故郷に帰してあげられるんじゃないかな」

「あの子、ずっと帰りたいって言ってたの。いつ頃帰れそう?」

「うーん……まだ怪我が完治してないからなぁ。あと一ヶ月はかかるんじゃないかな」

「そっか……」


 それだったら仕方ない、ドラゴンの体が優先だ。

 少ししょんぼりしていると、頭に暖かい手が乗せられた。団長だ。


「義兄上に先を越されてしまったが、明日ドラゴンに会いに行こう。毎日でも来て欲しいと乞われたんだろう?」

「はい!」

「その帰りに前のポーラーベアーのところにも寄ろうか。……そうだ、この間は行けなかったが、うさぎを抱ける場所があるそうだ」

「あ、そこ私も行きたかったんです! 明日行きましょう!」

「その後はビーバーに餌やり体験に行ってもいいな」

「この間看板があったんですけど、絞りたての生乳を使ったソフトクリームもあるんですって!」

「ほう、うちの牧場でも似たようなことをしているが、視察調査も出来るな」

「やだ、そんなのバーミンガム団長の牧場が美味しいに決まっていますよ!」


 膝にかけていた毛布を退かし、側にあった羽織を手に取る。どうやら団長もお出かけの準備をするらしい。


 そこで思い出した。

 新しく出来た約束に舞い上がっていたから忘れてたけど、お兄ちゃんいるじゃん。


「グスン……」

「ああー……泣かないでよ……」

「ううっ……俺は直ぐにでもアイリスを連れて帰りたいんだよ? なのにアイリスは楽しそうだし……」

「や、だって楽しいし……」

「なんで相思相愛になってるんだよぉ……いいよ、今日はもう帰るよ……。

 でもアイリス、嫌になったら直ぐにお兄ちゃんの所へおいで! こんな、酒を飲むだけ飲ませて人の妹の情報を引き出すような腹黒「さあさあ本当に準備しないとまずい義兄上におかれましては今後とも何卒よろしくお願いしますよお出口はあちらですお気を付けて帰路についてくださいね」っアイリスー‼」


 ワンブレス。どんな肺活量だ。というか、今聞き捨てならないこと聞こえたんですけど?


「あの、」

「さあアイリス、行こう。準備はいいか?」

「は、はい」


 なんなんですか、二人の間に何があったって言うんですか‼


 変ににこやかな団長に背中を押され、私は自室の外に追いやられるのだった。



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