38,大根役者


「大丈夫ですか⁉」

「ん? ああ、平気だ」

「え、さっきふらついて、」

「アイリス、あんな適当な演技に引っ掛かるな。心配になる」

「んえ」


 は、あれ演技だったの⁉


 団長の言う通り、小屋の前にはバーミンガム家に馬車が到着していた。

 見つけるや否や、貧血気味の団長を部屋とも呼べるような広い馬車に押し込んで自分も乗り込んだ。


 初めて見たドラゴン、予想外の暴走、急に現れた兄。

 しかしそれよりなにより私を焦らせたのが、団長の怪我だ。


 だというのに!


「まあ確かに血は足りないな。屋敷に戻って食事でもすればすぐに戻る」

「何をおっしゃっているんですか‼ お医者様に見せなければ‼」

「アイリス、これくらいの傷でピーピー言っていると戦場でやっていけないぞ」


 最も君は今後戦場に出向く機会はないだろうが、と付け足し、応急処置で背中に当てられた布の上から傷を撫でた。

 どす黒い血が滲み、思わず目を逸らす。


「……すいません、私がでしゃばったばかりに、こんな大きな傷を負わせてしまって……」

「君を守った証だ、むしろ光栄だな」

「何を調子に乗っているんですか……」


 こんなに血を流して……。

 ギュッと団長の服を掴んだ。


「……怖かったんです、バーミンガム団長がこのまま死んでしまったらどうしようって」

「ああ」

「絶対に怪我しないって約束してくださったのに、結局私が余計なことして、」

「アイリス」


 低くなっていく声と目線。

 自責の念が涙となって滲んできた頃、頬を挟まれて首が上にあがった。ついでに変な音もした。


「君は優しい。あのドラゴンが苦しんでいるところを見ていてもたってもいられなくなったのは想定の範囲内だ。

 ……まあ、帰ったら説教だが」

「うっ……お手柔らかにお願いします……」


 顔を上げた拍子に涙が頬を伝った。

 すると、視界が急に暗くなった。


「すまなかった、怖がらせてしまったな」

「う、え、ぉおん……?」


 暗くなっても所詮は昼間の馬車。一瞬で視界は慣れ、目の前にあるのは自分よりはるかに立派な胸板だということが分かる。

 そして無意識に息を吸い込むと鼻腔に広がる団長の香り。

 今しがた団長への気持を自覚した身としては、あまりにも刺激が強い。直接脳みそにボディーブローを食らった気分だ。


「(そ、それに、さっき、私、キ、キス……‼)」


 この匂いは誘発剤か何かだろうか。

 芋づる式に唇に与えられた熱が蘇り、耳から湯気が出そうな気持ちだ。

 一瞬死に際の妄想だと思い込もうとしたが、それはこのいい匂いが許してくれない。


「アイリス?」

「あ、」


 今顔見られたらヤバいんだが。


「…………」

「あの、えっとッグェッ‼」


 え、いじめ?


 顔を覗き込まれ、沈黙二秒。後、強制胸板リターン。


 なんとまぁ力の強いこと。ぶち当たった額と胸板が鈍い音を出した。

 もしかして鉄板でも仕込んでいますか?


「内臓が出る……‼」

「出ない」

「一歩手前です‼ 離してください!」

「ダメだ」

「なんで⁉」


 さっきまでは自分の赤くなった顔を見られたくなかった一心だったが、これはあかん、命に係わる。


 せめて呼吸の確保だけでも、と貌をずらすと、見えてしまった。


 団長の耳が真っ赤だ。


「(え? え、なんで?)」

「内臓は出ないようにするから、もう少しこのままでいさせてくれ」

「いけません‼」


 そんなこと言っている場合じゃねェ‼


 渾身の力を振り絞り、団長のご立派な胸板を押し返した。


「バーミンガム団長‼ 熱が出てきているのでは⁉」

「え」

「背中の傷が化膿したんじゃ……‼ 大変です、直ぐに帰りましょう‼」

「いや、これは傷の影響じゃなくてだな」


 やっぱり顔が赤い‼


 自分の顔より高い位置にある団長の額に、勢いよく手を叩き付けた。……なんか凄い音がしたけど、私も首が痛いからお相子ってことにしておこう。


「どうしましょう、気分が悪かったりしますか?」

「アイリス、聞いてくれ」


 額に触れていた手首が捕まれた。

 何処までも澄んだ、吸い込まれそうな翡翠の瞳に私が映っている。


「どうしても伝えたいことがある」

「バーミンガム団長……」


 いつの間にか顔の赤みが引いた団長だが、勢いよく叩き付けた掌の跡が残っているのは黙っておこう。


「俺は卑怯者なんだ」

「え? ええ……?」


 やはり熱に浮かされて可笑しくなっているのだろうか。

 心配がムクムクと湧き上がるが、その真剣な瞳に思わず言葉が喉の奥に引っ込んだ。


 鏡のように映し出された翡翠の瞳に映る自分が、緊張しているのが見える。


「今回の結婚は、俺が君に断られるのを恐れて強制的に事を進めたんだ」

「確かに強引ではありましたが、それはバーミンガム団長と私の利害が一致したから、」

「利害の一致だけで結婚を進めるような馬鹿な男だと思われても、俺は君を手に入れたかった」


 待て待て、理解が追い付かない。というか利害の一致だけで私に声をかけたんじゃないのか?


 団長の放った言葉を一つ一つ落とし込んでいると、また体が温かくて固い筋肉に包まれた。

 だから今はそれやばいんですって‼


「わ、わかりましたからいったん落ち着いて話しましょう⁉」

「俺は落ち着いてるが」

「私が混乱していますごめんなさい‼」


 なんで団長が私なんかを欲するのか。


 そんな安易な疑問、彼にはお見通しだ。

 私の体を少し離すと、その宝石のごとく眩い瞳を寄せてくる。


「君はいつでも慈悲深く、優しい。どんな儚く小さな命でも、汚れた魂を纏った命でも軽んじることない。そんな気高い心の持ち主である君に、俺は惚れたんだ」

「ほっ、ほォ⁉」

「フクロウの物真似か、後でじっくり見せてくれ」

「そういうつもりじゃないです‼」


 今団長の口からとんでもない言葉が聞こえたような。惚れ……惚れたァ⁉


「お言葉ですが、私はバーミンガム団長が思っているほど高潔な人間ではないかと……」

「いいや、君は昔から変わっていない。久しぶりに会って安心するほどにな」

「昔……?」


 入隊した時の事? や、その時はご尊顔こそ遠目で見たが視線を交わしたり言葉をかわしたりはしなかったはずだ。

 一体いつの話をしているのだろう。


「アイリス、聞いてくれ。


 俺は、君が好きだ」



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