32,言質取ったり


 何が起こったのだろうか。


「うっ……」


 砂埃が巻き上がる中、私は地面に倒れている。

 起き上がろうとするが、重たいものが上に乗っているようで動けない。


「(何……?)」


 そうだ、ドラゴンの爪が見えて、それで逃げなきゃって思ったけど動けなくて。

 何かがぶつかったような気が……。


 そこまで思い出し、膝の痛みに顔を顰めた。


 どうやら倒れた際に地面にぶつけたようだが、逆言えば痛いのはそこだけ。

 爪は私を抉っていないようだ。


「っ……ド、ドラゴンは……」


 何処にいる? 団長は?


 とりあえず状況を把握しようと上に乗っかるものを押すと、手に〝何か〟が付いた。


「え?」


 血だ。


 誰の?





「アイリス……怪我は……ないか……?」

「な、なんで……?」


 どうして団長が私の上にいるのだろうか。


 少し離れたところでドラゴンの雄たけびが聞こえる。

 でも今はそれどころじゃなくて、私の服がどんどん血で染まっていって。


 耳の奥がガンガンうるさい。

 体に回された団長の腕が、私をドラゴンから守るように力を籠められる。


「どうして⁉ なんで庇ったんですか⁉」

「妻を守るのが……夫の役目だろう……」

「何を馬鹿な事を‼ 私なんかいくらでも代わりがいます‼」

「いない」


 止血、止血をしないと。

 大した怪我をしていない私がパニックになってどうする。


 団長を無理矢理どかし、ドレスの裾を破いた。

 背中に入った傷は広く深く、考えずともドラゴンの爪が抉ったのだとわかる。


 あの衝撃の正体は、団長だ。

 私のせいで、団長が怪我をしたんだ。


「君の代わりなんて、この世の何処を探してもいない……」

「わかった、わかりましたからもう喋らないでっ……!」


 どれだけ押さえても、血は止まらずドレスを真っ赤に染め上げていく。

 体温が下がっていくのがわかって、とうとう目から涙が溢れ出た。


「お願いします、意識だけは保ってくださいッ‼」

「俺はもういい……逃げ、ろ……」

「置いて逃げるわけないじゃないですか‼」


 早くここから逃げないと、でも止血を。

 何を優先すれば良いのか、回らない頭でいくら考えても正しい答えは導き出されない。


 ズシン……と重い地響きが鳴った。

 ドラゴンがこちらに再び狙いを定めたのだ。


「私達は! 貴方を傷付けない‼」

「アイリス……」

「私が貴方を故郷に帰してあげるから‼」


 今度は私が団長を守らなければ。

 震える手で頭を庇い、ドラゴンに向かって叫び続ける。


「はは……血を流さないと言ったのに……最後の最後で、約束を破ってしまったな……」

「私がドラゴンに鎖をかけてきます、だからっ!」

「何処にも行かないでくれ……ここにいてくれ……」


 やめてよ。

 そんな最後みたいなこと、言わないでよ。


 そう言ってやりたかったのに、上手く声にならない。

 一度零れてしまった涙は、馬鹿みたいに流れ続けて団長の顔を濡らしていく。


 冷たくなっていく手を握り、額に押し当てた。


「君と結婚できて……幸せだった……」

「お願いです、それ以上言わないで、」

「君にとっては……迷惑だっただろう……」

「そんなことない、私だって幸せだったっ……!」


 最初は戸惑った。

 一緒に過ごした時間だって短かったし、結局なんで団長が私に結婚相手の白羽の矢を立てた理由も納得できていない。

 でも、この短い時間の間で団長の優しさを、知ってしまった。


 ドラゴンがドンドン近付いてくる。

 団長を連れて逃げないといけないのに、今はこの人の声を聞いていたいと思ってしまった。


「もし生きて……ここから出られたら……ずっと側にいて……くれ……」

「はい……ずっと……います……だから……」


 死なないで。

 殆ど空気に近い音に、団長が小さく笑ったのがわかる。


 ああ、私はどれだけこの人に甘えていたのだろう。

 最後の最後まで優しい、この人に。




 今更になって、自分の気持ちに気付くなんて。




 クンッ……と弱く襟元を引っ張られ、顔が下がった。

 自分より低い体温の手が優しく頬に添えられる。


「俺の妻は、アイリス……お前だけだ……」

「私もです……私の旦那様は、貴方だけです……」


 初めて触れた唇は、思ったより柔らかかった。


 一瞬にも満たない時間。けれども、人生の中で一番幸せと思える瞬間。


 ああ、ドラゴンが爪を振り翳したのだろう、また頭上が暗くなった。

 でも、もういい。


 いつの間にか体の震えはとまり、愛おしさで胸が溢れていた。

 こんな気持ちで逝けるのも、幸せかもしれないな。




「アイリス……。








 言質、取ったからな」



「んぇ」


 また視界がブレた。

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