30,約束
「ギャッ‼」
「アイリス‼」
音って凄い。
目に見えないのに、まるで衝撃波みたいに体を震わせる。
ドラゴンの咆哮を全身に浴びた私は、軽く吹っ飛ばされて後ろに転がったのだ。
明日はお尻が内出血しているだろう。やだな、蒙古斑みたいになっていたらどうしよう。
「いたたたた……」
「大丈夫か⁉」
「訓練の痛みに比べたらどうってことないです……」
本音である。
団長に支えてもらいながら、なんとか立ちあがるとお尻を摩った。
「急にどうしたんだ? 今まで寝でいたのに」
「わ、わからないですけど……」
地面にベッタリとくっつき、力なく横たわっていたのはほんの数秒前。
一体何がドラゴンを触発したのだろうか。
恐る恐る下を覗いてみると、ギョッとした。
「なんか、めっちゃ怒ってます」
「みたいだな」
言葉がわからない団長でも、それだけはわかったらしい。
縦長に開いた黒い動向が、怒りの感情を剥き出しにしてこちらを睨み上げていた。
私達、何かしました?
「グアアアアァッ!」
「かえせ……?」
「かえせ、というのは、故郷にか?」
「多分……」
帰せ、返せ。
故郷に? 親を? もしかすると、両方?
私一人じゃ絶対に持ち上がらないであろう鎖を、ドラゴンは引き摺った。
「ガッ……ゴォォォ!」
「重い、痛い……」
「悲鳴か」
心からの叫びが、私の心を抉る。
思わず柵を握った。
「団長……! どうか鎖を解いてやってください!」
「だめだ、今のあいつには誰も近づけさせられない」
「じゃあ私が!」
「待て!」
「ガァアアアアアッ!」
嫌な予感というものはよく当たる。
〝帰る〟
確かにそう叫んだドラゴンが、その錘が圧し掛かった翼を広げたのだ。
バキッ!
「クソッ! 鎖が負けたか!」
何度も暴れたことがあったのだろう。
鎖は元々削られており、所々抉れていた。
それが最後の力で、とうとう壊れたのだ。
「や、やめて……」
私の声は、風圧に消されてしまう。
ドラゴンの羽ばたく風が、私のおでこを撫でる。
地面に落ちるのは、無理やり引きちぎった鎖の代償である数多の鱗と鮮血。
ああ、どれほど痛いだろうか。想像もつかない。
幼いドラゴンには到底似合わない、痛々しい傷がここからでも目視できる。
「憲兵! 外から人数を集めろ! この小屋からドラゴンを出すな!」
そう叫ぶと、団長は自分上着を脱いで私の頭に被せた。
ひぇ、いい匂い……って私は変態か。
「預かっていてくれ」
「え、あ、まさか……⁉」
そのまさかだ。
なんとその艶めかしい腰に差していた剣を抜き払ったのだ。
「少し相手をしてやろう」
「ま、待ってください!」
自分の体の体温が下がったのが分かる。
「お願いです、どうかあの子を傷つけないでやってください! それに団長もあの子に近づけばただではすみません!」
「わかっているさ。俺は頑丈だから、多少傷ついてもかまわない。あのドラゴンには傷一つ付けないと約束しよう」
「っ…バーミンガム団長に傷付いて欲しくないんです!」
団長の息を飲む音が聞こえた。
私の指先には、布の感触。
そりゃそうだ、だって団長のシャツ、掴んでるもん。
あ、皺になったらどうしよう。
「……俺に、傷付いてほしくないのか?」
「そ、そうです」
「…………」
あ、なんか、恥ずかしい。
カアッと頬に熱が集まるのを感じ、慌てて顔を下に向けた。
っていうか、この沈黙はなに⁉
「……バーミっぶへぇ!」
「行ってくる」
「わ、私の話聞いていました⁉」
なんで頭をかき混ぜる⁉ ああ、折角キャリーが綺麗にセットしてくれたのに‼
「まだ増援も来ていないのに、」
「アイリス」
整える頭の上から、いつもより優しい声が降り注ぐ。
私が顔を上げようとすると、上から抑えられてしまった。
「約束しよう。ドラゴンも傷付けないし、俺も血を流さない」
「無茶ですよ……」
「案外エノコログサで喜んだりしてな」
「ドラゴンを猫扱いするなんて、バーミンガム団長くらいです」
どこから出てくるんだ、その余裕。
ジワリ、と少しだけ視界が滲んだ頃には、頭の上に乗せられていた手が無くなっていた。
ノロノロを顔を上げ、ぼやけた視界に映るのは柵を飛び越えた団長の背中だった。
「ガルルルルッ‼」
「そんな嬉しそうな声を出すな」
重力を考えさせないほどの、可憐な着地。
ドラゴンの鋭い瞳が、団長を捕らえた。
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