23,あるべき場所へ
「奥様、とても素敵ですわ!」
「ははは……どうも……」
昨日の夜は長かった。
あれからキャリー達メイドさん一同は、はしゃぎにはしゃぎ深夜までドレス選びに精を出していたのだ。
まあそんな状況で寝れるはずがないわな。
無事、寝不足である。
「まあ、そんな眠たそうな顔をして! そんなに今日は楽しみだったのですか?」
「ノーコメントでお願いします」
キャリー達が帰ったあと、ようやくベッドに潜り込んだのはいい。問題は起こされる時間だった。
何故太陽が昇る前に叩き起こされ、これまた頭からつま先まで磨かれるのか。
なぜここまで念入りに化粧を施し、芸術とも言えるような複雑な髪型をせねばならぬのか。
「さあ最後にローズの香りを纏って……完成しましたわ!」
「(なんで本人よりキャリーの方がブチ上がっているのかな)」
改めて鏡を覗き込むと、そこに写っているのは確かに自分の筈。しかし初めて見る化粧やメイクで、一瞬誰だか分からない。
深夜まで及んだメイドさん一同の会議の結果、選ばれたドレスは濃い青のヴェロアのドレスだ。
派手なドレスを好まないとわかったキャリーのチョイスだ。素朴な意匠のドレスであるが、裾には銀糸で真珠が縫い止められており、胸元は複雑な花がデザインされたであろう黒いボビンレースがあしらわれている。
「これだけで私の給料何ヶ月分かな……」
「奥様、折角の旦那様からのプレゼントをお金で換算するのは無粋というものですわ」
「プ……え? なんですって?」
「プレゼントです! あのドレスは全て旦那様から奥様宛てのプレゼントですのよ」
嘘だと言ってくれ。
「(は……⁉ たかがお飾り妻にドレスのプレゼント⁉ どんな金銭感覚を……や、団長までなるとやっぱり給料結構貰えるのかな? っかぁ‼ 羨ましい‼)」
私ももう少し頑張って一階級上げれば、多少のお金が入ってきていたのだろうか。今となっては退職した身なので、どうしようもないが。
など、今更なことばかり考えている内に玄関ホールまでやってきた。
わかる? 大理石で私のヒールの音が鳴り響いてるの。
実家なんて鳴り響くのは雨漏りの音だけなんだわ。
「アイリス」
「お、おはようございます、バーミンガム団長」
そう、待ち合わせは玄関ホール。普通待ち合わせと聞けば公園とか何処かのカフェとかじゃん? ノンノン、我が家は家です。
団長はいつもの制服でなく、黒のスラックスに編み上げブーツ。上にはナポレオンジャケットを羽織っており、団長の品の良さを十分に引き出している。
「…………」
「あの、バーミンガム団長?」
「……」
また無視か。
つい先日、朝食中に話しかけているのに無視されるという事件が発生した。恐らく仕事の疲れてで憩えていなかったのだろうが、あれは結構堪えた。
今日も例の疲れだろうか? ならばデートなんて止めて、ベッドにリターンしてもらった方が良いのでは。
「バーミンガム団長、今日のお出かけは止めましょう」
「止めない」
聞こえてるんかい。
思わず言葉が口の中から転がり出るところだった。
「アイリス、綺麗だ。とてもよく似合っている」
「そんな、お世辞なんて「世辞なんて言わない」」
なんでそんなに食い気味?
急に覚醒した団長が、ガシッ‼っと私の手を握った。
「ん? 指輪はどうした?」
「指輪ならいつも通り首からかけています」
ほら、とドレスの中から取り出すと、団長の眉間にグッと皺が寄った。
「貸してもらえるか?」
「? はい、どうぞ」
というか、そのままお返ししてもいいんですよ。
首の後ろからチェーンを外して、自分より遙かに大きい掌にその指輪を置いた。わあ、いつもよりちっちゃく見える。
「今日だけチェーンは俺が預かっておく」
「はい」
「では左手を出してくれ」
「はい」
もはや言われるがままだ。
素直に掌を団長に見せると、絡め取られる。なんだろう、手相占い?
「あのう、私あんまり綺麗な手をしていないので手相も本来のものと変わっているかと」
「手相は知らんが、アイリスの手は綺麗だ」
どこが。
急いで引っ込めようとするが、それは団長の手が許さない。
「水仕事……ウィル達の世話だろう? この手は我が陸上軍団を支えてくれている、美しい手だ。我が弟が毎日綺麗な水を飲めるのはこの手のお陰だ」
「お、大げさですよ……」
手を離してくれ。早く!
後ろから突き刺さる、キャリー達の視線が痛い。
「ラブラブですわ……」「羨ましい……」「私も早く結婚したい!」「ピンクだわ……」と、小さなやり取りがこっちにまで届いてくる。勘違いしないでくれ、別にラブラブじゃないし、ピンクでも無い‼
顔が赤くなってきたところで、薬指に冷たい物が触れた。
「この指輪はこの美しい手にこそ相応しい」
「へ?」
あれ? さっき団長に渡した指輪が私の薬指にあるぞ? 何でだ?
「今日はここに着けてくれ」
「いけません! 私達は節操のある距離が必要で‼」
「それは仕事中の話だ。今日は休み、少しくらい夫婦らしいことをしてもいいだろう」
「夫婦らしいって……!」
「どうか俺の願いを聞き入れてくれないだろうか」
なんと。団長はそのまま私の左手を持ち上げると、指輪の嵌まっている薬指に唇を落としたのだ。
「な、なななな……っ⁉」
「くくっ……厩舎管理人の次は林檎にでもなるつもりか?」
指に触れた団長の唇は思ったよりヒンヤリと冷たく、思わず肩が跳ね上がった。
後ろから上がった黄色い悲鳴が、空気を盛り上げてくる。
女性であれば、憧れるシチュエーションだろう。私だって女だ、少しは夢見たこともあるさ。
でも! 心の準備がしたかった‼
「さて、行こうか。表に馬車を待たせてある」
「ひゃい……」
穴があったら入りたい。
額でお湯を沸かせそうだ。これ以上皆に赤い顔を見られたくなくて、足早に玄関を潜るしかなかった。
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