17,鞭は人に向けるもんじゃない



 首元で揺れた指輪が、熱を持った気がした。

 遠ざかる団長の背中を見送り、ソッと握りしめる。


「(指に嵌めたいって言ったら、バーミンガム団長はどんな顔するかな)」


 私達の間には愛が無い。

 だからこの薬指に指輪を嵌めることは無いのだ。


 しかし、愚かなことに嵌めてみたいと思ってしまった。


「こんな高そうな指輪、私には勿体ないけど……あれ」


 そういえば。


 結婚するときって指輪を貰ったら何かお返しをしなくちゃいけないんじゃなかったか?

 確かこの間元同僚の女性騎士が結婚した時「お返しにオーダーメイドの紳士服を見繕ったのよ」なんて言っていた気がする。


「私も何か返すべき、なのかな?」


 一般的にはそうなのだろう。

 しかし私はドが付くほどの貧乏である。


「(どうしよう、実家に送金してるから自由に使えるお金が少ない……!)」


 頭を抱えて原っぱに座り込んだ。

 元々貧乏男爵家の実家だ、それなりに財産が太ければ私ももう少し引き籠もっていても文句は言われなかっただろう、多分。

 だが悲しきかな、私が出ても裕福になることなく、結局仕送りすることになったのだ。


 可笑しいな、お父様もお母様も倹約家な筈なんだけどな。


 なんてことがあり、私の手元に残っているのは雀の涙ほど。つまり、こんな豪華な指輪に対してもお礼なんてとてもではないができない。


「やっぱりこの指輪、返そうかな……」


 初めて異性から貰った贈り物。手に渡ってまだ一日も経っていないのに、もう愛着が沸いてきている。


 服から取り出して、マジマジと見つめていると聞き慣れない声が背中にぶつけられた。


「あーら。誰かと思ったらドベっ子のアイリスじゃない」


 そうだす、あたすがドベっ子だす。


 嫌な予感を隠せないまま、恐る恐る後ろを振り返ると。


「(まあ! 怖い!)」


 なんと私の後ろには、どす黒いオーラを纏ったエリー・サカイラッズ率いる私立ファン倶楽部・バージョンバーミンガム団長が佇んでいた。

 すげえ……騎乗訓練並の迫力だ……。


「えっと、どうかしたのかな?」

「どうかしたのかな……ですって……⁉」

「(ひっ……⁉)」


 ハンニャだ。

 少し前に座学で教わった、遠い東の国にあるお面を思い出した。そんなこと口にしたらミンチにされるので、絶対言えないけど。


「貴女‼ どうしてバーミンガム団長と結婚しているのよ‼」

「どうしてって言われても……」

「そうよ! エリーがバーミンガム団長にどれほど心を寄せていたか、貴女も知っているでしょう⁉」

「私達のことを高みの見物してたの? 性格が悪いわね!」

「そんなんじゃないよ!」


 そもそも! あんた達がもっと水面下でバレないように活動していれば、この座はエリー、もしくはファン倶楽部の誰かのものだったかもしれないのに!

 今となっては後の祭りだし、私の口から何を言っても聞き入れてくれないだろう。


「家も最底辺、成績だって最底辺の貴女がどうやってバーミンガム団長と⁉」

「そんなの私が聞きたいよ……」

「ふざけんじゃないわよ‼」


 やめてくれ、もうこっちとら涙目だ。

 無意識のうちに指輪を握りしめ、自分自身を守るように背中を丸める。


「上手くやったわよね、どうせ体でたらし込んだんでしょうけど。

 ま、コネ入隊で何をやらしても鈍くさい貴女にはそれくらいしか出来ないかしら」

「まあまあ、落ち着いてよエリー。この子の格好を見て」


 小馬鹿にしたように……実際小馬鹿にしているんだろうけど! エリーを囲んでいた仲間の一人が、私の作業服の襟を掴んだ。


「このみっともない服! この子、陸上軍団の地位を失って馬の世話係になったのよ? いい気味じゃない!」

「ああ、団長自ら貴女に世話係を言いつけたんですって?」

「違うよ、私が自分でやりたいって言って、」

「自分の妻に馬の世話係。誰もやりたくない仕事よね、ざまあないわ! けれどバーミンガム団長の伴侶となっては断れるはずが無い。

 つまり貴女は都合のいい家政婦として結婚したのよ、一生そうやって家畜の世話をしていなさい!」


 そう、なのだろうか。


 不安になって原っぱにいる馬達を振り返った。


「ヒーン!」

「ヒヒヒーン!」

「(大丈夫か……蹴散らそうか……? いいよ、怪我させたら君達が大変なことになるよ!)」


 流石王立騎士団陸上軍団の馬、勇ましい。

 その勇気にあやかって、私も一言物申してもいいだろうか。


 コキュッ、と小さく喉を鳴らして口を開いた。


「なんで私がバーミンガム団長と結婚する流れになったのかはややこしいから割愛するけど、これだけは言わせて。

 この厩舎管理人っていう立場は、私が望んだ立場。私が馬達と一緒に居たいから、バーミンガム団長に無理を言って管理人にしてもらったの」


 初めて自分から誰かに噛み付いたかもしれない。

 だって、どうしても許せなかったんだ。


「それに私達陸上軍団にとって、馬は大切な相棒でしょ。その馬を家畜なんて呼ばないで!」


 これよ、これを言ってやりたかったの。

 なーにが家畜、だ! 馬は家族だろうが‼


 そこまで言ってハッとする。


「最底辺のアイリスが、何を偉そうに……ッ‼」


 エリーが、バチクソキレてる。


 周りの女性騎士達もまずいと言わんばかりに窘めようとするが、遅かった。


「生意気なのよッ‼ ちょっとバーミンガム団長に気に入られたからって‼ 私があんたを調教してやるッ‼」


 そばに置いてあった鞭を手に取ると、躊躇無く振り上げた。


「(絶対痛い……‼)」


 バッと頭を庇った。


 しかし、いつまで経っても痛みはやってこない。




「――俺の妻に何をしている」


 艶やかなバリトンボイスに、怒りが含まれていた。



 

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