18,庇ってくれたのは嬉しいんですけどね



「バ、バーミンガム団長……‼」


 恐る恐る目を開けてみると、私とエリーの間に、衝立のような広い背中が立っていた。

 ここからエリーの顔は見えないか、声色からして相当焦っているようだ。


「違うんです、これは……!」

「これは? その続きを言ってみろ」


 団長が右腕を軽く上にあげた。

 その点には先ほどエリーが握っていた鞭が握られている。


「(あれを素手で止めたの⁉)」


 鞭は皮膚の厚い馬のお尻を叩く物。故にしなやかにしなって強い打撃を与えるのだ。

 それを人間が受け止めると、どうなるか。想像しただけでとんでもない。


 咄嗟に庇っていた頭から手を離し、団長の右腕に飛びついた。


「ッアイリス⁉」

「馬の鞭に打たれたんですよ⁉ 骨折しているかもッ‼」

「大丈夫だ、打たれていない」


 へ。と間抜けな声を出すと、目の前に節くれ立った右手が差し出された。

 本当だ、なんともなっていない。


「エリー・サカイラッズの手首を掴んで止めた。流石に俺も鞭で打たれたくないからな」

「よ、よかったあ……」


 思わず心配したじゃないか!

 団長の右腕を抱えたまま力が抜け、へたり込みそうになる。


「おっと」

「あ、すいません……」


 逞しい腕に抱えられ、なんとか体制を立て直す。


「な、なっ……‼」

「俺の妻はどうやら怪我の心配をしてくれたらしい。なんと心優しいことか」

「え」


 そしてそのまま抱き寄せられた。


 団長の目の前には、顔色を赤くしたり青くしたりと忙しそうなエリーと、後ろの女性騎士。

 ……人前でなんということを‼


「すいません‼ 私はこれにて‼」

「まぁ待て」


 圧倒的筋肉の差だ。よわよわな私が団長を振りほどくことが出来る日は、きっと一生かかってもやってこないだろう。

 再び腕の中に戻された私は、青一色の顔色だ。


「さて、盗み聞きは悪いとわかっていたが、偶然にも聞こえてきてしまってな。なんでも我が妻を貶める無礼な言葉に数々が耳に残っているな」

「っ……バーミンガム団長‼ お言葉ですが、何故このような出来損ないの女を選ばれたのでしょうか⁉」

「出来損ないだと?」


 ピクリ、と団長の腕が反応した。

 っていうかエリー、あんた凄いよ。本人を目の前にして堂々と悪口言えるその強心臓、見習いたいくらいだわ。

 因みに私は自分の価値をよく知っているから、扱き下ろされても何処吹く風である。


「それは、彼女の普段の演習成績のことを言っているのか?」

「ええ、そうです! 毎回ドベを取るし協調性も無い! 団の規律を乱す異分子だったのですよ⁉」


 私もそう思う。だからこうして退団したのだ。


 どうやってエリーを宥めようかと考えていると、団長の暖かな腕が私のお腹に回された。え、なんですか。


「確かにアイリスの成績は芳しくなかった。


 だが彼女は、一度でも諦めたことがあったか?」


 低い団長の声に、エリーはグッと押し黙る。


「アイリスはどれほど辛かろうが、いつも最後まで食らいついてきた。走り込みもどれだけ先頭と離されようが最後尾でずっと走っていた。剣の基礎練習だって痣だらけになりながら、柄をずっと握っていた。人より体力が無いのにも関わらず、一度も訓練をサボったことが無い」

「バーミンガム団長……」


 やべ、ちょっと泣きそう。


 最高地位の団長が、こんな末端の私のことを見ていてくれたなんて……!


「昨日の訓練でも人一倍疲れているはずなのに、馬たちの世話まで買って出てくれた。

 誰かが当番をサボったんだな。可哀相に、馬達は喉が渇いていたらしい。見かねた心優しいアイリスは一人で馬達の水を汲み、一人でブラシがけを終わらせた。

 まだ餌が足りないという我が儘を聞き入れ、追加の草も餌箱にやっていたんだ。掃除だって勿論、一頭一頭の健康チェックもこなしていた」

「(え、そこまで見られてたの?)」


 感動を通り越してちょっと怖い。


 因みにそのサボった当番というのは、先ほどから顔色を面白いくらい変えているエリーのことだ。

 昨日厩舎から寮まで帰る間、バッチリ当番表は確認してある。

 厳しい訓練の後だったら……と、私は流すように努めたが、団長という立場で規律の乱れは見逃せないようだ。


「エリー・サカイラッズ。君は陸上軍団の要である馬を蔑ろにし、その責務を怠った。

 これは相応の処罰を与えるべきだ」

「そ、そんな……‼」

「後ほど通達しよう。昼休憩が終わる、行きなさい」


 ああ、いったい彼女たちにはどんな罰が下っているのだろうか。疲労骨折しそうなほど過酷な訓練でないことを祈るしか無い。


 団長の一言で蜘蛛の子が散るように、彼女たちは散けてのだった。

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