13,桃色吐息
「はあ……」
「何回ため息をついたら気が済むわけ?」
アドウェル・パッド・バーミンガムは恍惚の表情を浮かべ、執務室から窓の外を眺めていた。もちろんため息は不幸から来るものでなく、幸せに染まりきった桃色吐息である。
「っていうか、本当に何なの? なんで急に結婚?」
「我慢の限界だったからだ」
「それであの脅迫……」
王立騎士団所属、陸上軍団副団長のランドール・オブライエンは、そのサラッとした髪の上から額を抑えた。
「全員がビックリしてるよ。まあ、なんの噂もなかった二人が急に結婚したんだから当然だよね、僕だってビックリした」
「言ったら止められるのは目に見えていたからな」
「自覚あるんかい。
アイリスの情報を前々から集めていたのは知っていたけどさ……。何、好きだったの?」
「全面に好意は出していたつもりだったんだがな」
「うん、ずっと隣にいた僕ですら気づかなかったね」
なんという不器用な男。
ランドールは友人であり上官であるアドウェルの損な性格を、思わず哀れんだ。
「言っとくけどね、絶対アイリスに君の気持は一切伝わってないよ。っていうか睦言の一つでも囁いた?」
「……」
「ほら! そういうところだよ!」
「しかし言わなくてもわかるだろう。アイリスは可愛い、愛されるべき存在だ。世界の常識といっても過言でない」
「本人に言えっつってんの! 僕に言うな!
大体あんな強引に迫って、普通なら嫌われるよ? アイリスの気持ちガン無視じゃん」
「気持ちなんてわかりきっている。俺が怖かった、もしくは上官命令と受け取ってやむ負えなく受け入れた。それから完全に利害が一致したという複数の理由だな」
「わ、わかった上であんな……」
そう、この婚姻はアドウェルの一方的な押し付けそのものだ。
アイリスの気持ちをわかっていながら、彼は強引に事を勧めた。
「彼女の気持ちが俺にない事はわかっている。だから、これから時間をかけて籠絡していくしかない」
「そのためにストーカー紛いなくらいアイリスの情報を調べ上げてたもんね……」
アドウェルには口が裂けても言えないが、ぶっちゃけた話、ランドールも彼女が呼び出された理由はクビだと思っていたのだ。
戦場とは無慈悲な世界。
人より身体能力が劣っているものは自分の命だけでなく仲間の命をも危険に晒す。無駄な血を流さないためにも、時として残酷な判断を下すのも上の役目なのだ。
副団長として感じていたことを、団長であるアドウェルも感じていたのだと少々安堵した。
アイリスに反論されないため、事前準備として情報を掻き集めていたのだと前々から思っていたが、まさかの結婚。肩透かしを食らった気分だ。
「ストーカー? 離れていてもアイリスを守るために常にアンテナを張っていただけだ」
「それをストーカーって言うんだよ!」
「心外だな。ストーカーは害をなすものだろう。俺は害どころか、変な虫が付かないよう〝信頼する護衛〟を付けていたんだぞ」
友人がヤバい。
もしかしてアイリスに友人が少なかったのは、この男のせいではないだろうか。その可能性、大いにあり得るぞ。
次に会う時は、もう少し気の利いた言葉をかけてあげようと心に誓う。
「そこまでする? 彼女確かに可愛いけどさ、いつどこで彼女に惚れたわけ?」
ランドールが素朴な疑問を口にすると、本革張りのデスクチェアに座っていたアドウェルの眉間に悩まし気な皺が刻まれた。
「今から語ると日が落ちるな」
「ごめん、余計なこと聞いたね」
そこまで重いのか。
想像以上の執着心に、ランドールは物理的に一歩下がった。
「でも程々にしてあげなよ。彼女、どう見ても初心だし」
「わかっている。その辺りはわきまえている」
「とか言って、新婚早々昨晩はお楽しみでしたね、なんて噂が蔓延ってるよ」
「部屋は別々だぞ。それにアイリスが腰を痛めたのは、馬車で膝枕をして貰っている時に彼女が変な体制で座っていたからだ」
「君も初心か」
恋愛初心者レベル。
そう言ってやろうかと、ランドールが言葉をセットするのと同時に、アドウェルが勢いよく立ちあがった。
「ど、どうしたの?」
「昼食の時間だ」
「ああ…」
基地のどこかで、太陽が頭のてっぺんに来たことを報せる鐘が鳴った。
いつも食事に無頓着な彼が珍しい。朝食を抜いたのだろうか。
ランドールは何気なく瞬きすると、次に入ってきた光景に目を疑った。
「なに、それ」
「昼食だ」
「はあ、昼食」
いつの間に取り出したのだろうか。
その手にはバスケットと水筒がある。そしていい匂いまで漂ってくるではないか。
「時間までには戻る」
そういうが早いか、アドウェルは小さな風を残して団長室から走り去ったのだった。
昨日のアイリスに同意できる。足長ッ‼
「……僕も婚活しよっかな……」
ランドールは団長室から見える遊牧場を見下ろしながら、ミルクティー色の髪を靡かせた女性に同情した。
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