8,指輪



「ここが俺の私室だ」


 まさか自分の上司が夫となり、その私室まで案内される日が来ようとは。

 相変わらず背中に物差しが刺さったような体制は崩さず、開けられた扉の側で棒のように立つ。


「わ、渡したい物とは……」

「これだ」


 引き出しから出てきたのは小さな箱だった。

 なんだろう、リボンがかけられていて丁寧に梱包されているみたいだが。


「こっちに来て、左手を出してくれ」

「はい」


 業務上に必要な物だろうか。

 あ、もしかして厩舎の鍵とか?


 少しワクワクして手を差し出すと、団長の節くれ立った手によって薬指に何かが嵌められた。


「…………ほ?」

「結婚指輪だ。前々からサイズを調べていたが、やはりピッタリだったな」

「すいません、ツッコミどころがありすぎて何処から処理していいのか追いつかず……」

「デザインが気に入らないか? なら今度の休みに選びに行くか」

「そうではなく!」


 サイズを調べていた? 前々からって、いつから⁉


「そんな高そうなもの、私はいただけません!」

「俺の都合で君を巻き込んだ。指輪の一つくらい送らせてくれ」


 綺麗に嵌まった指輪を外そうとするが、その手を団長によって止められた。


「デザインは俺が選んだ物で申し訳ない、もし気に入らなければ後日直そう。とりあえず明日はこれを着けて出勤してくれ」

「気にいるとか気に入らないとかじゃなくてですね、」

「もう剣を握ることもないのだから着けて欲しいのが本音だが……そうだな、確かに馬の世話をするのに邪魔になるか」

「そうです!」


 だからこれは返却を……と続けたかったのだが、いつの間にか団長の手に銀色の塊が握られていた。

 なにあれ、ダンベルのひしゃげたやつ?


「ならばチェーンを作って首に下げておくか」

「わ」


 団長の手にあった銀色の塊が、輝きながら細く伸びる。

 これは団長の魔法だ。


 やがてその輝きは収まり、綺麗なチェーンが出来上がっていた。


「凄い」

「これくらい、いつでも見せてやる」

「私はちょっとした生活魔法くらいしか出来ないので、間近でこんな高度な魔法を見る機会があまり無いんです!」


 これは凄いと、純粋に感動する。

 かっこいいな、私にももっと魔力があればこうやってチェーンを作れたりするのかな。


 団長の手の中にあるチェーンに顔を近づけると、団長の動きが止まった。


「留め金までこんな精巧に……どうかされましたか?」

「いや……なんでもない。すまないが髪を上げてもらえるか」

「? はい」


 言われるがまま髪を掻き上げると、サッと団長の腕が首に回った。

 カチッと小さな音が鳴ると、首元に冷たい感触が落ちる。


 団長の熱い手が頬を掠め、くすぐったくて思わず肩がはねた。


「金具は壊れにくいようにしておいた。多少引っかけても大丈夫だが、何か不都合があったら直ぐに言ってくれ」

「お気遣いいただき、ありがとうございます」


 ……あれ、なんで貰っているんだ? 返すつもりだったのに!


 急いで金具を外そうとするが、残念なことにネックレスを着け慣れていない私は直ぐに外すことが出来なかった。

 あれやそれやと奮闘している私を見て、団長は口元を緩めた。


「(だ、団長が笑った……⁉)」

「君の部屋はこの隣だ。勿論寝室も別々にしてある、今夜はゆっくり休むといい」

「(まだ笑ってる……‼)」


 この人、笑顔という概念があったのか。

 入隊してから早一年。団長が公の場で笑ったところを見たことがない。多分マリアンに聞いても同じ回答が返ってくるだろう。

 そんな彼が、笑った。明日は槍が降るぞ。


 あまりの破壊力に金具を取ろうとする手が止まった。


「それから」

「はいっ⁉」


 まだなにかあるのか。


「アイリス、俺の名前を呼んでみてくれ」

「? バーミンガム団長……?」

「君は夫を団長呼ばわりするのか」

「へぁ」


 いつの間にか団長が私の目の前に移動していた。金具を取ろうとするのに必死で気がつかなかった。というか、気配を消さないで!


 扉と団長に挟まれた私の行き場は無く、再び棒立ちになった。


「アイリス、俺の名前を知っているか?」

「ア、アドウェル・パッド・バーミンガム、様、です」

「そうだ。では俺達は夫婦となったんだ。なんと呼ぶべきだろうか?」

「……」

「アイリス」



 な ん で ⁉


 頭が爆発寸前だ。


 利害の一致で結婚したのに、なんで名前呼びを強要されているんだ⁉

 もうこれでいいじゃない、籍を入れただけで満足でしょうに‼


 そろそろと視線を上げると、真上に綺麗なご尊顔。

 あ、これ呼ぶまで解放してもらえないやつ?


「ア、ア……!」

「続けて」

「ア、アド、ウェ……」

「上手だ」


 近い……! このままだと心臓が保たない‼


 意を決し、顔中に血が集まるのを感じながら叫んだ。


「ア……!


 アドウェル様ッ‼」


 よくやった。

 どこかでスタンディングオベーションが聞こえる気がする。


「様はいらない」

「もうッ‼ 勘弁してください‼」


 近かった団長の胸板を押し返すと、案外簡単に離れた。

 よし、逃げよう。


「指輪、ありがとうございますッ‼ 先ほどメイドの方が湯浴みの準備をしているとおっしゃってくれたので、これにて失礼します‼」

「ああ、ゆっくりしてきてくれ」


 夫婦ごっこのつもりか⁉ 男性耐性のない私には心臓に悪い……!


 勢いよく扉を閉めると、教えて貰った自室に駆け足で向かうのだった。





「…………はあ」


 取り残されたアドウェルは一人で頭を抱えてソファの沈んでいた。


「……俺の嫁が可愛すぎる……」


 その耳が真っ赤に染まっているのに気付いているのは、本人だけである。


  

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