7,新居



 それからはあっという間だった。


 副団長に寮まで送って貰い、挨拶もそこそこに別れる。


「(なんでこんなことに……)」


 どうして私?


 ただひたすら、私は地味に生きてきた。

 これといって特技もないし、団長の言っていたとおり成績だって下の下の下のだし、大して可愛くもないし……。

 それに団長に好意を寄せているのはエリーだけじゃない。エリーと一緒になって団長を待ち上げている女性騎士を、沢山知っている。名前は知らないけど。


 エリーと同じくらい団長の事が好きで、尚且つもっとうまく感情を内に秘められる女性棋士はいるだろうに。


 現実味も無く、トボトボと部屋に帰ろうとすると、何故か門の前に四頭立ての馬。

 凄いや、こんな立派な馬車パレードでしか見たことない。


 誰の遣いだろう? と触れずに横を通り過ぎると、仕立ての良い服を着た年配の御者に呼び止められた。


「もし。アイリス・クラーク嬢でしょうか?」

「え? そうですけど……」

「ああ、ぶしつけに申し訳ありません。アドウェル様の申しつけでお迎えに上がりました」

「お、お迎え?」


 ……あ。


 団長室での会話がフラッシュバックする。

 あれは私が何の書類かも確認せず署名した直後の会話だ。


『ありがとう。これで提出すれば完了だ』

『いいえ、では私はこれで……』

『ああ。荷物をまとめておいてくれ』

『荷物? 何でですか?』


 今日引っ越しさせるつもりか⁉


「あ、あのう、私まだ荷物をまとめていなくて……!」

「ええ、急に決まったことだと聞いております。中にメイドが何人かいますので、荷造りを手伝わせましょう」

「いえ、そんなに荷物はないので……!」


 申し訳ねぇ‼


 その気持ち一択だ。お金を払って頼む引っ越し業者とは訳が違う。公爵家に仕える方々にこんな底辺令嬢の荷物を運ばせるなんて!


 急いで実家から持ってきた物を適当に箱にぶち込み、一人で運び込もうとすると、御者やメイドさんがにこやかに馬車へ積み込んでくれた。

「大丈夫です!」と断っても「奥様にそんなことさせられません」の一点張り。


 団長。話通すの早すぎませんか?




 ******




「到着しました」

「あ、ありがとうございます」


 着替えもしていない制服のまま、御者に手を取られて馬車を降りた。

 走っている間、小窓から少しだけ馬の後頭部を見ることが叶ったのが唯一の救いか。


「ここがバーミンガム公爵家が保有する別宅です」

「べ、別宅? 本家があるんですか⁉」

「その通りでございます」


 公爵家パネェ。

 日が沈んで薄暗くなった空を背景に、私の実家がウン軒入りそうな屋敷を見上げる。

 本家があると言うことは、これより大きいのだろうか。もう一度言おう、公爵家パネェ。


 到着に気がついたメイドの一人が、私達に駆け寄る。


「お待ちしておりました。アドウェル様も先ほどご帰宅なさり、ただいまお召し替え中です」

「こんな時間まで仕事が残っていたんですね」

「いえ、なんでも役所が混んでいたとか」


 聞かなければよかった。


「奥様のお部屋は整っております。アドウェル様もじきにお見えになります」

「いや、私は奥様じゃなくて……」


 本当に役所に婚姻届を提出したのだろうか。

 だったら確かに奥様、なのだろうが、如何せん気持ちが追いついていない。ま、当然か!


 そんな私をよそに、メイドが優しく微笑みかけてくれた。


「先に湯浴みへどうぞ。お疲れでしょう」

「シャワーを借りられれば……」

「そんな寂しいことおっしゃらないでくださいな。使用人一同、今か今かと待ち構えておりますのよ」

「どんなタイミングでバーミンガム団長は屋敷に連絡を入れたんですか」


 あの押し問答があったの、ついさっきだと思ったんだけど。


 案内されるがまま屋敷の扉を潜ると、倒れそうになった。


「(ゆ、床が大理石……)」


 鏡なんていらないと思えるほど完璧に磨き上げられた床は、ハッキリ私の顔を映し出している。

 凝った装飾のマントルピースの暖炉や、代々当主らしき人物の肖像画も飾られている。


 こんな屋敷、初めてだ。早速心が折れかかったところだった。


「アイリス」


 私がここにやってきた元凶の声が、天から承りし啓示の如く上から降り注いだ。


「(ひぃ……)」


 なんちゅう色気を振りまいて登場するんだ。

 今日初めて入った執務室のシャンデリアよりも遙かに大きなシャンデリアが、ホールの上に燦々と輝いている。

 その光を受けた団長が、少し湿った髪を掻き上げながらこちらを見下ろしていた。


「出迎えられなくてすまない。思ったよりも婚姻届の提出に時間がかかってな」

「はあ……」


 混んでいたんですよね、知っています。


 階段を降りてくる姿に背筋が伸びる。

 今朝まで自分とはほど遠い存在だった彼が、こんな近くに来るとは昨日まで露程も思っていなかった。気持ちはまだ下っ端なのだ。


 それに気付いていた団長は、メイド達に手で制した。


「アイリスの荷物は部屋に。湯浴みの前に少し話がある」

「承知いたしました」

「こっちだ」


 悲鳴が出そうになった。

 なんたって風呂上がりの熱い腕が、腰に回されたからだ。


「先に俺の部屋へ。渡したい物がある」

「わ、わかりましたから! 腕は大丈夫です!」

「妻をエスコートするのは夫の勤めだ」

「私、砂埃にまみれていますので!」

「俺がそんな薄情な男に見えるのか」


 知らんがな‼


 くっつこうとする団長から距離を取ろうとするが「危ない」の一点張りで結局手を取られたまま階段を上る羽目になってしまった。


 何気なく下を見下ろすと、気付いてしまった。


 メイドや執事達が、暖かい目でこちらを見守っている。そのことに羞恥で体が熱くなったのは、当然のことである。




 

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