第2話 マルゴの箱庭3



 そのあと、マルゴの屋敷に戻ったワレスを、さらに嬉しくさせる出来事が待っていた。庭を歩いていると、あのリスの餌台にキレイな布で包んだお菓子と銀貨を置いているマルゴを見つけたのだ。リスだなんて言って、ほんとは人間の男の子だと知っていたのだ。ワレスに言うと少年が追いはらわれるかもしれないと案じたのだろう。


 少年は花だけではない。お菓子と銀貨をとりに来ていたのである。そのお礼が森に落ちているドングリなのだろう。貧しい少年にできる精一杯のお礼だ。


 何よりも、愛人の底知れぬ優しさに、ワレスは感動した。こんなにも優しく繊細な人が罪の迷宮に落ちてしまったことを悲しく思う。できれば、この人を救ってあげたい。ワレス自身はダメだ。罪が深すぎる。いっしょに浮上はできないが、この人だけでも沼の底から出してあげたい。この人は自分ほどの悪人といっしょにいていい人じゃない。


(あなたは天国へ行くべきだ。死後の安らぎと安寧の神デリサデーラの国へ。おれはきっと地獄の魔神ゾーラのもとへつきおとされるだろうが)


 神なんて信じないとずいぶん前に信仰をすてたはずなのに、ふとそんなふうに思った。


 ふりかえったマルゴが、ワレスと目があい、ちょっと困った顔をする。責められると思ったのかもしれない。ワレスは笑って両手をひろげた。

 この人といるときだけ、天国を感じられる。それはワレスが悔いてやまないへ通じる道だ。


(ルーシサスはきっと天国にいるから)


 デリサデーラの神殿で天使に選ばれてもいいくらい清らかな少年だった。


「どうしたの? ワレス。なんだか変よ」

「あなたを好きだよ。こんなにも愛しい」

「まあ、嘘つきね。でもいいわ。そういう嘘は、わたくしも好きよ」


 おずおずと、ワレスの腕のなかへ入ってくるマルゴ。この優しい生き物を守ってあげたい。でも、それはワレスの役目ではないのだ。ワレスはマルゴが真に愛する人を見つけるまでの代理だ。ワレスはそのつもりでいる。


「さあ、なかへ入ってお茶にしよう。今日はおれがいれてあげるよ。あなたほどうまくはないが。街でお菓子も買ってきたしね。そのあと戦駒で遊ぼう。明日は広場でおもしろいものが見れる」


 ゆったりとした時が流れていく。マルゴの館ですごす日はいつもこうだ。このおだやかな空気が好きだ。

 翌日は二人で広場へ出かけて、例の少年の芸を見た。


「あなたのリスだよ」と、耳元にささやくと、マルゴはとても嬉しそうだった。

 だから、なんの心配もないと思っていた。まさか、このあと、思わぬ事件にまきこまれようとは。


 不穏な種は大道芸を見終わって、すぐにまかれた。


「おや、ワレス。ひさしぶりだね」


 ワレスを見つけて笑顔を見せるのは、友人のジェムイズだ。ティンバー子爵家の跡取り息子で、良識的な両親に品よく育てられるとこうなるという典型的な貴公子だ。


「なんで、こんなところにいるんだ? おまえの仕事は裁判所勤務だろ?」

「レヴィアタンに頼まれて、さきごろから、この近辺を荒らしてる盗賊を追ってるんだ」

「ふうん」

「君にも手伝ってほしいんだがなぁ」

「悪いが、おれは休暇中だ。さ、行こう。マルゴ」


 ほんとはジェイムズがちゃんと盗賊を捕まえられるのか気にはなった。何しろ、いつも彼の仕事を手伝って、事件を解決させてやってるのは、ワレスなのだ。ジェイムズだって無能じゃないが、ワレスほど非凡ではない。


 しかし、今はマルゴとのおだやかな幸福を誰にもジャマされたくなかった。

 毎日、広場へ出かけて、フェベの芸を見る。そのあとお茶を飲み、庭仕事を手伝ったり、馬の世話をしたり、木陰のハンモックにゆられたり、あるいは台所で芋の皮むきをしてみたり……ただそれだけのことが切ないほど嬉しい。


 ところが、ワレスは気づいてしまった。美しいものだけを集めた箱庭に、ひそかにまぎれこもうとする毒蜘蛛が迫っていると。


「やあ、ワレス。また会ったね。この大道芸がずいぶん気に入ってるみたいだな」


 ニコニコ笑うジェイムズは一見、無邪気に見える。が、おそらく事件に解決の目処が立たないので、ワレスの助言を聞きにきたのであろう。なかなか、たくましい。


「芸を見てるあいだだけだぞ。困ってるなら、早く言え」

「じつは半年前から、このあたりで謎の透明人間が毎晩、違う屋敷に忍びこんで、高価な金銀財宝を盗んでいくんだ。だが、誰も姿を見ていない」

「そうか。そうか。透明人間か。たいへんだな」

「しかも、この透明人間は遠慮がちな泥棒なんだよ」

「へえ。透明だから、ふつうとは考えかたが違うのかもな」

「誰も知らないうちに忍びこむんだから、たくさん盗めばいいようなものじゃないか? なのに、盗むのはいつも彫像一つとか、宝石をつめた袋一つとか、はたまた銀の皿をほんの数枚とか」

「ふうん……」


 それはちょっとおかしい。ふつうの泥棒のやりくちではない。侵入には最大の労力をついやすはずだ。ということは、一度の盗みでできるだけ多くを持ちだそうとするのが条理なのだが?


 ジェイムズは続ける。

「それに、私たちが調べ始めたせいか、この半月ほど、まったく盗みをしなくなった」


 そのとき、ワレスのとなりで、マルゴがピクリと眉を動かした。が、ワレスが見なおすと、なんでもないというように微笑する。


 ワレスはたずねようとしたが、できなかった。直後にハシゴとハシゴのあいだに渡したロープから、バランスをくずしてフェベが落ちてきたのだ。とたんに、あたりには悲鳴と怒号がとびかう。


 硬直する人々を押しのけて、ワレスは広場のまんなかにとびだした。あやういところで少年をキャッチする。おおっと人々のあいだから歓声があがった。


「バカもん! 演技中によそ見するなんて、フェベ! 見てるほうがヒヤヒヤしたぞ」


 団長がかけよってきてフェベを叱咤しったする。もしかして、ひっぱたくつもりだろうか? 大道芸人なんて身分で言えば下の下だ。どうせ、フェベも貧しい家から買われてきた子どもに違いあるまい。芸をおぼえさせるために虐待されているのかも……。


 ワレスはそうかんぐった。が、そのあとすぐに団長がフェベを抱きしめたので、ほっと安堵の吐息をもらした。

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