第2話 マルゴの箱庭2



 マルゴのもとをおとずれたのは、ファヴィーヌと別れたからだ。この二人はかつて、同じ男をめぐる正妻と愛人という立場だった。

 すなわち、ジョアンが浮気相手のマルゴを心から愛していながら、プロパージュ侯爵の地位に固執したことで、ファヴィーヌの怒りを買い、毒殺された。マルゴは結果的に事後従犯にされたのだ。ファヴィーヌがジョアンのお茶に毒を入れるところを黙認する結果になった。それはマルゴにとっては、ジョアンを自らの手で殺したも同然だ。


 後悔はしてないという。

 自分を愛しているけど別れるというジョアンをひきとめるには、それしか方法がなかったのだと。


 ジョアンとの思い出とだけ生きるために、マルゴは時の止まった箱庭のなかにいる。そこは彼女にとって居心地のよい迷宮なのではないかと、ワレスは考えた。


 なんとか、彼女がここから出て、自由に街を歩けるようになればいい。ワレスの存在がその一助にでもなればいいのだが。


 それはともかく、侵入者は見すごせない。女二人しかいないお屋敷。しかも、マルゴ本人は高価なものなど置いてないと言っているが、貧者の暮らしを知らないから、そんなことが言えるのだ。その日に食うのがやっとの者にとって、ここは宝の山だ。透けるようなライモンド焼きの磁器一つだって、とうぶんのパン代に変えられる。


 翌日から、さっそく、ワレスはの正体あばきに集中した。不審者なら、そのままつかまえて役所につきだしてやろうと身がまえる。警戒させたのか、なかなか正体を現さないも、ワレスが高い木の枝からながめていると、ようやくやってきた。


 それは、まだ五、六歳の少年だ。袖のやぶれた粗末な服を着て、いかにも貧しい家の子どもとわかるのが、リスの餌台にドングリをひとつかみ置いて、かわりにキレイに咲いた薔薇を一輪、たおっていく。


 どうにも不思議だ。この屋敷にはヴィナやザマなど、食べられる実のなる木もたくさんある。少年はなぜ、わざわざ花を盗んでいくのだろう? ドングリはささやかなお礼のつもりなのだろうが、どうせなら食料を盗むものではないのか?


 気になったので、ワレスは少年を尾行してみた。

 少年はその年とは思えないほど身軽に塀を乗りこえ、外へ出ていく。やっぱり、泥棒よけに男の使用人を増やさなければダメだ。


 少年がどこへむかっていくのかと思えば、皇都郊外の区域から完全に外へ出ていく。農地のひろがる田園地帯。そのあいだをつなぐ森。


 少年は森のなかへ入っていった。ふつう、森は領主の所有地。そうでなければ村民ぜんたいの共有財産だ。そこに家は建てないし、建てているとしたら、自分の土地を持たない、きわめて貧しい民である。


 森に入っても、少年の足どりは変わらない。通いなれた道のようだ。目立たないように(ワレスの容姿ではとても難しいのだが)つけていくと、しばらくして、革張りのテントがあった。衣装を身につけたピエロや、犬の調教をしている者がある。大道芸人の一座のようだ。


 尾行のため、徒歩で来ているから、木陰をまわって、そっとテントのそばまで来る。少年はまっすぐに一つのテントにむかった。テントは二つあるが、その小さいほうだ。革もところどころやぶれて、いかにもみすぼらしい。


 穴からのぞくと、明かりもなく薄暗い。そこに少女がよこたわっていた。床に枯れ草を敷いてベッドがわりにしている。年齢は十二、三だろう。少年の姉だろうか? どうやら病気のようだ。あるいはケガ。


「姉ちゃん! ほら、今日も姉ちゃんに花が届いたよ。早く治ってくださいって言ってた」

「ありがとう。フェベ」

「おれじゃないよ。いつものお客さんだよ」


 二人のようすを出入口から男がのぞきみていた。服装から言って、一座の頭目ではないだろうか。


「フェベ。どこ行ってた。グズグズするな! 広場へ行くぞ」

「はい。団長」


 みんなが移動するので、ワレスは急いでテントから離れた。木陰から見ていると、ロバがひく粗末な車に乗って、彼らは街へむかう。商売に出かけるのだ。ワレスも追ったが、こちらは徒歩なので、広場についたころには演技が始まっていた。少年はハシゴの上で逆立ちしたり、綱渡りを見せたりと、子どもとは思えない。まちがいなく、その一座の花形だ。一番の稼ぎ頭だろう。拍手を送る街の人々にまざって、ワレスも見物した。団長が帽子を持ってまわってきたときには銀貨を入れてやる。


(さっきの少女はいないな)


 やはり、病気で演技ができない状態らしい。

 だから、姉を励ますために、フェベと呼ばれていたあの少年は花を持っていくのだろう。応援してくれているお客さんがいるんだと、姉に思ってほしいに違いない。


 まあ、そういう事情ならいいだろう。心あたたまる話にワレスは気をよくして、演技を終えた少年に手招きする。帽子に入れたのとは別で銀貨をにぎらせた。これは少年へのチップだ。この金で姉の薬でも買ってくれればいいと願った。

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