第2話 マルゴの箱庭4



 一瞬、団長の虐待を疑ったものの、ワレスの杞憂きゆうにすぎなかったようだ。ケガはないか、どこも痛まないかと念入りに聞いている団長を見てホッとした。


「じゃあ、帰ろう」


 いつものように帽子に銀貨を入れ、もう一枚をフェベの手ににぎらせる。だが、フェベはそれを帽子のなかへ入れた。無意識の行動のようだ。


「これは、おまえにあげたんだ」


 ワレスが言うと、団長があわてて帽子から一枚の銀貨を出して、フェベに渡す。


「ありがたくいただいておきなさい」

「えっ? いいの?」


 満面の笑みになるフェベ。

 ワレスはフェベに笑いかえした。そのまま、マルゴの肩を抱いて立ち去る。が、何も感じなかったわけではない。


 充分に離れたところで、ジェイムズに話しかける。


「おれは毎日、フェベに銀貨を渡してたんだがな。今日ほど喜んだのは初めてだ」

「ふうん。つまり?」

「いつもはチップも団長にとりあげられてた」

「それって?」

「要観察だよ」


 ワレスは屋敷までマルゴを送ったあと、ふたたびジェイムズと出かけた。行くさきは決まっている。目立つので、馬は途中で立木につないでから森へ入る。


「ワレス。ここにいったい、何が……」

「しッ」


 以前の場所にテントはあった。団員たちはすでに帰ってきている。


「団長。おれたち飯に行ってくるぜ」

「おお」

「おおじゃねぇよ。今日の賃金もらわなけりゃ」

「ほらよ」

「ちぇっ、これっぽっちか」

「うるさく言うな。わかってるだろ。稼ぎ頭のルチアが立てねぇんだからよ」

「へいへい」


 団員たちは小銭を受けとって森から出ていった。残ったのは団長と子どもたちばかりだ。


「ほら、フェベ、ルチア。今夜の飯だ」


 この前の小さいほうのテントだ。だから、穴からかんたんにのぞける。おかげで、そのあと、ワレスたちはイヤなものを見た。小さなパン一つを子どもにあたえて、かわりに銀貨をとりあげる団長の姿だ。


「なんで? くれるって言ったよ!」

「ふん。おまえはルチアのぶんも二人ぶん稼ぐんだ。なんだ。今日のミスは。まだあれじゃ、ルチアの代わりにゃならん」

「でも……」

「ルチアはいつになったら歩けるんだ! 足のケガはとっくに治ったはずだ。今日こそは稼ぎに行かねえと……わかってるだろうな? 働かねえやつはここにはいらねえんだ!」


 少女につめよる団長を、フェベが必死にとめる。


「姉ちゃんは稼いでるよ! ほら、例のお客さんが今日も姉ちゃんにってくれたんだ。早く元気になってくれって言ってた!」


 フェベはポケットから銀貨をとりだした。見おぼえのあるキレイなハンカチがいっしょに出てくる。リスの餌台から、フェベが持っていったに違いない。

 その手に載る銀貨を、団長はフンと鼻を鳴らしてとりあげる。


「こんなんじゃ儲けにならん。ほんとは歩けるんだろ? いいか? 今夜は仕事に行くんだ。絶対にだ。もう目星の屋敷もあるからな。もし、ルチアが行けねぇんなら、フェベに行かせる」


 団長が子どもたちに手をあげる。ルチアの枕元に飾ったたくさんの花もふみあらされ、花弁が散った。

 我慢ならなくなったのだろう。怖い顔をして、テントのなかへ乱入しようとするジェイムズの肩をつかんで、ワレスはひきとめた。黙って首をふる。

 それから、そっと大道芸人たちのテントを離れた。


「なんでとめたんだ。ワレス。あれは幼児虐待だぞ」

「あそこでとめても根本的な解決にならない。その場だけ平謝りして、団長はショバを変えるさ。明日になったら一座はいなくなり、別の街で同じことがくりかえされる」

「そうだな……」


 無念そうなジェイムズに、ワレスは知恵をさずけた。おそらく、これで全部キレイに片がつく。


「それより、今夜、あの一座を見張っているといい。きっと、おまえにとって嬉しい結果になる」


 その夜、ワレスは捕物に参加はしなかった。どうなるのか結果は予測できていたし、それに、ジゴロの役目は貴婦人を喜ばせることだ。


 むつごとをジャマする者はここには誰もいない。時の止まった箱庭で、永遠に終わらない夏休み。現実から切り離された夢の世界。だからこそ、こんなにも美しく、儚い。


 ここを守る者が必要だ。


「ねえ、マルゴ」

「何?」

「今夜、あの子が捕まる。世間をさわがしている盗賊として」


 おたがいにからめる指が感情ゆたかな動きを伝えてくる。


「それはいけないわ」

「かわいそうにね。悪い大人にムリヤリ泥棒させられてたんだ。身軽で小柄だから、こっそり邸宅に忍びこんで、サッと置物や金貨を盗むのはお手のものだろう。でも、一度に多くを持ちだせるほどの力はない」

「捕まったら、あの子はどうなるの?」

「もちろん、縛り首さ。たとえそれが子どもでも、パン一つ盗めば死刑だから」

「そんなのってないわ」


 かすかに嗚咽がまじる。マルゴは泣いている。ランプも消した暗闇だから、窓から入る月光だけがかすかな明かりだ。


「悪いのはまわりの強欲な大人なのにね。ずっと強盗をさせられてたのは、ルチアなんだ。でも、ケガをしたあと、歩けないふりをしてた。働かないならと、ずいぶんなぐられたり、けられたりしたみたいだ。団長をなだめるために、フェベはこの庭から花を持っていったんだよ。ルチアにはファンがいるから大事にしないといけないと思わせるために。あなたがお菓子や銀貨を渡してくれるようになって、どうにかごまかせてたけど、とうとう、団長の堪忍袋のが切れた」

「まあ、そうだったの」

「あなたのおかげで、あの子たちは救われていた」

「わたし、何もできていないわ。だって、あの子は捕まってしまうんでしょ? まだ生きたいでしょうに」

「あなたにできることはある」

「あるの?」

「明日の朝一番に……」


 ワレスはささやいた。

 魔法の呪文のように、マルゴの涙を晴らす言葉を。

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