第2話 森の中の秘密基地

 緑の濃い森の中。

 赤い色のミジェットが止まったのは、真新しいログハウスの前だった。

 完成して日が浅いのか、濃い木の香りがプンと香る。

 ログハウスの横にはレトロな雰囲気のガレージがあって、イソイソとミジェットをその中にしまったウィリアムを、ポツンと立ち尽くしたまま私は見ていた。


「ようこそ、パティ! 今日からここが、君と僕の二人だけの秘密基地だ」


 ウキウキした様子で私の手を引いてログハウスの中に入り、ウィリアムはまるで王子様のように気取った礼をする。

 だけど、私はそれどころではなかった。


 君? 僕? 秘密基地?

 聞きなれない単語や言葉が続けて告げられたので、私はポカンとして目を見開くことしかできない。


「大丈夫か? まさか、車に酔ったのか?」


 真っ青になってオロオロするウィリアムに、確かに夏の風に酔って白昼夢を見ているのかもしれないわ、と思ったけれど多分そうじゃない。

 状況に、理解が追い付いていないだけなのだ。


「いいえ。違うわ、ウィリアム。お願いだから、私にもわかるように説明してもらえる?」


 心底から途方に暮れている私の表情に、ウィリアムはムッとしたようだった。

 なんだかムキになった子供のように、私の右手を握りしめたままログハウスの中を案内してくれた。


 レースのカーテンのある小窓。

 手作りとわかる木製のテーブルと椅子。

 食器棚に丁寧にしまわれた木製のカトラリー。

 暖かそうなラグマットに、レンガ造りの暖炉。

 そのすべてが居心地の良い空間で、私の好みだった。


「まだ、わからないか?」


 すねた顔をするウィリアムに、私は「わからないわ」と答えた。

 だって、本当にわからない。

 私への想いは、わかる気がするけれど。


「言っただろう? いつか、こんな家に住みたいと。君が」

「私が? いつ?」

「三回目のデートで」


 あぁ、と思い出す。

 初めてのデートでは、ウィリアムは恋愛映画が苦手で、始まるとすぐに眠りに落ちてしまった。

 二回目のデートでは、ホラー映画が始まったとたんに私は意識を失ってしまって、良く寝ていたねって笑うウィリアムの足を踏みつけた記憶がある。

 三回目でそろって楽しめた映画が友情と生きることをテーマにした物語で、ようやく二人して最後まで楽しめたのだ。


 あれは確か、古い映画だった。

 仕事を無くした男と、恋人を亡くした男が、知り合って。

 なぜか、二人で旅をすることになったのだ。


 大きなバイクを二台連ねて、ハイウェイを目的もなく疾走する。

 死んだ目をしていた二人が、特別な何かを成し遂げたわけでもないのに、次第に瞳が輝いて、旅の終わりには瑞々しいほどに美しい笑顔を浮かべていた。


 青い空と、赤茶けた大地を貫く、まっすぐな道。

 印象的なハーレーダビッドソン。


 今でも覚えている。

 覚えたての魔法のように、何度もその名前をつぶやいた。

 あの大きなボディに乗せるだけで、今にも消えそうだったふたりの男の命を、この世界にとどめて生きる力を与えた。


 特別な物語ではなかったし、派手な話題性もなかったし、興行としては失敗の映画だろう。

 それでも、そんなことには関係なく。

 私もウィリアムも、その物語の終わりで、二人そろって泣いてしまっていた。

 お互いにその涙が気恥ずかしくて、照れくさいけれど嬉しくて、見つめ合って「良いね」と言いあえる初めてのものだったから、その後、三回も同じ映画を見に行った。


 そうだ、あの時。

 確かにログハウスを見て「いつか住みたいわ」って言った気がする。

 物語の中盤で、それまで心の傷から目をそらし合っていた二人が、ぽつぽつと自分のことを語りはじめた。


 傷が深すぎると、思い出すことも、振り返ることも、言葉にすることもできないから。

 声に出して、旅に出るまでは存在さえ知らなかった相手に語ることで。

 彼らは自分の人生をもう一度だけ前に進んでいくのだろうな、と思えるシーンだった。


「僕は言っただろう? 結婚してすぐにはムリだが、いつか君の希望を叶えるつもりだと」


 忘れたのか、とご立腹の様子に、シュンと肩を落とした。

 その場の冗談だと思っていたので、真に受ける事すらなく流して、すっかり忘れていた。


「僕は君と秘密基地で過ごしたくて、このログハウスまで自力で建てたんだぞ」


 その言葉で、ここ数年の外泊の謎が解けた。

 週末だけ職人を呼んでアドバイスを受けながら、自分の手でコツコツとこの家を建てたのだとわかって、ちょっぴり疑っていたことを申し訳なく思う。

 日ごろ淡泊なだけに、そこまで情熱的でロマンあふれる行動をとるなんて思っても見なかった。

 基本的に言葉足らずな人なのは知っていたけれど、それが私のためだったなんて。

 驚きと感激で身を震わせる私の右手をそっと持ち上げ、ウィリアムは指先にキスを落とす。


「パティ・モニーク・カミングス。僕の側で、この先も生きて欲しい」


 ええ、もちろんよ。と答えかけたけれど、今の気持ちに足りる返事ではない気がした。

 もっと強く、あふれ出るこの想いを伝えたい。

 必死で思考を巡らせたけれど、結局はありふれたセリフしか思いつかなかった。


「ウィリアム・D・カミングス。私、あなたを心から愛しているわ」


 それは答えとしてどうなんだ? という顔をしながらも、まんざらでもなかったのだろう。

 ちょっとだけ横を向いて赤くなり、それならいい、とポツンと言った。


「では、着替えてきたまえ。君が憧れて恋をしたハーレーダビッドソンで、夏の風になろう」


 近くに美味しいパスタの店があるんだ、と浮き立つように語るウィリアムに、ライダースーツを渡された私は戸惑った。


「私、乗れないわ」

「気にしなくとも、僕がいる」


 頼もしい笑顔に、一瞬見惚れた。

 そっと顔を寄せられ、君のためだけにサイドカーを用意している。とささやかれて胸がときめく。

 

 青い空と、赤茶けた大地を貫く、まっすぐな道。

 夏の風になって、走り抜けるハーレーダビッドソン。

 操るウィリアムの横顔は、とても凛々しい。


 結婚して、子供も生まれて、育った子供たちは巣立っていった。

 その幸福のすべては、あなたが傍にいてくれたからこそ。


 ウィリアム、あなたを愛している。

 この先、何度でも愛を伝え続けるから、一緒に生きましょう。


 森の中の秘密基地から、私たちの第二の人生の旅は、始まる。





Fin

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夏の風のように 真朱マロ @masyu-maro

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