第30話 邂逅

「スゥ────」


 中身の空気が抜けるような呼吸。兜の奥で明滅する蒼白い双眸は確かに眼前のハヤテたちを捉えていた。鎧を纏った武者の出現に場は困惑する。


 奴の足元に呆気なく転がっている〈死体漁り〉の亡骸を視界に捉えてジルバは何を思ったのか。


「あ────」


 あと少しで自らの手で殺せたはずの宿敵を横から殺された怒りか、それとも復讐が唐突に終わったことへの空虚感か。それは本人にしか分からなかった。

 ジルバの戦いは確かに終わりを迎えた。それでも彼は眼前の彷徨者に〈魔剣〉を向ける。本能が早鐘のように告げたのだ。


 ────迎え撃たなければ殺される。


「ギ────」


「ッ────!!」


 鬼気迫る様相で戦闘態勢に入ったジルバに対して、鎧武者も刀を正眼に構えた。ただ鯉口を切り、刀を鞘から抜いただけの動作。たったそれだけなのに、その動きはとても洗練されており、圧倒的な力量レベル差がある事を如実に突き付けてくる。


「────」


「く、そッ────!!」


 あちらからは攻めてこない。まるで相手の力量レベルを推し量るように、誘うように鎧武者は微動だにしない。その余裕な敵の雰囲気にジルバは正気が保てず、逃げ出すように飛び出した。


「迸れ、疾く速く────〈雷光トニトルクス〉」


 奴との間にはまだ距離は有る。ジルバは疾走する最中に魔法の詠唱を諳んじて行使する。一転して視界が光る。〈雷光〉を唱えて敵の目を眩ませる作戦だ。


「────」


 しかし、眼前の鎧武者は全くの無反応。効果があるのかどうかも判断がつかない。それでもジルバは懲りずに真言を詠唱する。


「無意味ってか?知ったことか────」


 後先は考えない。〈死体漁りスカベンジャー〉で使い切るはずだった魔力は皮肉にもまだ十全に有る。その全て、ありったけ吐き出す。


「〈雷鳴激トニトゥレンゼ〉!!」


 闇を切り裂く雷鳴。それは今しがたの雷光とは比べ物にならない程に高純度な魔力の塊。今度は目眩しなど小賢しいことはしない、直接、鎧武者へと飛ばす。


 轟音と共に雷鳴は弾けて放電する。魔法は直撃した。


「ギギ────」


 しかし、聞こえてきたのは武者の断末魔では無く、無機質なもの。魔法は微塵たりとも奴に効いてる素振りはなく、全く怯んだ様子もない。


 五つ存在する階梯の中で第三階梯に位置する〈雷鳴激〉は深層のモンスター相手にも十分通用する魔法だ。それを無防備に直撃しておいて傷一つ付かないのは異常であった。


「バケモノめ────!!」


 吃驚。ジルバの表情は絶望の色に染る。駆ける足に急停止をかけるが間に合わない。既に一足一刀の間合い、もう退くことは不可能だ。


「ッ────!!」


 全身に駆け巡る死の前兆。呼吸は浅く速くなり、嫌な脂汗が吹きでる。ジルバは眼前の強者には適わないと、無惨に殺されるしかないのだと再認識した。


「ああぁぁあああああああぁぁあッ!!」


 それでも、なけなしの矜恃を振り絞って〈魔剣〉を振り抜く。必死な形相のジルバは鎧武者にはどう見えたのか。出鱈目な一撃に対して、酷く冷徹な一振が煌めいた。


「スゥ────」


 本来ならば腹から真っ二つに斬られていただろう。しかし、どういう訳か鎧武者は刀の峰でジルバの腹を強撃した。幸か不幸か彼は生き延びる。


「あ、がッ!?」


 それでも一瞬で意識は刈り取られ、力なく地面に倒れ伏す。もう立ち上がることは不可能だ。


「────」


 鎧武者は酷く残念そうにジルバを一瞥すると刀を鞘に収めた。そんな一連の攻防にハヤテの目は奪われていた。呆然と鎧武者の剣術を見て、思い返し、反芻して、衝撃を受けていた。


 ────ここにいた。


 直感する。地下迷宮に来てからまだ少しばかり、今まで様々な強者と出会ってきたが、眼前の武者はそのどれよりも規格外に強く、圧倒的であった。


 ────ここにいたんだ。


「くははっ────!!」


 思わず歪な笑いが溢れ出た。彼が真に求めていた強敵は、今この瞬間に現れたのである。


「嗚呼……なんてことだ……」


 一歩、また一歩と足は勝手に進み出す。全身が震えて止まりそうにない。それは恐怖か、絶望か、武者震いか、歓喜か。本人にすらよく分かっていなかった。


 いや、きっとその全てなのだろう。ハヤテはもう、ただ眼前の〈強者〉から目が離せないでいた。次は自分が挑むと勝手に決めつけ、徐に刀の鯉口を斬る。


「いざ、尋常に────」


 凛と、鈴の音が部屋フロア内に響き渡る。それを鎧武者は聞き逃さない。


「ギギ────」


 すぐに鋭い奴の視線がハヤテを射した。瞬間、身体は竦み上がり、呼吸が上手く出来なくなる。


 ───関係ない。


「────無颯一刀流、推して参る」


「ギ────」


 ハヤテは構えを解かずに、本能の赴くままに地面を蹴った。気迫を感じ取り、鎧武者も身構える、瞬く間に互いの間合いへと侵入する。


 一足一刀の間合い、余計な小細工など要さない。そもそも、ハヤテにはジルバのように魔法を使える訳では無い。彼にできることは至って単純シンプル。ただ幼い頃から研鑽し続けてきた剣技で敵と斬り結ぶのみ。


「ハァッ!!」


「ッッ!!」


 渾身の一刀。しかしそれは難なく防がれる。激しい衝撃音に遅れて控えめに鈴の音が鳴った。いつもとは違う微妙な違和感、ハヤテはそれに気がつくと大きく目を見開く。


 ────今の……。


 一瞬の躊躇い、同時に確かな手応え。ハヤテの一閃は鎧武者にして見れば蚊が止まるように鈍く、見るに堪えないモノだったろう。実際、ハヤテの一刀は見切られ、微塵も鎧武者には迫っていない。それは奴にとって酷く退屈に思えただろう。それでもハヤテ本人は今の一振に初めての感覚を覚えた。


 ────気の所為……か?


「もう一度────」


 改めて、鋭く刃を放つ。今度は上段から袈裟懸けにだ。


「ギギ、ッ────」


 当然、ハヤテの攻撃は届かない。鎧武者は余裕綽々と言った感じで滑らかに刀で受け流してくる。しかし、そうなる事など分かりきっていたことである。ハヤテが確認したいこととは全く別のこと。


『────凛』


 また遅れて鈴の音が耳に響く。その音を聞いた瞬間にハヤテは確信する。


 ────いや、間違いない。確かに今、俺は───。


 全身が粟立つ。戦いの真っ只中だと言うのに気持ちは昂り、今にも小躍りしてしまいそうな程だ。


 その違和感は本当に僅か、時間にして0.001秒。常人にその違いの判別は付かないが、物心着く前からその音を聞き続けたハヤテにははっきりと分かる。違いは正に、雲泥の差であった。


 ────俺の剣は世界を


 今までどれだけ努力しようとも、血反吐を吐き、幾多の死線を越えようとも、到底見えることのなかった景色が、ようやく今、薄らと見え始めてた。


「くははっ────!!」


 その頂きを思えば、先はまだまだ長い。ハヤテなどまだ出発地点に立っただけに過ぎない。それでも、笑わずには居られなかった。今まではその出発地点にさえ、彼は立つことができていなかったのだ。


「常在戦場────」


 鎧武者との実力差に、絶対に適わない強敵を前に、ハヤテは全く絶望することは無い。寧ろ、その瞳は今まさに生気を取り戻しかのように爛々と光を放つ。


「────常に我が身は剣戟鳴り止まぬこの世界に在る────」


 この強者を打ち倒した時、ハヤテはきっと極地へと至れるだろう。


「──── それこそが極地セカイ………へと至る術也」


 それはハヤテがその身に刻み続けてきた殺人剣〈無颯一刀流〉が志し、至らんとする境地。


『曰く、そこに響くのは剣戟の音のみ、全てを置き去りにして剣にのみ没頭できる世界』


 それこそが、ハヤテが幼い頃から目指していた極地である。


「くははっ────!!」


 一心不乱に刀を振り、眼前の強者へと肉薄する。笑わずにはいられない。楽しくて仕方がない。こんな瞬間をハヤテは本当に待ち望んでいたのだ。


「ギ────」


 依然として、目の前の強者に勝てる見込みは無い。それでもハヤテは攻撃の手を止めようとしない。あと少し、もう少しで、そこへ至れるような気がした。ここで止まればもう二度と行けないような気がした。


【笑止千万。まだ何もかも足りてはおらぬよ】


 刃を交え、剣戟鳴り止まぬ最中、不意にそう咎められた気がした。


「ッ!?」


 息を呑み、我に返る。それは咎められのか。いや、そもそも本当に言葉を掛けられたのかも定かでは無い。だと言うのに、頭に響く言葉はハヤテに重く伸し掛る。


「ギガ─────」


 瞬間、ハヤテは目の前の武者に斬られた。


「─────は?」


 目にも止まらぬ神速の一刀に防御は間に合うどころか、思考すらも追いつかない。ハヤテの視界は揺れて、上下左右が急に反転した。


「う、あっ────がッ!?」


 かと思えば全身に激痛が走る。意識は駆け抜けるように遠のき、瞼は勝手に閉じ始める。ハヤテの思考はそこまで来てようやく理解する。


 ────斬ら……れた?


 霞む視界の中で最後に映るのは悠然と自身を見下ろす鎧武者の姿。ハヤテは倒れ伏し、完全に意識を手放した。


 傍から見れば彼は圧倒され、手も足も出ずに斬られたように見えただろう。


「は、ハヤテッ────!!」


 マリネシアの悲痛な叫びが良い証拠だ。鎧武者に斬られたハヤテを目にし彼女の戦意は完全に消え失せる。


「ギ────」


 徐に鎧武者の視線がマリネシア達の方へと向く。


 相も変わらず、状況は絶望的だ。ここまで導いてくれたジルバは既に倒され、最後の淡い希望であったハヤテも今斬られた。残されたのは既に戦意喪失したマリネシア達だけ。


 ────殺される。


「燃え────」


 マリネシアは確信する。どれだけ足掻こうと自分たちに目の前のバケモノを退けられる術はなかった。それでもただ殺されるつもりは無かった。駄目だと分かっていてもマリネシアは無意識に魔法の詠唱を始めた。


「─────」


「───えっ?」


 しかし、途中で言葉は止まる。どういう訳か鎧武者は直ぐにマリネシア達から視線を外すと、刀を鞘に収めて、無惨に転がった〈死体漁り〉の亡骸を担いだ。


「な、なんで…………?」


 意味がわからずに呆然とすることしか出来ない。そして、鎧武者は〈死体漁り〉を抱えて地下4階へと続く連絡通路へと歩きだした。


 最後に奴は依然として地面に倒れ伏すハヤテを一瞥して、少しだけその身を震わせた。

 そこで突然の彷徨者との遭遇戦は終わりを告げる。


 取り残されたマリネシア達はどうして生き残ったのか、頭の理解が追いつかないでいた。

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