第29話 死に様

 ────やっと、やっとだ。


 全速力で迷宮を駆ける。遂にジルバの長年の悲願が叶おうとしている。絶対にこんなところで逃がす訳には行かなかった。


「GYA……GYAAAAA……」


 一寸先は闇。しかし迷うことなく彼は駆ける。獣の弱々しい呻き声と右手に握った剣の金属音は確実に彼をそこへ導いてくれる。


「はっ、はっ、はっ……!!」


 呼吸は乱れ、心臓は激しく脈打つ。それがここまで全速力で走ってきた所為なのか、それともジリジリと近ずいている抑えきれない興奮の所為なのかは本人にも分からない。思考がぐるぐると巡って、綯い交ぜになる。感情も何が何だか行方不明だ。


 ────どうでもいい。


 普段ならばそれは有り得ないことであり、仮にあっとしても度し難く、許し難いことであった。だが、この時ばかりは、彼はそれを気にしなかった。かと思えば、次第に頭の中は整理されていき、反転して鮮明になっていく。


 様々な異常事態イレギュラーは起きたが結果としてそれはジルバにとって良い方向に転がった。仲間は必要ないほど強くなれたと思っていたが、其れは慢心だったと思い直す。


 ───まさか、この長い停滞を打ち破ったのが新人ニュービーのお陰とはな。


 ジルバが再び仲間を募らなかったのには幾つかの理由があった。

 まず一つは、こんな自分本位で下らない復讐に誰かを巻き込またくなかったからなのと。もう一つはまた仲間を失うのが怖かったから。正確に言えば、彼は今も恐れていた。


「もうすぐだ、メアリー……」


 瞑目すればその瞼の裏には鮮烈に蘇る。

 無惨に仲間が喰い千切られ、愛する人が血に濡れ痛みに泣き叫ぶ姿。それはジルバの心に深く根を張り、絡みついて離れようとはしない。


 それを克服しろというのは酷な話かもしれないが、結果としてその恐怖は彼をここまで押し上げて、普通では到達できなかったであろう領域まで足を踏み入れることが出来た。

 唯一、その恐怖が彼に与えてくれなかったモノは「誰かを頼る強さ」だった。


 ───全く、良い拾いモノだったな。


 皮肉なものだ。ジルバは思わず自嘲的な笑みが零る。


 不意に鈴の音が彼の耳朶を打つ。その音の発信源を辿ればこの冒険の功労者であろう、戦いのみに生を実感するような狂い人が視界の端に映った。彼は今もジルバの後をすぐそこまで追ってきている。それがどうにも頼もしく感じられた。


「GYA…………!!」


 腹を切り裂かれた〈死体漁り〉はもう瀕死だ。逃げる度に開いた腹から生暖かい臓物が転がり出して、地面を引き摺っている。それでも逃げ足だけはどうにも早く、なかなか距離が縮まらない。


 奴が逃げようとしている場所は何となく予想出来ていた。


 ────下の階まで行けば追ってこないとでも?


 脳裏に焼き付いた地図マップの記憶と、眼前に広がる景色を照らし合わせれば、大して難しい話でもない。奴は地下4階、そこへと続く連絡通路がある部屋フロアを目指しているのだろう。


「───せめてもの情けだ、死に場所くらいは選ばせてやる」


 トドメを指すならばこんな狭い通路では無く、連絡通路がある広い部屋の方がジルバとしても都合は良かった。


 魔法で足止めをした後に、最後はその手に持った震える〈魔剣〉で殺し斬る。

 簡単ではあるが算段も立っていた。ならばあとは実行するのみだ。


「GYA、GAAA────」


 ───ほらな。


 案の定、辿り着いた先は連絡通路のある部屋フロアだ。我先に中へ駆け込もうとする〈死体漁りスカベンジャー〉を視認して、ジルバはすかさず魔法を唱える。


「迸れ、疾く速く────〈雷光トニトルクス〉!!」


 闇を照らし駆ける雷は〈死体漁り〉に落ちんとする。


「ッ───GAAAAAA!!!」


 ジルバの鋭い魔法に〈死体漁り〉は叫び、身を捩り何とか回避する。だが、動きは完全に止まった。限界はとうに迎えて、息も絶え絶え、回避から直ぐに次の行動へと移ることが出来ない。


「無理をすると身体が持たないぞ?」


 その隙を見逃す道理はなく、ジルバは瞬く間に鼠へと肉薄した。今度こそ殺し切るつもりで剣を上段に構える。


「仲間の仇、晴らさせて貰うぞッ!!」


 唸る〈魔獣殺しワースレイヤー〉を鋭く振り抜こうとした瞬間だった。勝利の確信、次いでやってきたのは耳を劈く程の絶叫。


「GAAAAAAAAAAAAA!!?」


「「「ッ!!」」」


 死の断末魔が部屋に響き渡る。咆哮に似たそれに思わずハヤテやマリネシア達は耳を抑えて耐える。確かにここまで意地汚く逃げてきた〈死体漁り〉は死んだ。


 しかしトドメを刺したのは


「─────は?」


 思わず、気の抜けた声を漏らす。脳の理解が追いつかない。気がつけば振り上げた剣を下ろす前に眼前の鼠は真っ二つに斬られていた。


 ────誰に?


 疑問が頭の中を埋め尽くす。いつの間にか絶叫は鳴り止み、〈死体漁り〉であった肉塊は無常に床に崩れ落ちる。途端に視界が開けて、ジルバは別の気配を感じ取る。


 それは地下4階へと続く連絡通路から登ってきた何か。その姿は暗さの所為か、距離の所為かしっかりと見定めることが出来ない。


「だれ────ッ!?」


 一瞬、人に酷似した姿形シルエットに他の探索者かとも思うがどうにも違うらしい。下の階から登ってきたその影はこの世ならざる獣の威圧感プレッシャーを異彩なく

 放っていた。


「スゥ────」


 静かな息遣いが届いた。それを掻き消すよくにガチャガチャと鉄と鉄が重なり擦り合うような音もした。それは甲冑を身に付けて歩くような音にとても良く似ていた。


 近づいてきている。いつの間にかその影が識別できる距離まで来たところで再びジルバは困惑の声を漏らす。


「なんだ、お前────?」


 それは長く探索者を続けてきたジルバでも見たことの無いモンスター。影だけで判断すれば影は人間のように見えるが違う。それは全身を赤黒い鎧甲冑で着飾ったモンスターである。得物は腰に差した一本の刀だ。


 ───強い。


 瞬時に感じ取る。それは〈死体漁り〉よりも、それどころかジルバが今まで経験したことのある深層のモンスターよりも遥かに、圧倒的に強いと感じた。


 ───どうしてこんなバケモノが浅瀬にいる?


 感覚だけに従い、断定するとするならばそのモンスターはこんな地下3階にいるには些か可笑しすぎた。有り得て地下8階、ジルバの直感を信じるならば地下12階以降に居てようやく納得できる。


「新種の彷徨者ワンダリングモンスター?」


 数多の疑問を解決するにはそう考えるのが妥当だ。


 地下迷宮にいてそれらと遭遇確率はどれほどのものだろうか。確実に言えることは、そう日に何度も簡単に遭遇することなんて有り得ない。もしそんな理不尽が起こりえたのならば、それは間違いなく何かしらの悪意だろう。


 ───、なんて考えるまでもないな。


 不意に彼らの前に〈強者〉が現れる。逃避は不可能、接敵は必ずで、戦いは強制だ。

 どうやら迷宮の悪意はまだ始まってすらいなかったらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る