第26話 限界の予兆

 体感時間にして5時間。地下迷宮で初めての長時間休息は効果覿面であった。マリネシア達の顔つきは目に見えて明るくなり、その足運びも軽やかだ。疲労など一切感じさせない。


 ────それも、いつまで持つか。


 ジルバは後ろから一生懸命に着いてくる彼らを一瞥した。休憩は根本的な解決にはならない、あくまでそれは気を紛らわす為の誤魔化しでしかない。


 依然としてマリネシア達が居るのは分不相応な領域地帯であり、一瞬だって気なんて抜けないし、常時よりも疲労感は溜まりやすい状況なのは変わりない。


 加えて今彼らの命は一人の探索者に委ねられ、いつ地上に戻れるかも、そもそも生きて帰れるかも今回ばかりは不確定であった。それがどれだけ精神的な負担を強いることか。普通は正気など保っていられないだろうし、そんな状況下で平然と冒険をできる人間はそう居ないだろう。


 そう、正に今の彼のように────


「おい!いつになったら地上に戻んだよ!?もう帰ろうぜ?なぁ!?」


「……まあ、騒ぐならお前だろうとは思っていたが────」


 ──── 自然と不満は募り、憤り、爆発する。不気味なぐらい静寂な迷宮内で喚くメイソン。それを見てジルバは小さく溜息を吐いた。


 予想はしていたことだが、いざ目の前でそれが現実となれば心底鬱陶しく思えてしまう。ジルバとしては文句を言うくらいなら別に自分に着いてこなくたって構わないのだ。そもそも、文句を言うこと自体がお門違い。メイソンはそれすら理解していなかった。


「────別に今すぐ帰りたいなら帰ればいいだろう?」


「はあ!?まさか地下3階を一人で!?」


「そうだ」


 至極当然なジルバの言葉にメイソンは目を見開いて怒鳴る。しかし、何も出来ない底辺が怒鳴り散らしたところで威嚇にもなりはしない。ジルバは態とらしく声音を強める。


「最初に確認しただろう───いつ帰れるかは分からない、と。まさか、忘れたのか?」


「うっ……」


「感情に任せて無駄に騒ぐのは止めろ。お前のその無駄な行動が全てを狂わせる」


 有無を言わせないジルバの圧に今度こそメイソンは黙る。無駄な問答はそこで打ち止め、再び心を殺して先を進む。


「ッ……!!」


「ふむ───」


 途端に鋼の弾ける音が鳴り響く。それはなにかに引き寄せられるように、呼応するかのように主人ジルバにとある方向を示し続ける。


 もう何度目かになるその音にマリネシア達は未だ慣れない。そして、この音が何を示しているのかもさっぱりだ。それが〈魔剣〉の道標だと言うことを知っているのはジルバとハヤテのみ。


「────こっちだな」


 鋼の音を頼りにして、ジルバは只管に殺風景な通路を歩き続ける。音が指し示す方へと進むとそこには一つの部屋フロアがある。


「ハズレか」


 それを認めて、ジルバは地図を確認して何者かが巣にしているであろうその部屋フロアに躊躇なく侵入しては入念に中を調べ始める。


 その部屋の主は不在で、決まって訪れる部屋には大量の死体が山積みにされていた。


「……」


 口にはしないが、彼女達の表情は恐怖に引き攣っていた。部屋フロアの入口に立ち尽くし、それ以上中に入ろうとはしない。それはせめてもの抵抗……拒否反応だった。


「……ふん」


 ジルバは部屋を隅々まで調べてはつまらなそうに鼻を鳴らす。そこが誰の巣なのかは尋ねずとも分かった。


 ───最初に彼は言っていたでは無いか、目的は〈死体漁り〉だって。


 故にこの冒険の終着点はあの絶望との対面。分かりきっていることではあるが、それでも、わかってしまっているからこそマリネシアの感じる絶望感は果てしなかった。


 魔力は回復したし、戦う術は取り戻した。もう前のように後ろで縮こまる必要は無い。それは彼女が望んでいたことでもある。だが、準備が整った途端に臆病で情けない自我が顔を出す。


「………だい、じょうぶ────」


 奥に進む度に、部屋に足を踏み入れる度に緊張感が増していく。マリネシア達はその度に精神を削がれ、生きた心地が全くしない。いつ現れても可笑しくない彷徨者との嬉しくない再開を想像しただけで、気が狂いそうになる。


 それでもジルバと共に行動しなければ生き残る道は無い。状況は正に極限状態だ。冒険を再開してからまた時間の感覚が希薄になるほど歩いたはずだ。


 ───いったい、いくつあるんだろう?


 この階に奴の巣は数え切れないほどあるようで、今訪れたので4つの部屋をマリネシア達は経由していた。次で5つ目。死体の山を見る度に心は死んでいくようだ。


 ───本当に、戻れるのかな……。


 不意に弱音が口から零れそうになる。


 終わりの見えない冒険とは気が滅入る。心が挫けそうになる。しかし、マリネシアは耐えるように口を結んで、崩れそうになる足に力を込めた。


 恐らく5つ目の部屋を目指しているであろう半ばで、彼女達の不安を打ち破るようにジルバの〈魔剣〉がいつもよりも激しくその身を震わせた。


「ふはっ────」


「ッ……」


 それを感じて彼はニヤリとほくそ笑む。初めて笑うジルバに目を疑いながら、嫌な予感が駆け巡る。そしてわざとらしくジルバは言った。


「────よかったな。次の部屋は当たりだ。とりあえずこれで冒険の終わりが少し見えてきたぞ」


 それは喜ぶべきことなのかどうなのか。彼の一言はあまりにも残酷で、マリネシア達は言葉を詰まらせ何も答えられない。


 ……いや、本来ならば喜ぶべきなのだろう。だが、これから待ち受けているものを考えれば素直に喜ぶことなどできるはずもない。先に進みたくない気持ちと進まなければ終わらない葛藤。


 うだうだと考えてるうちに部屋の目前まで辿り着いていた。酷く細工な彫刻レリーフが目を引く扉を開けば絶望が待っている。


「────ひゅ……」


 それは誰の喉から鳴ったのか。悲鳴にすらならない酷くか細い息の漏れる音。ジルバは確認などせずに嬉々としてその扉に手をかけ、一気に開けた。


「────ッ!!!!」


 瞬間、今までとは違う確かな生物の鼓動を感じ取る。確かにそこには彼の目的である〈死体漁り〉が部屋の中央に陣取り、楽しげに名も知らぬ死体を一心不乱に貪っていた。


「────もう、逃しはしない」


 それを認めて、ジルバは一人飛び出す。もう我慢の必要は無い。絶望との再会は願わずとも叶った。

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