第25話 休息

 どれだけ歩いただろうか。もう大まかな時間の感覚さえ無くなって、マリネシア達はただただ殺風景な迷宮の中を進んでいた。


「はっ……はっ……」


 無意識に息は上がり、目に見えて疲労が溜まっていくのを感じる。それでも不思議と歩みは止まらず、勝手に足は動いてくれる。それはとても奇妙な感覚で、まるで自分の足ではないように錯覚さえしてしまう。


 地上であれば決して不可能な程の時間と距離を歩く。それでも身体が悲鳴を上げずに平気なのはここが地下迷宮だからだろう。


 ────異様だ。


 やはりここは〈異世界〉であり、上の感覚や常識など通じはしない。それでも限界は来る。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 マリネシア達は浅く呼吸をし続ける。額にはじっとりと汗の玉が浮かび上がり、目に宿る光も朧気だ。


 ────頃合か。


「……休むぞ」


 そんな彼らの様子を見かねたジルバは歩をぴたりと止める。彼にとってまだ休息は不要でも、身の丈に合わない冒険をしているマリネシア達には必要だ。


「…………え?」


 唐突なジルバの発言にマリネシア達の思考は追い付かず戸惑う。


 ───休む? どこで? ここで?


 自分たちが現在いる場所を再確認して、マリネシアは改めて困惑した。何せ、彼らの現在地は地下3階のとある通路。視界が開け、広大なスペースがある部屋フロアではない。こんな狭くて、いつモンスターと接敵するかも分からない通路でゆっくり腰を下ろして休める気がしなかった。


「休むと言ったんだ。そうだな……ここら辺にしよう」


 しかし、ジルバは困惑するマリネシアを他所に手馴れた様子で準備を始める。

 彼が懐から取り出したのは一つの小瓶、それには青色をした透き通る液体───聖水が入っていた。


「陣を描き終えるまでは動くなよ」


 未だ納得していない様子のマリネシア達を一箇所に集め、ジルバはその外周に聖水で円を描き始める。その動きにアイネは見覚えがあった。


「───退魔の陣……ですか?」


「そうだ。これがあれば場所を問わずに直ぐ休む場所を確保出来る」


 アイネの質問にジルバは頷く。〈退魔の陣〉とはその名の通り「魔を退ける陣」であり、聖水を用いて地面に特殊な陣を描く事でモンスターを一時的に寄せ付けなくさせる。


 その効果時間は聖水の純度の高さによって左右されるのだが、ジルバが今回使用した聖水はそれなりに純度が高く高価なものであった。


「もう動いていいぞ。いつまでも突っ立ってないで座ったらどうだ?」


「は、はい……」


 陣を描き終えてその場に座り込むジルバを見て、マリネシア達はおずおずとそれに倣った。いつの間にか火も焚べられており、それを中心にして囲む。


「…………」


 ぼんやりと闇に浮かび上がる炎は不思議と安心感を想起させた。それと同時に場違いな光景だとも彼らは思う。


「気が落ち着いたなら寝ておけ」


 ぼんやりと焚き火を眺めるマリネシア達を見て、ジルバは軽く目を瞑りながら言った。それにマリネシアは再び困惑する。


 ────寝むれる……だろうか?


 こんなところで寝られる気がしなかった。確かに知識として長期の冒険では迷宮の中で寝泊まりすることは知っている。しかし、いざ自分がそれをするとなると、マリネシアは物凄い違和感を覚えた。


 魔除の陣で数時間はモンスターに襲われることがないとわかっていても、悪意蔓延る地下迷宮で無防備に眠りこけるのは抵抗感がある。


「………」


「目を瞑るだけでもいい。休むことが出来れば魔力も回復する。そうすればまた魔法が使えるようになる。休息は大事だ」


 説得力のある言葉にマリネシアは騙されたと思って目を閉じてみる。


「あ…………」


 すると直ぐに瞼が重くなり、意識が遠のいていく。感覚が麻痺しているだけであって、マリネシアの身体はしっかりと限界を迎えて休息を求めていた。数秒と経たずに彼女は静かに寝息を立て始めた。


「すぅ……すぅ……」


「ほら、お前らもさっさと寝ろ。火の番は俺がする」


「は、はい……」


 今までの拒絶が嘘のようにあっさりと眠りについてしまったマリネシアを見て、アイネやメンソンも恐る恐る目を瞑った。そして彼女と同じように直ぐに寝息を立て始めた。


「はぁ────」


 まるで赤子を寝かし付けるような問答に彼女ジルバは小さく溜息を吐く。そして、依然として一人だけ眠る気配のないハヤテに視線をやった。


「───で、お前は眠らないのか?」


「不思議と目が冴えて眠れる気がしないんだ……」


 呆れた様子の彼の質問にハヤテは静かに答える。唯一この地下三階でまともに戦闘をしていたハヤテの神経は未だ、研ぎ澄まされていた。


 ────まあ、仕方がないか。


 この状態で眠れるはずもない、と同じ感覚を経験済みのジルバはよくわかっていた。


「そうか……」


 同じ道を辿る向かいのサムライにジルバは妙な親近感を覚える。そして徐に彼はハヤテに話しかけていた。


「恐ろしく速く、正確で見事な剣技だな。いつから剣を握ってるんだ?」


「4つか、5つの頃から……」


 無意識に、ハヤテもそれに答える。


「戦い慣れしてるし、いい意味で狂っている。お前、今楽しくて仕方ないだろ?」


「…………」


 全て見透かされたような言葉にハヤテは無言で頷く。確かにジルバの言葉通り、ハヤテは前の戦闘から楽しくて仕方がなかった。


「くっくっくっ……だろうな。その目を見れば明白だ」


 そんな彼を見て、ジルバは何が可笑しいのかくつくつと喉を鳴らす。それが妙に気恥ずかしく、ハヤテは誤魔化すように質問をした。


「アンタのその剣……一体なんなんだ?」


 それは目にした時からずっと気になっていたこと。


 普通の剣とは纏っている雰囲気が違いすぎる。それに時折鳴る奇妙な音。主人であるマリネシアも気にしていたようだし、今ならこの質問にも答えてくれそうな気がした。その予想通り、ジルバはすんなりと話してくれる。


「所謂〈魔剣〉ってやつさ。〈魔獣殺しワースレイヤー〉───こいつは獣を斬ることに関しては剣の中で一番。驚くほど良く切れる。それに持ち主の意思に呼応するかのように近くに強い獣がいれば度々その身を鳴らして教えてくれる代物だ。

 さすがに〈聖剣〉と比べればその性能は劣るが、俺の目的を考えればコイツは最適で、よく役立ってくれる」


「魔剣……それが───」


 ジルバの言葉から発さられた〈魔剣〉の単語、ハヤテは噂には聞いた事があったし、存在も知っていた。だが実際にそれだと認識して目にするのは初めてだった。


 ────道理で奇妙なワケだ。


 不思議な因果に縛られた剣。その役割は様々で時に持ち主を助け、時に持ち主を呪い殺すと言う。そんな話を思い出してハヤテは色々と腑に落ちる。


 ここまでのジルバの澱みない足取りや、獣に対する異様な強さ。そして、彼がここにいる目的を思い返せば、自ずと彼が目指している場所も。


「つまり、その剣が〈死体漁りスカベンジャー〉の居場所を教えてくれるわけだ」


「ご名答」


 ジルバはわざとらしく手を叩く。〈魔剣〉の使い手に、加えて彼は相当な魔法の使い手と来たものだ。


 ────底が知れないな。


 ますます実感する実力レベルの差にハヤテはどうすればこの強者を打ち崩せるか、と無意識に夢想する。そんな彼を見てジルバは一つ欠伸をして言った。


「元気がありあまってるなら火の番を代わってもらおうか? 効率よく行こう。お前が起きているなら俺は体を休める」


 それに対してハヤテはひとつ返事で引き受ける。そんなやり取りの後、ジルバは目を瞑り、最後にこう付け加えて眠りにつく。


「くれぐれも火を消さないでくれよ。良くも悪くも迷宮は冷える」


「───ああ」


 先程まで全く疲れた素振りを見せていなかったが、休むとなれば即座に眠りにつける。これが熟練探索者の適応力なのだろう。


 ────器用なものだ。


 感心しながらハヤテはゆらゆらと揺れる炎を静かに見守り始めた。

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