第17話 既視感

 迷宮の悪意は去った……とは完全に言いきれないが、それでもその場に少なからずの平穏が訪れる。

 その原因はどこか死の香りを放つ一人の探索者───ジルバのお陰だ。


 何の因果か、マリネシアはまたしてもこの男に命を掬われたことになる。


 突如として現れたジルバは、依然として茫然とする三人の探索者に目もくれず逃げ去った鼠の方向をただ恨めしげに睨んでいた。


「……相変わらず、逃げ足だけは立派なもんだな」


 忌々しげに舌を打つと彼はついでと言わんばかりにマリネシア達の方へと意識を向けた。


「───災難だったな」


 平坦な声で放たれたその言葉は確かな同情の念が込められていた。しかし、放たれたその言葉にマリネシアらは反応できない。


「う……あっ…………」


 直ぐにでも何かを話すべきだと分かっていも、未だに媚びり付く恐怖の所為で上手く言葉が紡げない。


 それを察したのかジルバはゆっくりと頭を振った。


「無理に喋らなくてもいい。まだ新人ニュービーのアンタたちには色々と処理することが多すぎるだろうさ。まあ、死なない程度に呆けるくらい今は許される」


「あ、ありがとうございます……」


 ようやく捻り出すように呟いたのはアイネだ。ジルバは一つ頷くと辺りを調べ始める。


 今しがたの巨大鼠とハヤテ達の戦闘の跡。鼠が踏み込んだ足跡や周囲に落ちた毛、果てはすり減った壁まで……隅から隅までに入念にだ。


「……?」


 それにどんな理由、意味があるのか。マリネシア達にはただただジルバの様子を伺う他ない。暫くして、彼は満足したようで無感動に振り向いた。


「それで、どうする?」


「……え?」


 ジルバの唐突な質問にマリネシアは困惑する。真意が読み取れずに彼女が焦っているとジルバは言葉を続けた。


「俺は地上に戻るが、アンタ達はどうするんだってことだ」


「どう、って……」


 辺りを見渡し、改めてマリネシアは自身が置かれた状況を確認する。


 すぐ隣にはもう立ち上がる気力もないアイネの姿、少し離れた先には満身創痍で倒れ伏すハヤテ。


 幸か不幸か、現在地は割れた。状況を考えなければ彼女たちだけで地上に戻ることは可能だろう。意外と、地上へと続く縄梯子はすぐ近くにあった。


「……」


 しかし、それを加味しても今のマリネシア達では地上に戻れる確率は限りなく無い。

 戦闘の頼りである前衛は機能を失いかけている。これでモンスターと遭遇すれば、今度こそ死を覚悟する必要があった。


 ───絶対に無理だ。


 そんなマリネシアの心境を悟ってか、ジルバは提案する。


「丁度、物資を補給する為に上に戻るところだ。ついでだし、なんならこのまま拾っていくが……それとも、まだ冒険を続けるか?」


「ッ!!」


 ジルバの冗談になっていない言葉にマリネシアは勢いよく首を横に振った。そして、そのままの勢いで乞うた。


「いっ、一緒に連れてってください……!」


「それなら立て。行くぞ───」


 ジルバは答えを聞いて踵を返す。そして、気を失う寸前のハヤテを片手で軽々しく拾って担いだ。


「……わる、い」


「気にするな、ついでだ」


 息絶え絶えのハヤテを労うでもなく、ジルバは無感情だ。そんなやり取りを他所にマリネシアとアイネは互いに支えって立ち上がる。


 それを確認するとジルバは出口に向かって歩き始めた。


 何とかマリネシア達は死線を潜り抜けて生き残る。しかしその代償は仲間を一人失って得たものであった。


 ・

 ・

 ・


 何とかジルバの助けで地上へと戻ってくることが出来たハヤテ達。外に出ると時刻はもうすっかり夜になっていた。


「はぁ……はぁ……」


 ジルバに拾われた後、モンスターとの戦闘は運良く無かった。ただ地下迷宮を歩いて外へと戻ってきただけなのに、マリネシアとアイネの呼吸は乱れ疲弊しきっていた。


「「「………」」」


 言葉も無く、迷宮の入口から少し離れた場所で項垂れる3人。


 ───疲れたな……。


 ハヤテもアイネに〈癒し〉の奇跡で怪我を治してもらったがそれでも精神的な疲労が酷かった。


「……」


 そんな彼らにジルバは特に何かを言うことなく、その場から姿を消そうとするがそれをマリネシアが引き止める。


「あ、あの!!」


「……なんだ?」


「本当に、助けてくれてありがとうございます────」


「気にするな、ほんのついでだ」


 無感情に足を止めて振り返るジルバ。マリネシアはまだ荒れる呼吸を無理やり押さえ込んで質問をした。


「助けて貰っておいて、更にこんなことを聞くのは申し訳ないのですが……それでも教えてください」


「なんだ?」


「あの彷徨者ワンダリングモンスターは何なんですか?」


「……」


 マリネシアの質問に対してジルバは直ぐに答えなかった。今まで無表情だった彼のそれは少し引き攣り、ほんのりと怒気すらも感じさせる。


 それにマリネシアが怯まなかったと言えば嘘になるが、彼女は目を逸らさずにジルバの返答を待つ。


 商人の娘であるマリネシアは人を見る目には自信があった。先の一件でジルバとあの巨大鼠に何かしらの因縁があることを見抜いていた。その確信めいた質問にジルバは観念したように説明を始める。


「───あの鼠の名前は〈死体漁りスカベンジャー〉、本来なら地下7階を縄張りとしているモンスターだ」


「地下……7階……!?」


「その中でもアイツは相当に強くてな、ついでに特殊な性質を持っている」


 ジルバから語られた話はこの都市で探索者をそれなりに続けられている者ならば誰もが知っているような事だ。しかし、新人ニュービーであるマリネシア達には関係なかった。


「その性質っていうのが、迷宮に転がってる死体を自分の巣に持ち帰って収集することでな……勿論、自分で殺した探索者も収集物コレクションの対象で、アイツの巣には腐るほどの死体が転がっている」


「ッ…………!!」


 三人の脳裏には一つの同じ光景が浮かび上がった。それは、去り際に鼠に咥えらていたフォルタの死体。背筋に悪寒が走る。


「その性質の所為か、たびたび〈死体漁り〉は浅瀬の階に出現しては新人を襲うことがある。最近は滅多にうろつくことは無かったんだが……また収集を再開したみたいだな」


 虚空を見つめてジルバは一つ深呼吸をした。


「これで満足か?」


「───はい……」


 それ以上、彼は何かを語ることは無く。話はそこで終わる。


 聞きたいことは聞けた。けれど、マリネシアはまだ本当に聞きたいことが聞けてないような気がして納得できない。

 言葉を紡ごうにも、改めてこれ以上何を聞くというのか? 口を開こうとして彼女は思いとどまる。


「……もういいな。俺は行く」


 役目は果たしたとジルバは今度こそ踵を返して、マリネシア達の前から居なくなる。


「あっ……」


 立ち上がり追いかけようにも、今の満身創痍な彼女にはそれが難しく、ただ小さくなっていく彼の後ろ姿を見えなくなるまで眺めることしか出来ない。


 不意に、空を見上げた。そこには少し蒼い月が寂しげに浮かんでいるばかりだ。


 ───何もかも、足りない……。


 二度目の迷宮での死ぬ思いにマリネシアは言葉では言い表せぬ不安と、同時に何も出来なかった自身の弱さを嘆いた。


 その日の冒険はそこで本当の終わりを告げる。

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