第9話 寺院の奇跡
夢を見た。
それはまだ俺が剣を学び始めた頃の夢だ。
同じ道場の人間と一緒に並んで、無心に刀の素振りをする。子供から大人まで、その年齢層は様々。柄頭に紐で括り付けられた鈴が凛と忙しなく鳴る。
まだ振り慣れていないのか、その姿はどこかぎこちなく、まさに剣に振られていると言った感じだ。それでもその目は爛々と輝いていて、それをすることが楽しくて仕方がないと言った様子であった。
───我ながら、無邪気な顔だな……。
とても懐かしい夢だ。こんな幸せな時もあったのだと、その夢を見てようやく思い出せた。
刀が空を斬る音と鈴の鳴る音が交わる。昔はこのなんてことの無い音が大好きだった。いつから刀を振ることが詰まらないと感じるようになったのか? 夢の中で考えた。
鈴の音が鳴り響く。音はどんどん反響していって広がる。音に飲み込まれるように意識が引き上げられるような感覚を覚えた。それは夢から覚める合図だ。
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瞬間、ハヤテは夢から醒めた。
「……………は?」
まず視界に入ったのは異様に高い石の天井だ。そして体を持ち上げて、辺りを見渡せばそこは教会のようで、ハヤテは石榻に寝ていたのだと気づく。
「すぅ……すぅ……」
「死後の国───ではないな」
一瞬、ここが死後の世界かとも思うがどうやら違うらしい。それは石榻のそばで眠っているマリネシアの姿で分かった。
いや、彼女もあの後死んでいれば、二人で仲良く死後の世界……という可能性も無くはないが、ハヤテはその可能性を吐き捨てた。
───確実に俺は死んだはずだ。なのにどうして生きている?
「あら、目が覚めたのですね」
疑問を浮かべていると一人の女が部屋に入ってきた。それは灰色の修道服に身を包んだ一人の女性。その瞳には何処か生気が感じられず、くすんだ青髪はそれを助長させていた。
「おはようございます」
「……」
所感に対して、その女は呑気に挨拶をしてくる。ハヤテは頭の理解が追いつかずに会釈で返事をするしかできない。
傍から見ればぶっきらぼうなハヤテの態度を気にした様子もなく、女は微笑むと自己紹介をした。
「私はこの教会で修道女をしています、アマリリスと申します。どうぞよろしくお願いしますね、サムライさん」
「奴隷のハヤテ……です───」
依然として状況の飲み込めていないハヤテは自分も簡単に自己紹介をした後に女───アマリリスに質問をする。
「───知っていたらでいいんですけど、どうして俺は生きているんですか? 確か、地下迷宮でモンスターに殺されたと思ったんですけど……?」
「あなたは神のご慈悲にて生き返りました。神はまだ、あなたには成し遂げる事があると思し召しです」
「生き、返った……?」
「ええ」
女の返答は単純であった。しかし、単純すぎるが故にハヤテの理解は追いつかない。寧ろ、疑問が増すばかりだ。そんなハヤテの思考を読み取ったかのようにアマリリスは言葉を続けた。
「ここは迷宮都市です。死んだ人間が生き返るのなんて、他の土地では難しいでしょうが、ここでは人の死者蘇生の奇跡はそれほど珍しいものではありません。まあ、それなりの
「死者っ!?まさか、本当に……」
アマリリスの言葉にハヤテは驚く。
〈蘇生〉の奇跡。それは選ばれし最高神官のみが行使することの出来るこの世で最高位の奇跡だった。
その貴重性から蘇生をするための費用はとてつもない額であり、そうそうお目にかかれるものでは無い。それが実際、ハヤテ自身に施されるとなれば驚くのも仕方がない。
───確かに、砕けた肩や抉られた腹、焼き消された右足もちゃんとある。どうやら彼女の話は本当らしい。
「ぅん……」
「あら、こっちもお目覚めね」
自身の身に起こった事の現実感の無さに困惑していると、傍で眠りこけていたマリネシアが目を覚ます。
「あっ……いけない、寝ちゃってた───」
彼女は石榻から顔を上げてまだ完全に目覚めきっていない眼で周りを見た。のんびりとしたその視線にハヤテが入ったのはその数秒後。そして、マリネシアの視線はハヤテを収めたところでピタリと止まった。
「っ〜〜〜……は、ハヤテ?」
「お、おはようございます、お嬢様……」
蛇に睨まれた蛙のようにハヤテの動きもピタリと止まる。変な気まづさを感じて、ハヤテは
「うっ……うっ……よかった、よかったよぉ……!」
「っ!? お、お嬢様!? なんでいきなり泣いて……!?」
呆けた表情から一転、マリネシアはその整った顔立ちを涙で崩してしまった。そして、彼女はハヤテの胸に飛び込んで本格的に号泣を始めてしまう。
「ごめんなさい! 私の考え無しの行動な所為でハヤテを死なせてしまって……! 貴方はあんなに忠告してくれたのに、私はそれを聞き入れずに……ほんとに、ほんとにごめんなさいぃぃぃいいいい!」
「えっ!? いや、そんなに謝らないでください! 俺は奴隷として当然のことを……それに俺だって───」
「それでも!それでも私が悪いの!!本当にごめんなさい!!」
予想外のマリネシアの懺悔にハヤテは更に困惑することになる。
普通、使い捨てであるはずの戦闘奴隷に〈蘇生〉の奇跡を使う主人などいないだろう。そもそもが異常事態なのだ。
「そもそも、俺みたいな奴隷に〈蘇生〉の奇跡なんて……俺の方が申し訳ないというか……普通じゃないです」
「ハヤテは私の命の恩人なんですよ!?恩には2倍の恩で返すのがアンクルス家の教えなんです!!」
そのことを伝えてもマリネシアは泣き止んでくれない。シスター・アマリリスはハヤテとマリネシアのやり取りを微笑ましそうに眺めている。そんな状況もハヤテは居心地の悪さを加速させる。
「うわぁーんッ!!」
依然として泣きじゃくるマリネシア。このままでは拉致があかない、とハヤテは悩む。
困り果てた結果、ハヤテは「それじゃあ」と宣言をする。
「分かりました。俺はこれまでのお嬢様の全てを許します」
「────え?」
「奴隷の身で僭越ながら言わせてもらいます。
お嬢様にも色々と考えがあっての今回の判断だったのでしょう。焦るのはあまり良いこととは思いませんが、目的あってのこと。それでも命は粗末にするものじゃないと思います、焦ってる時こそ冷静さも必要です。それができるなら俺はお嬢様の為に死ねます。それが奴隷としての役目ですので」
「───ッ!!」
ハヤテの言葉にマリネシアは息を飲むと今度は激しく頷いて誓った。
「もう間違いません! 私は!ハヤテの主人として……いいえ!仲間として恥ずかしくない探索者になります」
「分かってくれたなら良かったです───」
安堵したようにハヤテは頷く。それならば彼はマリネシアにすぐして欲しいことがあった。
「それで……そろそろ離れてもらっても───」
「イヤです」
「………」
そもそも、身分の低い奴隷に許しを乞うなんて、あまつさえ縋り付く主人という構図はとても異様なモノであった。ハヤテとしては今後の為に彼女から早く離れて欲しかったのだが、それは聞き入れて貰えない。
依然として、シスター・アマリリスはそんな2人のやり取りを微笑ましく見ていた。
───なんなんだこの状況は?
「うっぐ……ひっぐ……」
「……はぁ」
なんとかこの状況を打開しようとするが、直ぐにハヤテはそれを諦めて、この状況を仕方なく受け入れることにする。
居心地の悪さは抱きつつも、彼は泣きついてくる主人をあやした。それが奴隷としての役目なのかは分からなかったが、ハヤテにはどうすることも出来ず、どうにかする権利もなかった。
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