第8話 少女の事情
少女───マリネシア・アンクルスは焦っていた。
「残念ですが、今の医療、魔法技術では奥様を完治させることは不可能です……」
「そんな……なんとかならないのか?」
「お母さん……」
彼女の母────フェリネシア・アンクルスが不治の病を患ったのが今からちょうど一年前。医者や教会神官の見立てでは長くても2年しか生きられないだろうと言った。
色々な方法を試みた、癒しの奇跡はもちろんのこと、世界各国から薬を取り寄せ、様々な学術書も漁った。それでもフェリネシアの体調は良くなるどころか悪くなる一方だった。
原因すら分からない不治の病。その症状は意識不明となり身体の内側から徐々に様々な臓器が腐っていくというものだった。
「もう本当にダメなのだ」と誰もが諦めた。マリネシアの父───クラウゼル・アンクルスも憔悴してしまい、目を逸らすように仕事に埋没していった。
それでもマリネシアは諦められなかった。また一人、また一人と絶望し諦めようとも、彼女だけは真っ直ぐに母の病気と向き合った。
───何か方法が絶対にあるはず……!
視野を広げて彼女は色々な文献を漁った。学術的なものから宗教的なもの、果てには歴史書までに至り、その様子は傍から見れば狂気に満ちていただろう。
「───これは……」
そんな折、彼女は一つの文献を見つけることになる。それはとあるを史実を元にして作られた冒険物語。
曰く、無限に続く死の穴蔵にはどんな病をも治すことの出来る万能薬───〈魔窟の霊薬〉が存在する、と。
物語の内容はそんな〈霊薬〉を探し出し、愛する恋人の病を治すというものだ。何ともご都合的、作為的なその話に最初こそ信じはしなかったが、どうにもしっかりと調べてみるとその話は本当に事実であるらしい。
死の穴蔵、それはつまり世界に複数存在する〈地下迷宮〉の事だ。マリネシアはもうこれしか残された道はないと確信した。そうして地下迷宮へと行くことを決意する。
迷宮へと挑む探索者を育成する組合の訓練所にて彼女は自身に魔法の適性があると分かった。
一年間にも及ぶ厳しい訓練過程を経て、マリネシアは地下迷宮で生き延びるための力と知識を蓄えた。卒業する頃にはまあ外では十分に通用する魔術師に慣れただろう。
「迷宮に行くのならば仲間を集めなさい。一人で行くことは決して許可できない」
奴隷を買ったのはクラウゼルとの約束事であった。大事な愛娘をむざむざと死地へ送り込む訳にも行かない。
同じ志を持った同士や、先達の探索者を雇っても良かったが、クラウゼルはそれを良しとしなかった。その真意は彼にしか分からないが迷宮に早く行けるのならば、マリネシアとしては何でも良かった。
ちょうどマリネシアが訓練所を卒業して少し経った頃、景気の良さそうな近隣の国の奴隷市場で彼女は一人の奴隷を見つけた。
「はぁ……」
一番人通りの多いイチオシの奴隷が並べられた室内で、その奴隷は心底つまらなそうに顔を顰めていた。
他の奴隷は少しでも待遇の良い金持ちの主人に買われる為、媚びへつらった笑顔を振りまいているというのに、その奴隷は周りにいたどの奴隷よりも変わり種に映った。
不思議とその不躾な態度が目を引いた。迷宮に行くのだから戦える奴隷が良かった。その奴隷の出自や経歴を見てみれば、彼は戦闘奴隷で先の戦争での敗戦奴隷であった。
「この人、買います」
「……は?」
五年間も奴隷の身でありながら戦場を生き残った。マリネシアはそんな経歴を見て、一目見てこの人だと思った。
まともに会話もせず、直感で選んで買った奴隷だったが結果としてはそれは最良の買物となった。
彼は確かに強く、初めての迷宮だと言うのに一人でモンスターの群れからマリネシアを守り抜き、そして死んだ。
「ハヤ、テ……?」
マリネシアが恐怖に怯えているうちにいつの間にかモンスターとの戦闘は終わりを告げていた。顔を上げて状況を確認してみれば、少し先に倒れ伏した
「こひゅっ……は、ハヤテ……ハヤテ!?」
その様は正に死ぬ直前……いや、誰がどう見ても死んでいた。
マリネシアは慌てて地を這いながら彼の元へと寄る。しかし、近くで確認してみてもハヤテは確かに死んでおり、もう二度と起き上がることは無いだろう。
顔は辛うじてその形をまだ残しているが頬や額の皮はべろりと剥がれている。左肩は肉と骨ごと噛み砕かれもう殆ど外れかかっていた。右腹部から腹の中心は不自然に抉り取られ、出血こそしてないものの焼かれた肉の焦げた匂いが鼻を劈く。右足も膝から下が無くなっていた。
「うっ……うぉえっ……!かっ、かハッ!!」
急激に吐き気を催し、我慢できずその場で吐く。
マリネシアのこれまでの人生経験でここまで酷い死体は見たことは無かった。そもそも、豪商の箱入り娘として大事に育てられた彼女は死体を見ることさえ初めてであった。
───完全に、勘違いしていた。
そこで彼女は思い知ることになる。自分は迷宮の恐ろしさを全く理解していなかったのだ、と。
「うっ……ひっく……ごめ、ごめん───」
感情をグチャグチャにかき混ぜられた最悪な気分。勝手にその蒼い双眸からは涙が流れて止まることは無い。無意識に懺悔の言葉まで吐く始末だ。
いったい、今更誰に謝るというのか。これは自業自得、自身の愚かさが招いた結末、罪悪感に苛まれることさえ愚かに思える。マリネシア自身、それはよく分かっていた。
───ふざけるな……!
自分で自分のことが腹立たしくて、恨めしくて仕方がなかった。自己嫌悪に陥り、果てにはもう泣き喚く元気すら無くなってしまう。
憔悴しきり、自身の力で立ち上がることも出来ない。もう、このまま死んでしまう方がいっそ楽なようにマリネシアは思った。
「※※※」
そんなマリネシアの心を読み取ったのか、迷宮の悪意は彼女の目の前に一体のモンスターを寄越した。
その姿は不確定。闇が少し不自然に揺れるだけで、正体を定めることは出来ない。
───死ぬのか……。
まあ別にそんなことは今のマリネシアには大した問題にはならない。どうせ死ぬのだ、ならばそれがなんであろうとどうでもいい。
「※※※※────」
蠢く影は理解できない言葉で魔法の詠唱を始める。それは魔法使いが一番最初に覚える最下級の魔法〈
闇を塗りつぶように火球の光が辺りを照らす。それはまるで太陽のように輝かしく、マリネシアは何故か安堵していた。
「────※※※※※※※ッ!!」
詠唱は終わり、顕現した火球はマリネシアに向かって一直線に走る。
───暖かい……。
まるで、死は救済かのような無責任な感情。迫る死の熱量にマリネシアは頬を緩ませた。そして、その身が焼き焦がされる───はずであった。
「───これは、どういう状況だ……?」
「……………え?」
無気力な男の声が不意にマリネシアの耳朶を打つ。次いで目前まで来ていた火球はいつの間にか闇に霧散している。
最終的な顛末として少女───マリネシア・アンクルスは死ななかった。
それは存在するかも分からない神が彼女を生かしたのか、はたまた迷宮の気まぐれで生かされたのか。この時の彼女にとってそれはどちらでも良いことであった。
彼女はたまたまそこを通りがった一人の探索者に助けられたのだ。
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