シ.









 ――妙に寝苦しくて、少年は目を覚ました。

 ぼんやりと薄いオレンジに照らされた、広い部屋。豆球だけがついた和室。

 『山のおばあちゃんち』で、親子に割り振られた寝室だった。

 隣の布団をみる。お父さんの分の布団はまだ空いている。たぶんまだ、お父さんは隣の部屋でちゃぶ台の上にノートパソコンを広げて仕事をしているのだ。昼間出かけた分、やるべきことが溜まっているんだって言ってたっけ。

 でもそうなら、目を覚ますまで、そう何時間も寝てた訳ではないはずだ。勘弁して欲しいな、と少年は思う。


 ぶんっ。

 カサカサっ。

 不意に部屋の隅の方から、明らかに大きな虫の気配がして、少年は眉をしかめた。いくら虫捕りが好きな少年でも、こんな夜中に招かれざる虫の襲来とか勘弁して欲しかった。いやな害虫の存在がいくらでも頭に浮かぶ。

 それでも、害虫ならなおさら放っておけないと思って、音のした方に目をやって……少年は凍り付いた。

 部屋の片隅に放り投げたままだった、虫捕り用の虫籠。

 空っぽのはずのその中に。

 なぜか薄闇の中なのにはっきりと分かる。


 目の上の突起が特徴的な、絶滅したはずの、あの、クワガタ。


 ちゃんと放したはずなのに。

 虫籠が空っぽなのは確認したのに。


 クワガタの顎が動いた。

 なぜかふわりと、香る匂いがあった。

 消毒液の匂い。

 死の匂い。


 お姉さんの匂い。


「ヨモツヘグイ」


 クワガタから放たれた言葉の意味は分からなかったが、発せられた声には聞き覚えがあった。透明感のある、あの、お姉さんの。


「あの子はあの日、飲まなかったから、あの日限りのお客さんだったけれど。貴方あなたは飲んでくれたから。だから再び迎えることができる。貴方あなたが望んだ、その通りに」


 少年は何か決定的なものを間違えていたことを知った。お父さんと自分の理解が根本的にズレていたことを知った。何をどう間違えたのかよく分からないままに、ただ、間違ったのだということだけを理解した。

 そして、それを知ってももう、間に合わないことも。


 悲鳴を上げる余裕も、なかった。








「やっと終わったよ、疲れたぁ……あれ、どこいったんだ。トイレかァ?」


 ふすまを開けて、お父さんが親子のための寝室に入ってきて、そして首を捻る。

 先に寝ていたはずの息子の姿は、どこにもなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぬるい麦茶 逆塔ボマー @bomber_bookworm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ