19 少女の殺人(六) 三時間後
私は愛のために殺人を犯していたのだろうか。それとも、殺人のために愛を冒していたのだろうか。
待ち合わせ場所に立ちながらそう考える。昨日から私の頭をもたげる疑念だった。けれどそれも今日解決するだろう。きっとそんなことどうでもよくなる。
元々は彼女も殺すのが目標だった。でも、状況が少し変わった。彼女もこちら側の人間だ。もし共感ができるなら、そんなに嬉しいことはない。お互いの心の空白を埋め合えるかもしれないという希望は何物にも勝る。私の内側を満たすのが殺意ではなく、愛だと証明するいい機会だ。
スマートフォンを開いて、一時間前に送られてきたメッセージに目を落とす。
『今日、会えませんか』
たったそれだけのシンプルな内容だった。突然送られてきたときには驚いたが、彼女は私が真犯人だと気づいたのだろう。指定された場所は間中を殺した堤防で、誂えられているようだった。
間中の遺体があった茂みの上に立った。辺りは薄暗く、暗闇が蔓延っていた。
スマートフォンのライトを付けて、周囲を見回す。五年が経っているとはいえ、当時とさして変わっていないようだった。草は伸び放題で、川にゴミも浮いている。きっとここはこれからもそうあり続けるだろう。
私はスマートフォンの電源を落として、煙草を取りだした。ずっと禁煙していたが今日くらいはいいだろう。ライターで火を付けて、深く吸う。ああ、こんな味だったなと思った。あのとき、間中からの一本をもらっておけば良かったとも思った。
「未成年が喫煙なんてダメですよ」
そのとき背後から声が聞こえた。鈴を転がすような声だ。
「遅かったね」私は前を向いたまま応えた。「ちょっとだけ、待った」
「準備に時間が掛かっちゃって」彼女は悪びれる様子もなく言った。「でも、意中の人を待つ時間も悪くないでしょう?」
「確かにね」私はまだ残っていた煙草を足下に落として、つま先で踏み消した。
彼女は「ポイ捨てはもっとダメです」と言った。「間中さんに恨まれますよ」
「そんなの今更だよ。恨みならとっくに、もっとたくさんの人から買ってる」
私は振り返った。まだ暗闇に目が慣れていないのか、彼女の顔は見えなかった。夜を一段と濃くしたような人影が立っている。
「それより、話ってなにかな」
彼女はそれに応えず言った。「少し歩きましょうか」
彼女は私の返事を待つこともなく身を翻した。川沿いを西に歩いて行く。私もその後に続いた。あまりの懐かしさに、目の前の人影は本当は間中の亡霊なのではないかと馬鹿げたことすら考えた。
「あなたが犯人だと気づいたのは、かがりさんが殺されたときです」彼女は歩みを進めながら言った。どこに向かっているのかは分かっていた。
「へえ。そうなんだ」私は気のない返事をした。「でも、だったらどうしてそのときに告発しなかったのかな」
「分かってるくせに」彼女は首だけで振り返ると、唇を持ち上げた。
「後ろめたいことがあると警察は怖いよね」
「私そのときはまだ、何もしてないですけどね」
「あ、したことは認めるんだ」
彼女は溜め息をつくと黙って前を向き直った。私は構わず話し続けた。
「それにしても本当に驚いたよ。君がまさか私と同じなんて。本当にびっくりした。なんでそんなことをしたかとか、聞きたいことは山ほどあるけど、全部後回しだ。同士に出会えた喜びをまずは分かち合おうよ。君も嬉しいでしょ? 同じ人殺しに会えて」
彼女は応えなかった。どんどん歩き続け、高架下で立ち止まるとこちらを向いた。
堤防沿いの道路に連なったヘッドライトが私たちの影を浮かび上がらせた。それでようやく彼女の顔色を認識した。
彼女、久下香奈美は真顔のまま私を直視していた。
「もしかして、警戒してる?」その顔もすぐに夜に紛れた。「大丈夫だよ。今日はなにも持ってきてない。君を殺したいわけじゃないから。精々、煙草とスマホくらいだね。あ、君も吸う?」
私は箱から一本だけ取りだし、彼女に向けた。そうしても、彼女は押し黙っていた。いよいよ不安になり、私は煙草にまた火を付けた。
「なんで、黙ったままなのかな」私は煙を吐き出して聞いた。
「……煙草は成人してからですよ」さっきよりも固い声で彼女が言う。
「そうじゃなくてさ……」
私は頭を掻いた。どこかで車が停まったのか、ブレーキの音が聞こえた。
「あ、話ってそのことじゃないのかな」ハッとして聞いた。暗闇に目が慣れ始めた。彼女は相変わらずの顔で口を噤んでいた。「恨んでるのは君も一緒ってこと? 若菜やかがりさんと仲良かったもんね。それで私を殺したいのかな」
彼女は答えない。私を窺うような表情をしている。
「いいよ、別に。君が殺したいならそうしてくれても。私は抵抗しないし、大人しく殺されてあげる。でも、それだったら、その前にいくつか聞きたいことが……」
そのとき、突然羽交い締めにされた。私は息が詰まるのを感じて、咳き込んだ。煙草を落とす。耳元で男の声がした。何を言っているのか聞き取れない。
私は藻掻きながら彼女に手を伸ばした。力が強く逃れられない。いくらなんでもこれは酷い。私は口を動かした。私は君に殺されたいんだ。それなのに……。
「大人しくしろ!」一際大きな声が私の耳元でした。聞き覚えのない声だった。
男は声の大きさに比例するように力を込めた。私は更に暴れた。しばらくそうしていると、強い光が私の目に向けられた。それが懐中電灯だと気づくのが遅れる。
「要!」私を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。
動きを止め声の主を見上げると、そこには懐中電灯を持った先輩が立っていた。久下香奈美はさながら恋人のようにその脇に控えている。
「先輩、どうして……」
「もう、やめてくれよ」深見先輩が苦しそうな顔で私を見ていた。
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