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「もう、やめてくれよ」

 悠一が照らした人物は、頬を白くしてこちらを見ていた。理知的な瞳や、一つに結われた髪、折り目正しい襟付きのシャツが真面目そうな雰囲気を醸し出している。

 いや、実際真面目だった。一年程度の付き合いだが、それは悠一のよく知るところだったし、本人もそれを自負していただろう。それなのに——。

「要が、どうしてこんな……」

 その言葉に、新庄要こと要京子が、乾いた笑いを洩らした。

「はは。先輩にまさかバレてるなんて、思ってもなかったですよ。久下さんの入れ知恵ですか。というか、通報したんですね」

 要は自分を取り押さえている日下部を見上げていった。周りにも天野や、他の警察官が控えている。

「当たり前だろ。お前が犯人だって知って、俺がどんな気持ちで……」

 悠一の懐中電灯を握る手に力が籠もった。キーボードを叩くのに適した細長い指が殺人に使われていたなんて信じられなかった。

「なあ。お前が本当に殺したのかよ。本当に、姉さんや、他の人もお前が……」

 嘘だと言って欲しかった。全てはこじつけであると。言って責めてほしかった。疑われるなんて本当に心外です、と。滅多に怒らない要が激怒して、絶交になったとしても、そちらの方が何倍もマシだった。

 しかし要は一瞬表情を曇らせてから、困ったような顔で笑った。

「そんな顔しないでくださいよ。申し訳ないとは思っています。でも、どうしてもお姉さんには死んでもらうしかなくて……。私も心苦しかったんですよ。流石に知り合いの親族を殺すのは精神的にキツかったですもん」

 その返答は悠一のよく知る要の言葉ではなかった。要はそんな顔で笑って、言い訳をしたりしない。もっと真面目な顔で謝れる人間だった。

「どちらにせよ、そろそろ引き際だったんでしょうね。嘘を隠すためについた嘘なんて、バレるのが定石ですから」要は悠一の隣に立つ久下に目を向けた。「君が私を愛してくれるならもう少し頑張ったけど……、見込みもなさそうだからもう捕まるよ」

 要は降参を示すように、羽交い締めにされたまま両手を上げた。日下部は要の腕を掴んで立ち上がらせると、手錠を取りだした。

「要京子、お前を殺人容疑で逮捕する」

 カチャリと金属音が鳴る。悠一は懐中電灯を消して、俯いた。

「あ、そうだ。最後にいいですか」

 日下部と天野に連行されていた要が立ち止まって、こちらを向いた。悠一は顔を上げた。

「なんだよ」悠一はまだ希望を捨てきれなかった。ここで自分への嫌疑を否定して、真犯人の告発をしてくれるんじゃないかと、密かに期待した。

 しかし要はそれを嘲笑うような笑みを浮かべると、口を開いた。

「先輩のお姉さんって意外と……」

 その先は聞き取れなかった。久下に耳を塞がれたからだ。けれど、天野が要を殴り飛ばしたところを見ると、碌な言葉ではなかったのだろう。きっと姉を穢すような言葉だったはずだ。

「これで、良かったんですか。本当に警察に通報して」

 サイレンを鳴らしながら走り去っていくパトカーを見つめ、久下は物憂げな表情をした。

「ああ。これで良かったんだよ」悠一は強がりでそう口にした。「俺が罪を犯しても、姉さんは還ってこない」

「そうですか……」久下はそれ以上何も言わなかった。

 悠一はポケットに隠したままのカッターナイフを取り出すと川に投げ捨てた。

「全部終わったよ。姉さん」

 悠一はそう口にして、手首に巻いた腕時計に触れた。もう時を刻むことはずのない針が一度だけ動いた気がした。

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