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「私が犯人でないという説明からさせてください」悠一が話し終えると、久下はそう切り出した。「その方が安心でしょう?」

 この部屋に入ってきたときと同じことを言う。悠一は小さく頷いて久下に続きを促した。

「まず私には一件目の間中さんから殺すことができません。先輩は私と間中さんの確執を知っているようですが、それこそ私のアリバイでもあるんですよ」

「どういう意味だ?」悠一は首を傾げた。

「簡単です。上央には授業後、停学者の家を教師が訪ねてくるという恒例行事があります。間中さんの亡くなった日、私は停学中でした。間中さんの死亡推定時刻は授業後すぐからその日の夜まで。つまり、私は間中さんを殺すことができないんです」

 悠一は納得しかけたが、すぐに思い直した。

「いや、それはおかしい。だって、停学中ならなおさら、自由に動けるじゃないか。授業が終わってすぐに間中さんを殺害して家に帰れば何の問題もない」

 現場は大学からほど近い堤防だ。間中由佳を殺してから家に帰っても教師の訪問に充分間に合うだろう。

 しかし久下は首を振った。

「問題大ありですよ。いいですか。これは先輩が知っているか分かりませんが、訪問に来る教師は生徒の下校よりも早く学校を出るのが通常なんです」

「あ……」悠一は何日か前に停学者の訪問に行くと言って、生徒より早く学校を出ていた教師を知っていた。

「それなのにそれより後に学校を出る間中さんを殺していたら、とても先生の訪問に間に合いませんよ」

「でも、教師の訪問が終わった後なら動けるだろ」

 悠一がそう食い下がると、久下は「それもできません」と作ったような笑顔を浮かべた。

「いえ、できないと言うと語弊がありますね。できないわけではありませんが、現実的ではありません」久下はそこで一拍おくと続けた。「これは以前もお話ししましたが、私の家は中学まで遠くて、電車で二時間程度かかります。終業時刻が十六時と仮定した場合、教師が家に来るのは十八時。それから教師が五分程度で帰ったとしても十八時五分。すぐ家を出て電車に乗って間中さんを殺しに行ったとしても現場に到着するのはどれだけ早くても二十時を過ぎます。それから間中さんを殺して家に帰れば、二十二時を超えてしまいます。さて、停学中の女子中学生がそんな時間に出歩いていたら、普通の親なら学校に通報しますね。果たしてそんなリスクを侵すでしょうか。その日に殺さなければならない理由なんてまるでないのに」

 久下はそういうと、満足そうに微笑んだ。悠一はそれにただ頷くしかなかった。一件目を起こせないなら、必然的に容疑者からは外れる。文句の付け所もない。

「確かに間中さんを殺すのは無理みたいだな」悠一は負け惜しみに聞こえないよう、声のトーンを下げた。

「信じてもらえて良かったです」久下は笑顔のまま、「でも、せっかくなんで他のいくつかの事件も私が犯せないことを説明しておきますね」

 そう言って姿勢を変えると、咳払いをしてまた話し始めた。きっと悠一が疑っていたことに対する、久下なりの仕返しなのだろう。

「二件目の事件では先輩はどうして私を犯人だと思ったんですか?」

「……木下さんの父親が『カナちゃん』って友達と沙枝さんが事件当日に遊んでいたと証言してくれたからだ」悠一は渋々答えた。

 久下はその言葉を咀嚼するように何度か頷いてから、不意に声を出して笑った。ふふふ、と声を抑えて、楽しそうに肩を揺らしている。

「ふふ、すみません。ただ先輩がちゃんと私の名前を覚えていてくれたのがなんだか嬉しくて」

 嘘か本当か分からないことを言うと、久下はまた笑った。

「でもね、先輩。せっかく私のあだ名まで知ってもらってなんなんですが」久下は唇を曲げたまま、「私には、木下沙枝なんて友達はいないんですよ」と言った。

「なんだって?」悠一は思わず身を乗り出した。「木下さんと友達じゃない?」

「ええ。そうです。木下さんの父親の言う『カナちゃん』と私はまったくの別人です。香奈美、香奈、かなえ、加奈子など、『カナちゃん』とあだ名がつきそうな名前は結構ポピュラーですから、そう呼ばれてる子が私以外にもいたんでしょうね」

「そんな、じゃあ俺が今まで集めてきた証言は……」

 久下は困惑している悠一を一瞥すると続けた。

「それから、これは自慢ではありませんが、私は高校時代に生徒会長を務めていて、学外でも結構有名で人気者でした。学校紹介のパンフレットに載るくらいには知られた顔だったと自負しています」

 悠一は間中宅で見せてもらったパンフレットを思い返した。確かにあれには久下の顔写真も挨拶文も大きく掲載されていた。印象的な美形に、異彩を放つ文章。覚えている人間も多いだろう。

「でも木下沙枝さんはどうでしょう。途中編入生で友達も少なかったそうですね。言い方は悪いですが、私とは真逆の位置にいるタイプです。そんな二人が一緒にいたらどうなると思いますか。友達になっていたら?」

「どうなるって……」悠一は少し考えてからいった。「そりゃあ多少の注目を集めるんじゃないか」

「はい、その通りです。高校生は人間関係に多感な時期ですから、誰と誰がどのような関係にあるのか、皆意外と気にしています。さて、それでは聞き込みの最中、木下沙枝さんの友人として一度でも私の名前は挙がりましたか?」

 悠一は思い返すまでもなく首を振った。「挙がらなかったよ。そんな話、一度も聞かなかった」

「それが答えです。私は木下さんと知り合いですらありませんから、父親の証言から私は容疑者圏外に置かれます」

 悠一は自分が否定されているような感覚に囚われていた。今まで築き上げてきた推理が少しずつ崩されていく。理論武装が剥がされていく。

「それでは最後ですね」

 久下は悠一に構うことなく、嬉しそうに微笑んで手をすり合わせた。悠一はもうやめてくれと叫びたかった。声にはならなかった。

「先輩がずっと気にしている、五件目。深見盟さん殺害のアリバイです。これは実際に見てもらった方が早いですね」久下はそういって鞄から財布を取り出した。「いやあ、残しておいて良かったですよ」

 久下が差し出してきたのは一枚のレシートだった。漫画喫茶の店名が記載されている。住所は主要駅と同じ区だった。時間は昨日の夜、七時半だ。

「私は昨日あの辺りで遊んでて、でも電車が停まっちゃったんで、今朝まで漫画喫茶にいました。これはそのレシートです」

 最寄り駅にいたのはその帰りだったのだろう。

「初めて入りましたが、漫画喫茶っていいものですね。漫画読み放題で、ゲームもできてシャワーまで使えるんですから。しかもホテルの半分程度の値段で泊まれるなんて、本当に楽園みたいな場所でした」

 久下は楽しげにそう結んだ。

 悠一は何も言えなかった。盟が死んだのは、まさしく久下が喫茶店に入ったのと同じ時刻だ。動かぬ証拠が出てきてしまった今、久下を犯人扱いしていたことが馬鹿みたいだった。今までの推理は何だったというのだろう。

「さて、私の疑いも晴れたことですし、そろそろ本題に入りましょうか」久下は急に真面目な顔になると、数段低い声で言った。

 悠一は体を強張らせた。そうだ。ここからが本番だ。犯人が誰なのか特定できると、久下は言っていた。酔狂でそんなことを口にしたわけではないだろう。

「大丈夫ですよ。そんな難しい顔しなくても、こんな易問、すぐに解いてみせますから。探偵役は私に任せてください」

 久下は安心させるような笑みを浮かべるとすっくと立ち上がった。

「その前に飲み物を淹れましょうか。何がいいですか?」

「いや、俺がやるよ」咄嗟にそう口にしたのは不甲斐なさからだろうか。それともまだ久下を信用し切れていないからだろうか。

「じゃあ、お願いします。カップはそこに入ってるの使ってください」

 久下はこちらを見透かすように笑った。悠一は目を逸らして立ち上がると、カップを手に取った。

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