四 中庭 -2-

 翌朝の天気は、実に心地よいものだった。

 朝食の時間に遅刻しないように、スマートフォンのアラームはセットしてある。しかし今日は、遠くに鳥の囀りを聞きながら自然に目が覚めた。爽快な目覚めに心地よく布団の上で伸びをすると、満足げに息を漏らす。枕元に置いていたスマートフォンを引き寄せると、七時に鳴るように設定していたアラームを解除する。現在時刻は六時三五分。障子越しに爽やかな朝日が部屋全体に差し込んできている。

 柔らかな光に畳の淡い陰影が浮かんでいる様子を眺め、ふと、昨夜のことを思い出した。後藤の異様な行動は、本当にただ寝ぼけていただけだったのか。立ち上がり、夜中にもそうしたように障子を開いた。

 この上ないほどの晴天だ。

 心地よい風の中、中庭の中央に植わっているガジュマルの木を見る。すると、その木の影から「なにか白いもの」が覗いているのが見えた。後藤の言葉が思い出されて、背筋が僅かに冷える。

 それが木に隠れて見えにくいのは、角度の問題だ。不審に思いながらつっかけサンダルを履いて、中庭に出た。玄関側の方向へ回り込むように数歩進み、凍りついたように足を止める。

 磔にされているかのように、濡れそぼった少年の死体がガジュマルにかけられていた。磔といっても、紐や杭などの人工的なもので留められているわけではない。独特のうねる枝に両腕が引っかかっており、体内から突き破ってきたかのような複数の木の枝が少年の眼窩から飛び出している。顎が外れ、限界以上に開かれた口から見える喉の奥には、体内を貫く枝がチラリと見えていた。その尋常ならざる姿は、死体が木に込まれている最中のようだ。

 そこまでを観察して、放心していた俺は震える唇を開く。喉から出したこともないような絶叫が溢れた。

 俺の叫び声に眠りを破られた者たちが、それぞれのタイミングで障子を開け、各部屋から姿を表す。彼らもまた、哀れで無惨な少年の姿を目にした。中庭が俄かに騒然としはじめる。

「春樹!」

 真後ろから、ひときわ大きな声が上がった。

 俺は、ハッと我に返る。友の名を叫びながら裸足で木へ駆けていこうとする冬夜の体を取り押さえ、部屋へと押し戻す。

「春樹、春樹、あああ春樹……浅野さん、春樹が……っ」

 冬夜は、瞳からボロボロと涙を流していた。漏れる言葉は意味を成していない。

「ああ……わかってる」

 自分の体を壁にするようにして冬夜の視界を遮ると、俺は彼を強く抱きしめる。すると、はじめは溢れ出る感情の発露を求めるように暴れていた体から、次第に力が抜けていった。

「瀬戸さん、警察に通報してください」

 呆然とした様子の瀬戸に声をかけると、彼もまた我に返ったように頷き、社務所の中へと戻った。神社にある電話機は、瀬戸の部屋に設置されている一台のみだ。

 俺にしがみついて震えている冬夜を支えながら振り向けば、夏久と千秋もまたそれぞれ障子を開き、春樹の無惨な姿を見ながら部屋の中でへたりこんでいる。

「家茂さん、後藤さん、子供たちを社務所から離しましょう。一度村役場へ」

 近くに出てきていた二人に声をかける。しかし、家茂は中庭にしゃがみ込んだまま動こうとしない。後藤もまた同じように呆然とした様子だったが、彼は、俺の声に頷くと指示どおりに動きはじめてくれた。

「オレは、どうしたらいいですか」

 青白い顔をして、健がよろよろとやってくる。

「警察が来るまで、中庭には誰も入れないようにしてください。それと、家茂さんのことも任せます。どうも様子がおかしいみたいです」

「了解です」

 そう返事をしてくれた健に現場を任せ、後藤とともに子どもたちを連れて社務所から出る。

 四季子たちは、生まれた瞬間からお互いに魂を分け合うように育ってきたのだ。春樹を失った子どもたちの悲哀は深かった。歩きながらも、もっともわかりやすく涙を流しているのは冬夜。千秋は、先ほど見た光景がまだ現実のものと受け止められていないのか、いまにも倒れそうなほどに真っ青な顔をしつつも、呆然としたまま涙は流れていない。普段から無口な夏久は、もっとも表情の変化が少なかった。しかし、血が滲むほどに噛み締めた唇と震える体を見れば、彼が受けた衝撃の強さは痛いほどに伝わってきた。

 森の中を歩く最中、誰一人として口を開くことができず、俺たちは全員無言だった。尋常ではない死体の様子を目の当たりにして、子どもたちは当然として、俺と後藤も冷静ではいられなかった。普段よりも遅い歩みで森を進むこと一五分ばかり。村役場には、すでに出勤してきている真里がいた。

 彼女は、悲壮な顔をして黙りこくった俺たちの様子から、ただならなさを感じとったようだ。俺たちを、村役場の中の休憩スペースへと招き入れてくれた。

「いったい、なにがあったんですか」

 真里からの問いかけに、啜り泣きの声を漏らし続けている冬夜をベンチに座らせると、俺は部屋の隅へ彼女を呼んだ。子どもたちには聞こえないように声を低めて話す。

「先ほど、春樹くんの死体が中庭で発見されたのです。皆その姿を見てしまっていて」

 俺の説明を受け、真里は動揺を隠しきれないように、両手で口元を覆う。その姿を見て、俺は改めて「そうか」と思う。春樹が死んだ、というだけの情報でもショックは大きいのだ。あまつさえ、あんな凄惨な死体ともなれば、気が動転しても仕方がない。

「願いませ 願いませ ねっこさま」

 不意に、背後からか細い声が聞こえた。

 振り向いて見ると、声を発しているのは、冬夜の横に座る千秋だった。その奇妙な言葉はただの詩ではなく、民謡らしい節がついている唄だ。

「実らん木に 春や たわわに実り 願いませ 願いませ ねっこさま」

「千秋くん? それはいったい……」

 問いかけると、千秋は真っ直ぐに俺を見た。眼差しの強さに思わず眼鏡を押し上げようとして、俺は、自分がいま眼鏡をかけ忘れていることに気がつく。

「島に伝わる唄です。春樹の姿を見て、すぐに……思い出しました」

 千秋からは返事があったが、俺と後藤は意味が分からず困惑するしかない。すると、村役場の玄関から入ってすぐ左脇にある場所を真里が指差した。そこには、島の歴史などをまとめた資料を展示するコーナーがあった。

 俺はそちらへと向かい、展示物を眺めていく。

 島の歴史は、本州で罪を犯した者の流刑場としてはじまる。開拓が進み人が滞在できるようになると、今度は女人禁制の聖なる島として、様々な神を祀る儀式が行われるようになった。古文書にもそういった記述で島の名が登場する、と記されている。島には実りが少なく、度々干魃にも見舞われ、人が安定して住むことは難しい島であった。しかし、あるときを境に土壌が豊かになり、沢から水が溢れ出て、人が住めるようになった。ところが、一〇〇年前に歴史的な大噴火が起こる。島民の大半が死にいたるも、残された者たちの尽力で再度復興が果たされ、現在の勾島ができている、とある。

 俺の目が止まったのは、その歴史の途中。島を恵み豊かな土地へと変えたのが、島の守り神である根っこ様だという記述だ。根っこ様へと捧げる「四季子の唄」の歌詞も記されている。


願いませ願いませ ねっこさま

実らん木に

春や

たわわに実り


願いませ願いませ ねっこさま

草なき地が

夏や

花あふるると


願いませ願いませ ねっこさま

枯れたる砂を

秋や

沢さらさらり


願いませ願いませ ねっこさま

浮かぶ浮かぶ

冬や

ねんねこねんね


 四番にあたる冬は、何を言いたいのかよくわからない。ただ、春は実りを、夏には花を、秋には沢の水を与えてくれと願う内容になっている。

 春樹の死体を見てこの歌が思い浮かんだという千秋の感覚も、なんとなく理解することはできる。彼のあの姿は、春樹が木に実っているように見えなくもないものだった。目を閉じれば鮮明に思い浮かべることができる光景に、喉の奥がなにか苦いもので満ちてくるような感覚がした。

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