四 中庭 -3-

 子どもたちを真里に任せ、俺と後藤は、再度重い足取りで神社へと戻った。

 玄関から社務所の中へと入った瞬間に耳に届いたのは、甲高い慟哭。開け放たれている瀬戸の部屋から真っ直ぐに中庭へ向かい、俺は目を剥いた。ガジュマルに掛けられていた春樹の死体が、すでに木から下ろされていたからだ。体を下ろす際に必要だったのか、春樹の死体がかかっていたあたりの木の枝が、根元から数本断ち切られていた。庭の片隅には、先ほどまではなかった脚立や鋸が置かれている。

 琴乃が、地面の上にかけられた布の膨らみの上に覆いかぶさるようにして泣いている。様子からすれば、その布の下に春樹の死体があるのだろう。

 中庭には、泣いている琴乃と、その横で妻の体をさすっている池、それから瀬戸と士郎に加え、白衣姿の見知らぬ男が一人いた。

「春樹くん、下ろしてしまったんですか? 現場保存は」

 声をかけると、士郎が振り向いた。彼は警察官の制服を着用しており、それだけで、私服で宴会に来ていたときとはずいぶん印象が違った。

「すでに状況は確認しました」

 士郎の返答は妙に冷たい。

「しかし、本州からの警察はまだ到着していないのですよね」

「海が荒れているから、本州の警察はしばらく来られませんよ。その間ずっと、春樹くんをあんな姿で置いておくわけにはいかないでしょう。あとのことは私に任せてください。ああ、そうだ。こちらは、診療所の川中かわなか先生です」

 士郎の紹介を受けて、縁側に力なく腰を下ろしていた白衣姿の男が軽く会釈をする。頭髪にはチラホラと白いものが混ざっていて、歳は五〇代半ばといったところだろうか。

「話を聞いて急いで来たんですがね。あの状態では……」

 苦々しい様子でつぶやく川中の言葉に、俺は視線を伏せて俯いた。今朝目にしたものは、医者が脈をとって死亡判定をする必要もないほどの、明確な死だ。この会話をしている間もずっと響いている琴乃の泣き声が、鼓膜に刺さる。

 俺は瀬戸のそばへと向かい、声を低めて問う。

「瀬戸さん、本州の警察はなんと?」

「島で起こった事件は、島の中で解決してくれと」

「なんですって?」

 返事に、思わず眉を寄せる。

 島で起きる小さな事故ではそういった対応になってしまうのもわかるが、あの春樹の死に方は尋常なものではなかった。しかし、瀬戸に驚いた様子はない。

「勾島ではそんなものですよ。実際、士郎さんがおっしゃるように、いまの海の状況ではしばらく船は出せませんし、来られません」

 俺は、建物によって区切られた真四角の青空へと視線を向ける。

「少し風があるだけで、快晴のように見えるのですが」

「空は快晴でも、海には海流がありますから。ちょうど今朝から海流が激しくなり始めたようで、波がかなり高い。今の状態で船を出そうとすれば、潮に流されて難破は免れません。……これは、人がどうこうできる問題ではありませんから」

 海と共に生きてきた島民に断言されれば、門外漢が口を出すことはできない。口をつぐむしかなかった。

 そのとき、中庭に静寂が落ちたことに俺は気がつく。先ほどまで延々と泣き続けていた琴乃の声が、ピタリと止んでいる。様子を伺うために視線を向けると、布の上に覆いかぶさるようにしていた琴乃がゆっくりと立ち上がるところだった。

「琴乃?」

 池田が問いかけるが、琴乃は呼びかけには反応しない。ただただ呆然と立ち尽くしたまま、誰に向けてという様子でもなく、しかしやたらとはっきりとした声で、

「根っこ様に、連れて行かれてしまったのね」

 と言った。琴乃はそのまま社務所の中へと上がり、玄関から出て行く。彼女の足取りにはおぼつかないところは無いが、まるで、生気を抜かれてしまったかのように見えた。

「おい、琴乃!」

 残された池田は妻の後を追おうとして、自身の足元にある布の膨らみに視線を落とす。

「士郎さん、春樹を家に連れて帰っても構いませんか」

「ええ、もちろん。川中先生、お手伝いいただけますか」

 士郎に促された川中は立ち上がると、士郎・池田と共に、春樹の体を被せていた布で包み、そのまま担架にする要領で運んでいく。

 死体を解剖して、死因の特定をした方が良いのではないか。俺は、そう思いはしたものの、目の前に父親がいることに加え、彼らから感じる強烈な拒絶のオーラに圧倒されて、口を挟むことはできなかった。


「瀬戸さん。家茂さんと健くんはどこに?」

 彼らを見送ったあと、中庭の片付けをはじめた瀬戸へ問う。

「どうも、家茂さんの気分が優れないとのことで、部屋でおやすみになっています」

 その返事を聞き、俺は後藤と顔を見合わせた。たしかに、春樹の死に様は誰にとっても衝撃的なものではあった。しかし、調査隊の中でもっとも豪胆で経験豊富な家茂が、他の誰よりもダメージを負っているというのは奇妙なように思われたのだ。中庭に面した家茂と健の部屋は、障子どころか木の雨戸までがピッチリと閉じられている。

「春樹くん、家茂さんに懐いていましたから、よっぽどショックだったんでしょうか。様子を見に行ってみましょうか」

「そうですね……」

 俺は、後藤の言葉に引っかかるものを覚えながらも頷く。二人で社務所の廊下を通り、家茂の部屋の前へと向かった。

 その道中、後藤に問われる。

「浅野さんって、こういう状況に慣れてらっしゃるんですか?」

「こういう状況、とは?」

「事故というか、事件ですかね。妙に落ち着いていらっしゃるような気がして」

 俺は、かけてもいない眼鏡のブリッジをまた押し上げようとして、息を漏らす。一度部屋に戻って眼鏡を取ってくるべきだった。

「いえ、そのようなことはありませんよ。もし俺が慣れていたら、死体を見てあんな風に叫んだりはしないでしょう。春樹くんを発見したときに俺が騒がなければ、子どもたちに、春樹くんのあんな姿を見せなくて済んだだろうにと、猛省しているほどで」

「あれを見て叫ぶなというのは、無理な話ですよ」

 会話をしながら、閉ざされた木戸の前についた。ノックをしようと手を上げたとき、隣の部屋から健がヒョコリと顔を出した。

「後藤さん、浅野さん」

 健は、なぜか小声で俺たちの名前を呼び、手招きしている。俺と後藤は再度顔を見合わせたあと、手招きに従って健の部屋の中へと入った。電気はついているものの、後藤が後ろ手に木戸を閉めると、雨戸も閉ざされている部屋の中は妙に薄暗く感じた。

「そんなコソコソしてどうしたの。家茂さんは? 気分が優れないようだって聞いたけど」

 後藤が問うと、部屋の畳の上に座り直しながら、妙に落ち着かない様子で健は頷いた。

「はい、真っ青な顔して、体調が悪いから、誰も部屋に入ってくるなって」

「それで? なんだか健も様子がおかしいよ」

 俺たちになにかを話したそうな健の様子を察して、俺と後藤も共に健の前に腰を下ろす。

「実はオレ、瀬戸さんと士郎さんがどうするかって悩んでたから、春樹くんの体を下ろすの手伝ったんですよ。見てのとおり、春樹くんの顔に枝が貫通しちゃってたから、下ろしてあげるのに、木の枝を切らなきゃならなくて。高所でそういうことするの、オレ得意だから」

 健の言葉に頷く。彼は元々鳶職だ。死体を下ろすという目的はともかくとして、行う作業としてはこれ以上の適任はいない。

「それで木の上に登って、切るときに、どうしたって春樹くんの体が目に入るじゃないですか。見たくないけど見ちゃって、それで……オレ、春樹くんの鳩尾のあたりに、刃物で刺されたみたいな傷跡があるのに気づいたんですよ。春樹くんの体、濡れてたじゃないですか? 洗い流されたのかわかりませんけど、その傷からはあんまり血も出てなくて、あんな状態だから、パッと見たら他のところに目がいっちゃいますけど」

 小声でボソボソと話される内容に、俺は無意識のうちに眉を寄せていた。健はなおも言葉を続ける。

「それ見て。ああ、春樹くんって人に殺されたんだーって思って。そしたらすげぇ怖くなっちゃって。だって、この建物って中庭に出ようと思ったら、誰かの部屋を通らないと出られないじゃないですか」

 健の言葉に俺は唸った。

 あまり考えないようにしていたが、その事実は、どうしたって避けては通れない。社務所の中庭は、外部からは完全に閉ざされている。加えて、風呂や厠などの共用部分は中庭に面していない。中庭に出ようと思えば、どこかの部屋を通る必要がある。部屋割りは、玄関のある方を下にして、下辺右に冬夜・左に瀬戸。そのまま時計回りに、左辺下には春樹と千秋・その上に夏久・上辺左が家茂・右が健・右辺上が後藤・その下に俺。つまり、中庭をぐるっと囲っているすべての部屋は埋まっていた。たとえ春樹がいなかったとしても、その部屋には千秋が寝ていた。社務所にいた者たちにとっては、昨晩中庭に出るのは楽なことだ。しかし、部屋で寝ている者に気づかれずに、外部の者が中庭へ出るのは難しい。

「家茂さんの様子がどうもおかしいんですよ。昨日も話に出てましたけど、オレたちインドに行ったことあるんです。そのとき、道端に転がってる死体とか鳥葬とか、結構エグいもの見て、オレなんかは具合悪くなったりしたんですけど。そういうときも、家茂さんは平然としてたのに。たしかに、昨日まで一緒に話してた子の死は特別ショックに決まってますけど。いっちゃ悪いけど、オレたちなんて、まだ会ったばかりの他人じゃないですか」

 俺たちの中に春樹を殺し、中庭の木にかけた者がいるのではないか。そして、その犯人は家茂なのではないか。健の言わんとすることを、俺も後藤も察していた。

「しかし、家茂さんが春樹くんを殺す動機など思いつきません。それに、もし仮に家茂さんが殺したのだとして、わざわざあのような手の込んだ姿で中庭の木に吊り下げる必要がありますか?」

「あの唄を、知っていたんじゃないですかね……」

 健の言葉に俺が反論すると、今度は後藤がポツリとつぶやいた。

「あの唄ってなんすか?」

 問われると、先ほど村役場で千秋が話したことと、島に伝わる四季子の唄のことを後藤が健に説明する。

「考えてもみてください。もし発見された春樹くんがあんな姿じゃなくて、中庭で腹部をナイフで刺されて死んでいる姿だったら。真っ先に疑われるのは、子どもたちや瀬戸さんじゃなくて、外からやってきた俺たちですよ。それに、もっと捜査をしようってなるんじゃないですか? 中庭に入れるのが昨日ここで寝てた俺たちだけなんてことは、皆すぐわかるでしょうし。

 だけど、警察官の士郎さんでさえ、そんな様子は微塵もなかった。それは、千秋くんだけじゃなくて島民の皆が、あの木に吊られた姿を見てあの唄を思い出して、神様にやられたんだって思ってるからなんじゃないですかね」

「しかし俺たちは、唄のことを千秋くんに聞いて、先ほどはじめて知ったのですよ」

「ここに来る前に宮松さんとやりとりしていた家茂さんだったら、島について色々調べたり、宮松さんに聞いておくこともできたんじゃないですか?」

 後藤の言葉を最後に、俺たちはそのまま部屋の中で黙りこくる。

 家茂に対する疑惑は深まるばかりで、拭い去ることはできない。そうでなくとも、この社務所にいた者たちの中に殺人犯がいることは間違いないのだ。そのことは、島外から来て、唄に惑わされない俺たちだからこそ考えられることのように思われた。

 しかし、この外界から孤立した島の中では、俺たち調査隊は口を噤むより他なかった。

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